デジタルサイネージの広告

デジタルサイネージを導入する目的は様々だが、大規模なネットワークを組まない
小規模舗の場合、最大の目的は「広告媒体」としての導入が一番多いのではないか。
デジタルサイネージを訳すと「電子看板」なので「広告看板」をイメージする人が多いようだ。
ではその「広告」にはどんな歴史や種類があり、今日に至っているのであろうか。
このページでは広告の歴史や、広告のデザイン、キャッチコピーや宣伝方法など、
私たちの生活に密着している「広告」について思っていることを綴ります。


ブログ#008 デジタルサイネージ・ハザード(広告公害)

サイバー・コミュニケーションズ(CCI)はデジタルサイネージ広告の国内市場を予測し、2019年は749億円で2023年度には1248億円に達すると発表した。モニター・ディスプレイの台数としては10万台を超える見通しだ。デジタルサイネージが普及することは日本だけではなく世界を取り巻く情報化社会の中で当然なことであろう。しかし問題は普及した台数の数十数百倍のコンテンツが存在することだ。今でも新宿や渋谷など、大型ビジョンを中心に広告で埋め尽くされている街の景観が全てデジタルサイネージになったらどう映るであろうか。しかも全てが動画である。広告としての競争がエスカレートしたらより派手により目立つようにとなって行きかねない。これまでも繁華街には存在した「広告公害」が一気に広がって、まさに「デジタルサイネージ・ハザード」の危険にさらされかねない。そんな街で育つ子供に悪影響が及ばないとも限らない状況である。わたしたち制作者はクライアントの意向を形にしなければならないが、そこには「広告公害」に対するモラルが必要になる。これは単に政府がデジタルサイネージのガイドラインを決めて規制すればよいという話ではない。わたしもこれまで何度も自問自答して自らのガイドラインを定めてきたが、おそらくグレーゾーンもあったことだろう。これからもわたしたち制作者は、この「広告公害」と真摯に向き合い「デジタルサイネージ・ハザード」を阻止しなければならない。その心を持たない人にコンテンツを創る資格は無いとわたしは思っている。これは総務省が定めたデジタルサイネージ標準システム 相互運用ガイドラインである。参考にしていただきたい。

November the 29th, 2019 Toyosaki’s blog


ブログ#016 デジタルサイネージで配信する「広告」のあり方を考えてみる

デジタルサイネージのコンテンツ制作サイトを立ち上げてみたものの、実際に問い合わせや相談を受けていると、このサイト自体が「広告代理店」であることがよくわかる。ユーザーは常に「売りたい商品」「売りたいブランド」が明確であり、どうしたら効果的な「広告コンテンツ」を提供できるか考えなくてはならない。これはまさに「広告代理店」の仕事であろう。弊社が映像制作会社であるとか、デジタルサイネージのコンテンツ制作会社であるとかは関係なく、クライアントは「売れる広告」を求めている。そのためには「売れるキャッチコピー」「売れるデザイン」は当然として、ユーザーが何を求めているのかを考え続けなくてはならない。私は今まで演出やディレクターのポジションで仕事をしてきた。マーケッティングは素人である。そんな言い訳は通用しないので毎日が勉強していくしかない。日本や世界のこれまでの広告の歴史から学ぶ事も多いが、これからマーケッティング戦略を一度整理する必要があるだろう。世の中はモノを創る事よりマーケッティングが優先だと感じてしまうのは寂しいので早くマーケッティングに長けたパートナーを見つけるしかないと感じている。これ以上はブログでは書ききれないので「デジタルサイネージにおける広告のあり方」については専門ページを開設して詳細を書くことにしよう。また宿題が増えました。

January 24th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#033 デジタルサイネージと広告コンテンツ

デジタルサイネージを導入したショップや、これから導入を考えている人は、デジタルサイネージを導入したらどのような配信を考えているだろうか?色々な可能性を持っているデジタルサイネージだが、機材の導入とは設備投資であり、導入してどれだけのメリットがあるかを考え導入に踏み切る。そのメリットとは「集客」「販売促進」「お店のイメージアップ」「ブランディング」「話題性」など、その価値観は経営者の価値観で決まる。しかし経営者であるならば、ます考える事は「利益」である。そうなればデジタルサイネージの配信コンテンツに順位をつけるならば、まず「広告」に力を入れるであろう。ではその「広告」のあり方とはどうようなものなのか。私も模索し続けているが答えは出ない。いや出るはずがない。ここでは「広告」の種類などを紹介しようと思う。ブログの「デジタルサイネージの広告」では、広告そのものにフォーカスを当てて掘り下げるので、そちらを参照して頂きたい。ではデジタルサイネージの広告とはどんな種類があるのか。それは簡単で「良い広告」と「悪い広告」である。何を持って良いか、悪いかを決めるのは個々の判断である。これは広告だけでは無く、音楽であれ、映画であれ、小説であれ、写真であれ、私にとってジャンルなどは存在しない。グッド・ミュージックかバッド・ミュージックかグッド・ムービーかバット・ムービーかしかない。大切なことはその基準を自ら持つことである。そのためには「良いもの触れる」努力を怠ってはいけない。そして年月もかかる。昔良いと感じたモノが、それ以上のモノに触れ続けることで良いと感じなくことがある。感性が向上しているのだ。逆に昔感じた感動が、いつ見ても変わらなく感動できるのであれば、それはあなたにとって本物である。少し乱暴な内容になったが、これは「モノを創る」場に身を置きたいのであれば避けては通れない覚悟であると私は思っていまいる。自分の中に「GOOD」と「BAD」の基準が無ければ、確信の持てる広告など作れるはずがない。そして更に、あなたが作った広告を大勢の人が評価する。評価されれば生き残るだろうし、評価されなければ生き残れいであろう。それも長い年月の評価が続かなければ。テーマと少しかけ離れた感はあるが、デジタルサイネージ広告とあり方とは「GOOD」であり、「BAD」ではいけないのだ。もちろん何時も自分にも厳しく言い聞かせているつもりである。

June 10th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#041 広告の歴史

広告や映像制作の世界に身を置いて30年になるが、今まで独学であったわたしは常に現場から学んでいたので、あまり過去から学ばない人間である。このサイトやブログを始めてから色々な事と検索し学習をはじめられたことはありがたいことである。しかし「広告のない商品は、暗闇で売るようなもの」とは誰の言葉であったかも思い出せない。「広告」とは字の如く「広く告げる」で明治維新後に入ってきた外国語の「Advertisement」を翻訳した言葉。「Advertisement」の語源は「特定の方向や対象に向けて注意を促す」。この時点でマーケティングの違いが現れている。人類はいつ頃から「広告」を出してモノを売るようになったであろうか?広告の起源には諸説あるが、ひとつは5000年前のバビロニアで発明された説。当然、当時には現在のような紙などはなく、煉瓦に象形文字を刷り込んだものが一般的であったそうだ。煉瓦に王の名前や建立したお寺の名前を刻むことで、それ自体が宣伝になるという目的。どちらかと言うと「広告」より「看板」のイメージ。もうひとつが、紀元前2500年ごろの古代エジプトで発見された化粧品の宣伝文で、現存する最古の広告らしい。パピルスに書かれたビラのようなもので、キャッチコピーは「この化粧品を使えばどんな老人でも若くなる。百万回も実証済み」素晴らしいのは、当時から女性をターゲットにていたことと、人間の心理の変化をしっかりと考えたコピーだということ。現代ではこのコピーでは誰も買わないと思うが、訴求の方向性と実績数字を使って信頼性を高めるという手法は、現代となんら変わらない。また広告代理店も紀元前から存在していたらしい。近代的な広告代理店は1800年代のイギリスで広告主から手数料をもらい、新聞広告のスペースを代理で購入したことが始まりと言われている。日本の広告は江戸時代頃から本格的に広まり、瓦版など、情報を周囲に知らせるという目的で使用された。その後看板や引き札、のれんや幟へ。そして新聞・雑誌・ラジオ・テレビの普及と共に、媒体を変えながら広告が掲載されていった。現在ではマス広告に加えて、インターネット広告、交通広告、屋外広告など様々な種類が存在する広告だが、良い広告であるからと言って商品が売れる訳ではない。ストーリーのある良い商品だからこそ、良い「広告」が生まれる。そして広告誕生から5000年経った今、日常はすごいスピードで変化し続けいる。しかしそこに生きる私たちの価値観や本質は変わっていないのかも知れない。

July 1st , 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#043 日本の広告の歴史

今回は、日本の広告の歴史を振り返ってみたいと思う。日本の広告は江戸時代の初期に広まった、お店の「暖簾(のれん)」と「看板」がはじまりと言われている。その後「読み売り」と呼ばれる宣伝業者が登場した。「読み売り」はチンドン屋の元祖的な存在で、瓦版の記事を、言回しを面白くし節を付けるなどの手法で大衆を惹き付け、瓦版の販売をしていた。「読み売り」は「読売新聞」の由来でもある。最近はチンドン屋も見なくなったが、私の知り合いに現役のチンドン屋がいるので必要な方には紹介します。また、瓦版とは別に「引き札」と呼ばれる商店や問屋などの広告チラシもこの時代に生まれている。初期の引き札は1色から2色であったが、文明開化と共に木版画、石版、銅板などの活版印刷の発展と共に色鮮やかな引き札となり、商品チラシ、折り込み広告、手配りビラなどとして広まっていった。第二次世界対戦が終戦し、景気が上向きとなり高度経済成長期に入ると、日本には多くの変化が起こってくる。その1つが、ラジオに代わりテレビ放送が開始されたことである。テレビが普及しテレビ広告市場が急激に拡大していき、新聞、雑誌、ラジオ、テレビの「4大マス広告」が確立される。1990年代に入り、日本は「バブル経済」と呼ばれる時期に入った。それに応じて「4大マス広告」も黄金期といえるほど、広告に予算を使った時代である。しかし、2000年代前半からバブル経済が崩壊を迎え、経済状況が悪化をしていく。当然4大マス広告も徐々に縮小傾向に向かう。また同時に、インターネットの普及が目覚ましく進歩し、携帯電話でも気軽にインターネットを利用できる環境へと変化していくと共に、インターネット広告が普及しはじめる。その多くは、バナー広告やアフィリエイト広告、リワード広告、リスティング広告などであった。このようにして、日本の広告市場は一定の「マス広告」の需要を残しながらも「インターネット広告」へ大きくシフトして来たのである。そして、デジタルサイネージも広告媒体のひとつとして普及が加速している。デジタルサイネージは単なる広告媒体に止まらない情報発信メディアだが、やはり広告としても役割も大きい。現代はネットも含め「6大マス広告」の戦国時代に入っているのかも知れない。

July 6th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#044 広告媒体の変化

先日のブログで「4大マス広告」にネットとデジタルサイネージが加わったと書いたが、もう少し詳しく書いておこう。「4大マス広告」は「マスコミ4媒体」とか「四大メディア」とも呼ばれている、新聞、雑誌、ラジオ、テレビで、広告の世界では2000年位までは圧倒的に優位に立っていた。しかし近年では、この従来のメディアの退潮と、新たなメディアであるインターネットの台頭で、広告における「4大マス広告」はかげりを見せ、2008年の日本の総広告費に占める割合は50%を切ってしまった。その分伸びたのが「インターネット広告」「プロモーションメディア広告」である。「プロモーションメディア広告」は屋外広告、交通、折り込み、ダイレクトメールPOP、イベントの展示映像を指している。デジタルサイネージも「プロモーションメディア広告」に含まれるようだ。広告業界のニュースサイト「電通報」によると2019年の日本の総広告費は6兆9381億円で、マスコミ4媒体が37.8%、インターネットが30.3%、プロモーションメディアが26.8%であった。特にインターネット広告は6年連続2桁成長を続け、テレビメディアを上回っている。モバイルの進化がネット全体を底上げしているのであろう。プロモーションメディアの内、何%がデジタルサイネージであったかは記載がないが、今後伸びてくると予想している。新聞や雑誌などはデジタル化を推進し、テレビも民放公式インターメット動画配信などで、広告媒体を巻き返している。しかし今後は更に、新聞放れ、テレビ放れが増え続ける事を考えると、これまでの広告媒体のあり方が大きく変わっていくに違いない。売るモノがある以上、この世から「広告」が無くなる事はないが、「広告媒体」常に変化していくに違いない。広告制作は広告媒体によって表現や戦略も大きく変わってくるが、これからは、従来のようにメディア単位で考えるのではなく、ターゲットの好みや属性に絞ったアプローチが必要とされる事であろう。私の最初に携わった広告は「新聞広告」である。良いコピーと良い写真をデザインする、シンプルだがとても奥の深い世界であった。ポスター、ラジオ広告、テレビ広告も経験したが、制作コンセプトはみな一緒で「誰に対して」「どのタイミングで」「何を伝えるか」ある。後は媒体の強みを生かした表現方法の違いだと思う。

July 8th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#045 広告におけるキャッチコピー・ライティング

広告でもっとも重大な要素を担うのが「キャッチコピー」であろう。デジタルサイネージでもキャッチコピーは広告の柱である。文章は大きなエネルギーを秘めている。例えば、好きな相手に自分の想いをしたためることもできるし、多くの人を励まし、勇気を与えることもできる。逆にたったひと言の文章で、人を深く傷付けてしまったりすることもある。文章だけで多くの人を騙すことも可能だ。文章には大きな力があるのだ。広告における文章は商品のイメージや売り上げにも直結する。コピーライターは憧れの職業だが、それだけで食べていける人はごくわずかである。コピーライターは「文学者」や「詩人」でもなければ、クリエイティブなアーティストでもない。コピーライターとは、人を説得して、人に商品を買わせる宣伝担当でしかないのだ。私はそもそもコピーライターではなし、私にコピーの依頼が来ることもない。しかし広告や映像全般に関わっていると、高いお金を出してコピーライターを雇えないことは頻繁に起こる。そんな時には「なんちゃってコピーライター」に変身しなければならない。なぜならクライアントや制作会社に「コピー」を任せると、最終的に自分が地獄を見るからだ。コピーのイメージを映像化してから「このコピー、おかしくない?」とか、ブレていき何度も振り出しに戻る事も多い。だから、「キャッチコピーは私が書く」というのではなく、決定する場所にはなるべく参加して表現を預かる立場からモノは申す。私の中で、あまり良くないと思うコピーの時には代案も提案する。もちろん却下させることが大前提でも揺さぶりをかけることで良い方向に向かえば良いのである。だが、説得力のあるコピーを書くのがいかに難しく、それは、詩、あるいは小説を書くのにも匹敵する。たったひと言で人の心を掴み、それが商品のストリーやコンセプトを見事に表現している。広告におけるキャッチコピーの書き方を指南した書物は世の中に多くあるで、勉強してみる事も大切かも知れない。だが、そこには多くのヒントは書かれていても、書き方は教えてくれない。音楽で言えば、「皆が好む良い曲を書く方法」という本を読んで、良い曲が書けるはずもなく、コピーにしても、音楽にしても、多くは高い技術を持っていなければカタチにはできないと思う。私が最初に手がけた新聞広告は UNHCR(国連難民高等弁務官)の難民に水を贈る支援活動の広告であった。もう20年以上前の話であるが、UNHCRからは現地のこども達の写真と、支援を呼びかけるキャッチコピーを使用するよう指示が出ていたが、私は取りあえず無視し、提出したのが「錆びたスチール製のバケツ」の写真1枚に「地球も人間も7割が水で出来ている」のコピーのみであった。どうせやり直しだろうと思っていたが、難なく採用されて、いきなり中央5紙に掲載されたのだからびっくりしたものだ。しかも、難民支援なのでギャラはお車代程度。これは如何なものか?昔読んだ本にコピーを書く極意が載っていた。それは「女性向け商品の広告を男性に書かせるな」であった。鋭い洞察であることは間違いない。しかし私が長い期間にわたり、多くの女性向け商品の広告を担当してコピーを書いて来たのも、紛れもない事実なのである。デジタルサイネージが広告媒体として、その地位を確立して来ている今、見せ方も含めデジタルサイネージならではのコピーのあり方も模索していかなくてはいけないと思う。

July 10th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#052 広告に必要なインサイトとは

最近、広告マーケティングに必要な考え方に「インサイト」という言葉をよく耳にする。消費者インサイト、ユーザーインサイト、顧客インサイトとも呼ばれるが、ここではインサイトと呼ぶことにする。「インサイト」とは直訳すると「洞察」や「物事を見抜く力」。マーケティングにおけるインサイトの意味は、「人を動かす隠れた心理」「モノを買う心理」を指していて、消費者自身も気づいていない無意識の心理を指している。無意識の状態ということで「潜在ニーズ」と混同されがちだが、これは正しいとは言え無いかも知れない。例えば、「綺麗になりたい」という顕在ニーズがあると仮定しる。なぜ綺麗になりたいのかさらに掘り下げると、「異性に好意を持たれたい」「自信を持ちたい」などといった理由の潜在ニーズが見えてくる。潜在ニーズは欲求があるのにそれに気付いていない状態を指し、それに対してインサイトはまだ欲求さえない状態を指しているのだ。私もサイトを運営している身として、常にマーケティングは考えなくてはならない。モノ作りは得意であるが、営業やマーケティングは、できればその道に長けた人にませたい人種である。しかし、このコロナ過の厳しい状況で贅沢を言っている場合では無い。自らが時間を惜しんで勉強し、最新のマーケティングを学ばなければ未来はない。と言うことで現在、「インサイト」を勉強中の身なので、「インサイト」とはこれだ。と言えるまでの知識や経験もない。そしてインサイトを学びながら感じてきた事は、大手企業も大手広告代理店も、この見えないユーザーの潜在購買意欲である「インサイト」を探し当てることに、やっきになっていて、本来伝えるべき「商品の価値」や「商品の性能」などが、おろそかにされていないか?という、基本的な疑問である。この記事を書く3日前に「全国の老若男女が選んだ・お菓子ペスト30」という番組を見た。「かっぱえびせん」や「かきの種」が上位に入っていた事に安心を覚えた。やはり良い製品は、長く消費者から愛されている。そこには、すでに「インサイト」も「広告戦略」も存在しないのかもしれない。しかし「かっぱえびせん」が発売した当時のキャッチコピーである「止められない、止まらない、かっぱえびせん」は、広告界で模本のキャッチコピーであるし、そこには「インサイト」も含まれている。デジタルサイネージのデザインでもキャッチコピーでも、そしてサイトのマーケティングでも、この「インサイト」の考え方は重要だと思っている。現在勉強中ではあるが、明確な答えの無い心理学的な分野でもあるので、迷宮にはまらない程度にしておこう。

July 27th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#055 広告の3原則

デジタルサイネージの広告に限らず、全ての広告に当てはまる「広告の3原則」が存在する。もちろん諸説あるので、違う考え方もあるだろう。有名なのは、マックスウェル・サックハイムというマーケッターが提唱した、『消費者は広告を「読まない(見ない)」「信じない」「行動しない」』である。これは広告を制作する3要素ではなく、あくまでも広告マーケティングにおける考え方だ。また、広告には定義も存在している。たとえば医薬品などの広告規制は、厚生省によると、1、顧客を誘引する(顧客の購入意欲を昂進させる)意図が明確であること。2、特定医薬品等の商品名が明らかにされていること。3、一般人が認知できる状態であること。の3要素を満たすモノが「広告」とされてきた。しかし現在は、この3要素を満たさなくても、「お客側が広告と判断したらその時点で規制対象広告になる」との考え方に変わっている。医薬品意外でも過度な表現で問題になるケースもあるので注意したい。では、この「読まない(見ない)」「信じない」「行動しない」との消費者の心理を揺らし、「読む(見る」」「信じる」「行動する」へと導くためには、何が必要であろうか?言い換えれば広告の3原則とは、「誰に対して」 「どのタイミングで」「何を伝えるか」になってくるのではないだろうか。ターゲットを絞り、ターゲットが必要とするタイミングで、ターゲットにメリットや問題解決を与える広告。言葉で言うことは簡単だが、これが広告制作で最も難しい3原則であろう。また、「商品をアピールするのではなく、ストーリーを語れ」とも言われる。これはこれで難しいマーケティング戦略である。現代は広告で溢れている。そんな中で暮らす現代人にとって、広告とは、もはや空気のような存在だ。その中でもデジタルサイネージは、いまのところ注目を集めている広告媒体ではあるが、WEB広告やSNS広告が、広告の大半を占めてきた現代、広告の3原則も時代に合わせて進化しなければ生き残れないのであろう。

August 5th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#063 ダイレクトマーケティング「40-40-20の法則」

以前にマックスウェル・サックハイムの「広告の三原則」に触れたことがあるが、ダイレクトマーケティングにおいて常識になっている法則もある。それはエド・バーネット氏が提唱した「40-40-20の法則」である。これは「ターゲット」「商品価値」「デザイン」の重要性を数値化したもので、ターゲットと商品価値がそれぞれ40%で、デザインが残りの20%にあたる。まずは「ターゲット」である。全ての商品やサービスにはターゲットにすべき相手が存在する。適切なターゲットに広告を打てば、販促につながる確率は高くなるはずである。次に「商品価値」だが、適切なターゲットに広告を打っていても、商品やサービスに「商品価値」を持ってもらえなければ、販促につながるどころか、反応すらしてもらえない。ターゲットが抱えている「問題の解決」や「欲求の充足」を満たし価値を与えるような情報の提供が重要だ。デザインはその次に来る要素でしかない。そしてこの「40-40-20の法則」は集客人数が多くなるほどその差は広がっていくので、デザインの重要性は相対的に小さくなっていく。だからと言ってデザインにこだわらなくても良いわけではない。こピクトパスカルはデジタルサイネージのコンテンツを商品として販売しているので、「デザイン」を「販売」しているに等しい。同じ意味で、優れたデザイン性の商品やサービスも世の中には溢れている。しかし私が広告デザインの依頼を受けた場合は、やはりクライアントに「ターゲット」と「商品価値」を確認してから、デザインやキャッチコピーの制作に取り掛かっている。商品によっては広告のデザインも重視するターゲットも多くいるので、やはり広告はデザインも重要である。「40-40-20の法則」が教えているのは、クライアントがしっかりと「ターゲット」と「商品価値」を考えた広告を作る必要性で、この2つがしっかりしていれば、良い広告デザインに越したことはないと思う。時代の流行りや、その時代の広告戦略もあるが「良い広告」を生み出すのには、やはりよいものに触れ、よい文章に触れ、良い音楽に触れ、感性を磨き続けるしか無いのであろう。広告業界では「よく仕事ができる人は、よく遊ぶ」と言われるが、遊びながら感性を磨いているのである。私に感性が足りないのは遊んでいないからだ。子供の教訓でも「よく遊び、よく学べ」という。今の大人達に欠けているのは、遊ぶセンスではないのか。ああ遊びたい、ああ仕事したくない。

September 5th, 2020 Toyosaki’s blog