デジタルサイネージとアーティスト

デジタルサイネージでコラボしたいアーティストや
アーティストの思い出


そもそも、このデジタルサイネージのサイトを立ち上げた最大の目的は
アーティストとのコラボと、若いクリエイターに活躍できる場を提供することである。
その道のりは険しく遠いいが、楽観主義をモットーに前三後一で進んで行きたい。
ここでは、実際に私が仕事をご一緒させて頂いたアーティストや、その作品で出来る
デジタルサイネージのコンテンツなどアイデア。遠い将来に描いている
デジタルサイネージ・コレクションとデジタルサイネージ・プラットフォームなど
デジタルサイネージとアーティストについて綴ります。


ブログ#031 デジタルサイネージとサンドアート

 みなさんは「サンドアート」をご存じであろうか?「砂の芸術」といえば、鳥取の「砂の美術館」を想像する人もいるだろう。ここは世界初、「砂」を素材にした彫刻作品を展示する美術館として有名だ。長い年月を経て自然によって作り出された「鳥取砂丘」を象徴する意味でも貴重な美術館だと思う。しかし私は言っているサンドアートとは彫刻では無く「砂の絵」である。単純に砂で絵を描くだけでは無く、ストリーや音楽に合わせて画いては消し画いては消して物語を進めていく。その場面展開は美しく、アートそのものである。その存在は知っていて海外のアーティストが有名であった。私とサンドアートとの出会いは2005年の夏に新・江ノ島水族館のデジタルサイネージを担当したときである。デジタルサイネージといってもプロジェクション・マッピングで、「ウミガメの砂浜」と呼ばれる屋外エリアをマッピングして欲しいとの要望であった。本当の砂浜や池などに何を投影したらよいか悩んだ末、砂浜なのだから、そこに「砂の絵」を描いてしまおうと思ったのである。私の発想は何時も単純である。

 そして日本人のサンドアーティストを全て調べて依頼したのが、サンドアーティストの伊藤花りんさんであった。水族館の意向もあったので、私が演出と音楽を担当し、花りんさんに砂絵を描いてもらった。そしてその年の夏にはアオウミガメの生態をストーリーにした「ウミガメの夢」とクリスマスには、海中のクリスマス・ツリーを探す冒険「海からのプレゼント」の2作品が公開され好評を得た。その後、花りんさんとのお仕事は続いてバンドのMVやイベント、自主発表会など多くの仕事に携われた。いつがデジタルサイネージ用にオリジナルストリーのサンドアートを作りたいと相談もしているが、まだ実現できていない。サンドアートの作品を色々な場所のデジタルサイネージで配信したいとの想いは変わっておらず、静かに時を待っている。サンドアートには見る人を包み込む不思議な魅力が詰まっている。サンドアートに興味のある方は検索してみて欲しい。美しいアナログの力に魅了されることだろう。

June 05th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#042 障がいを持ったカメラマン

 今日は、私の心に残っているカメラマンを紹介したい。1959年山梨県生まれ、山梨県南アルプス市在住の名執弘人(ナトリヒロト)氏である。彼との出会いは1998年の夏である。私が山梨で行われた大きなイベントの演出を担当させて頂いた時に、そのイベントの記録写真を担当していたのが、重い障がいを持った名執氏であった。松葉杖を突いてゆっくりと練習会場に入ってきた名執氏はカメラバックを開き撮影の準備を始める三脚を据えてカメラをセットするまでに優に30分は掛かっている。そして一度決めた場所からは離れない。会場の片隅で何枚の写真をとったのであろうか?私は演技指導をしながらも、いつも名執氏の存在を確認していた。山梨に通い続けて5ヶ月。ようやくイベントの構成が固まった。吹奏楽団の演奏をメインにしたシーンで山梨の歴史や自然など、写真をスライドにして投影する事が決まった。

 山梨で暮らす多くの方々に参加して頂くのがイベントの趣旨だったので、写真も公募となり多くの方から集まってきた。1枚1枚紙焼き写真を拝見して行く中に、現像された36枚撮りのポジフィルムが入っていた。フィルムを広げて愕然としたのは、何と36枚の写真が全部、異なった場所で撮影されているのである。アングルやサイズを変えているのでは無い。ひとつの場所で一度だけシャッターを切り、別の場所に移動してそこでも1枚のみ撮影をする。これを36の場所で撮影された1つのフィルムが目の前にある。ポジフィルムの写真は肉眼では判断できない。しかし、そう言う人もいるかも知れないと思い、ライトテーブルとネガ用ルーペを持参していたので問題無く拝見できた。感動!1枚1枚が本当に素晴らしい作品であった。当初は応募してくれた作品の中から、少しでも多くの方が撮影した作品を投影したいと思っていたが、このポジフィルムのみで私の持っていたシーンのイメージは完結してしまった。主催者を説得してこの写真だけ使用する事で了承を貰った。どんなカメラマンの方なのか、挨拶とお礼を言いたいので是非会わせて頂きたい旨を主催者に申し出た。その1時間後にそのカメラマンが演出室入ってきた。名執氏であった。全てが一瞬で繋がった。名執氏と懇談した際にこの36枚撮りのフイルムを一本撮るのにどれ位の時間が掛かっているのかを聞いた。返答は1ヶ月掛かったのこと。撮影場所に行くのに数時間。ポジションを決めセッティングするのに1時間。シャッターチャンスを待つこと数時間。一度シャッターを切ったら、その場の撮影は終了、一日が終わる。今のデジカメの世界では無いので現像するまで作品は確認出来ない。その場でテスト撮影して露出やシャッタースピードも修正出来ない。それなのに36枚のフィルムの全ての写真が素晴らしかった事は、私にとって奇跡でしかない。

 イベント終了後の翌年、まだまだ無名の名執氏の写真を多くの人に知って貰いたく、ある月刊誌でカラー8ページの特集を組んで貰った。写真のチョイスや写真のキャプションなどを相談しに名執氏と再会。「基本的には全て任せます」とのこと。出来上がった雑誌の特集は好評を得た。随分疎遠になっていたが、デジタルサイネージのサイトを立ち上げた時に、名執氏の写真作品を是非デジタルサイネージのコンテンツとして売り出したいとの思いから、久しぶりに連絡を取った。重い障がいに併せて事故による怪我など、状況は厳しさを増していた。彼の作品には力があり、人の心を揺さぶる。もっと多くの人に彼の写真を見て頂きたい。しかし、まだまだ私もピクトパスカルも微力であることが悔しく情けない。何としても、このウィズ・コロナを克服してデジタルサイネージ事業を前に進めていこう。名執氏の著書に「障害があるから、見える世界もある」があるので、興味がある方は読んで頂きたいが絶版でなかなか手に入らないのが残念である。

July 3rd, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#047 デジタルサイネージとペイント・アート

 私がデジタルサイネージのコンテンツに加えたいアート作品に「ペイント・アート」がある。いちがいに「ペイント・アート」と言っても、色々な表現方法があるので出来上がる作品は様々だ。私が一緒にコラボしたいのは、ペイント・アーティスト・Roccó Satoshi(ロコ・サトシ)さんである。ロコさんは、横浜を拠点に活動しているペイント・アーティストで、彼との出会いは1983であるから四半世紀前にさかのぼる。ちなみにロコさんは、自身を「ペイント・アーティスト」ではなく「ウォールペンター」と表現しているが、ここでは「ペイント・アーティスト」として綴らせて頂く。ロコさんが創作のキャンバスに選んだのが、東急東横線の高島町駅から桜木町駅までの東横線のガード下であった。およそ1.3km続く一直線のガードは、当時、横浜の人からは「横浜の万里の長城」と呼ばれ、その1.3kmのガードの壁は、目の前の国道16号を走る車の排気ガスで真っ黒に汚れていた。ガード下にあったのは、現在の「みなとみらいに」抜けられる2つのトンネルと高架下に無理矢理作った2つの古い工業事務所だけであった。ロコさんは1970年代後半から、このガードをキャンバスとして絵を描きはじめる。白いチョークだけで描いたシンプルなグラフィティーであった。

 1983年に、たった2カ所しかなかった事務所をドラムの練習場所として借り、ガードの下で暮らしはじめたのが19歳の私であった。最終電車の桜木町で降りて、ガードを歩いて自宅に向かう間、数回ロコさんを目撃した。普段は1日で数人しか通らないこのガードがロコさんの「安全」なキャンバスで、もし訴えられれば犯罪に値する為、ロコさんの創作活動はいつも深夜であった。私もロコさんが私に警戒している事を察し、無理な接触を避けていた。アイコンタクトのみで、いつも応援をしていた。その後、ロコさんはアーティストと認められ1989年の横浜博覧会、1992年サンディエゴ・横浜現代美術館、アメリカ西海岸の壁画制作など、活躍の場を広げていった。このころロコさんの画風がニューヨークで活躍するキース・ヘリングに似ている事で「パクリでは?」との話も出たが、ロコさんはキース・ヘリングよりも10年以上前に画風を確立しているので、この場でパクリでは無いと否定しておく。そしてロコさんの活躍により、我が古巣の桜木町のガード下も横浜市から認められ、スプレー・アーティスト達のキャンバスとして提供される。

 しかし、ここでも問題で起こる。人の作品の上に平気で上書きが始まった。それも優秀な作品の上に醜い暴力的な作品を書いたのである。公のキャンバスなのでルールはアーティストのモラルに任せるしかない。そして桜木町のガード下は、一度、全ての絵が消され、真っ白いキャンバスにされてしまった。これは、日本の社会全体の問題だと考えなくていけない。少なくても私はそう考える一人である。学校、家庭、街、これらが三位一体となって少しずつ変えていくしかないであろう。経済成長のみを重視してきた日本社会のひずみが、今その膿を溢れ出して、それが特に若い世代の生活と身体と精神を蝕んでいる。そして現在のウイルスや自然災害との戦い。すべてが子供達の自由な精神と可能性を奪っている。このガード下を復活させる事は、この街づくりに大きな意味を持つはずである。街の、地域のコミュニケーションの場になりえるはずである。現在このガードは東横線が地下に潜り、電車は通っておらず、遊歩道として開発が進められている。再びキャンバスとしてアーティストに開放される日が来ることを望んでいる。そして私はデジタルサイネージを通して、ロコ・サトシさんのこれまでの活動や作品を多くの人に知ってもらいたいと思っている。近い将来、ロコさんとの再開が楽しみである。

July 15th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#048 悪魔が作った楽器・バンドネオン

 デジタルサイネージは映像配信を目的にしたメディアである。そこには当然音楽やナレーションなどの「音声」も含まれる。このサイトも動画には音楽を着けてあるし、選曲にも私なりのこだわりがある。曲のほとんどは海外のミュージック・ライブラリーから購入している。本来であればオリジナルを制作し、サウンド・クリエイター達にも加わってもらいたい。しかし残念ながら、まだそれが出来る環境が整っていない。そんな状況であるが、私の中でどうしてもコラボしたいアーティストがいる。それは、バンドネオン奏者の小川紀美代さんである。

 小川さんは世界でも数少ない女性バンドネオン奏者のひとりで、2003年にはアルゼンチン最大の音楽祭である「コスキンフェスティバル」に日本代表として参加している。私が小川さんと出会ったのは2017年に行われた元宝塚歌劇団の大空ゆうひさんのコンサート映像演出を担当した時であった。演奏そのものも素晴らしかったが、そのチャーミングな人柄に惹かれ、それ以降ご一緒させて頂いている。特に2018年にはブエノスアイレスにて、バントネオンの神様と讃えられているアニバル・トロイロが実際に使用した愛器(アルゼンチン国立タンゴ博物館所蔵)でレコーディング。その後トロイロの孫であるフランシスコ氏と共にトロイロのバンドネオンで日本ツアーを行った。また、アニバル・トロイロのドキュメンタリー映画「Pichuco」の日本語字幕版を制作。コンサートと映画上映による企画でタンゴ、アルゼンチン文化の普及に尽力した。このコンサートの映像演出と映画の字幕制作も楽しい思い出だ。

 バンドネオンはタンゴの伴奏が一般的なイメージだが、「悪魔が作った楽器」と呼ばれるほど複雑な演奏方法が必要で、重さも8キロもある楽器である。キャシャな小川さんが縦横無尽に楽器を操る姿も魅力のひとつだ。そして小川さんの真骨頂はオリジナル曲である。本年制作された「Infinity(無限大)」は全曲オリジナル・ソロ演奏で、バントネオンのCDとしては珍しい。このオリジナル曲でデジタルサイネージ用の動画コンテンツを制作したいのである。もちろん小川さんの「音」へのイメージを壊してはいけないので、制作は大変だと思う。しかし音楽に映像を着ける作業もまた楽しいのである。普段は「きみちゃん」と呼ばせて頂いている。きにちゃんに音楽制作のポリシーを聞くと「聞いている人を裏切り続けて、最後は自分も裏切って終わる」と笑う。そして、きみちゃんの家には、冷蔵庫、テレビ、洗濯機、掃除機などの家電がない。そんな不思議でチャーミングな女性と親しくさせて頂ける私は幸せ者である。

July 17th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#061 盲目の天才ピアニスト辻井伸行を育てた母

 最近YouTubeではまっているのが、盲目の天才ピアニスト 辻井伸行である。2009年6月に行われた第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで日本人初の優勝を手にする。それ以来、国際的に活躍しているアーティストで現在まで31枚のアルバムを出している。辻井くんは1988年東京出生まれる。出生時から眼球が成長しない「小眼球症」と呼ばれる原因不明の障害を負っていた。その辻井さんの才能を見抜いたのが、母・いつ子さんであった。いつ子さんが辻行くんの「耳の良さ」に気づいたのは生後8ヶ月頃であったらしい。ショパンの「英雄ポロネーズ」のCDをかけると。曲の盛り上がる場所に来と、決まって辻井くんは伏間を足で蹴ってバタバタとリズムをとるのであった。そしてそのバタバタは演奏と見事に合っていたという。あまりにも毎日聴きすぎて、CDが傷つき壊れてしまった。いつ子さんは辻井くんの喜ぶ顔が見たくて、同じ曲の入ったCDを買い辻井くんに聴かせた。しかし辻井くんは全く喜ばなかった。理由はCDの演奏者が違っていたからであった。前と同じCDを聴かせると、辻井くんは再び足をバタバタさせたという。辻行くが好きだったのは「英雄ポロネーズ」では無く、「ブーニンが演奏する英雄ポロネーズ」だったのだ。

 それ以来、子どもに眠る「何か」を見つけるため、日々「観察」するいつ子さんは、何度か辻行くんの「耳の良さ」を気づかされ、この子には「音に関する特別な才能」が眠っているのではないか。と想うようになる。そしてその想いが、この後の子育てにおける、一筋の希望の光になったと語っていた。母・いつ子さんばかりが、辻井くんの才能を見抜いて育てたイメージがあるが、決してそんな事は無いであろう。辻井くんの父・孝さんは、辻井産婦人科の院長先生だ。余談だが辻井産婦人科は我が家から一番近い産婦人科で、ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝した時は、辻井くんって辻井産婦人科の院長先生の息子らしい。と地元では大変な盛り上がりをみせた。ハンディを持った辻井くんの優勝は地元の誇りとなったのである。なので、私は今でも「辻井大先生」を「辻井くん」と呼ぶ。でも何故か私の二人の息子は辻井産婦人科では出産していない。父・孝さんは、いつ子さんとは違って、一歩引いたところで息子の将来を案じ、自立への道を探ったらしい。常に冷静沈着でとても厳しい父親だったそうだ。辻井くん自身も「僕を一番サポートしてくれたのは母だけど、陰で支えてくれたのは父でした。」と語っていた。

 辻井くんの演奏も本当に素晴らしいと思うのだが、私は演奏が終わった時に、腰を90度に曲げてお辞儀をする姿に心が打たれる。超一流の人物は人間性も一流であると感じるのは私だけではあるまい。日本を代表するピアニスト・辻井伸行の活躍を期待して止まない。我が子の才能を伸ばしたい方、まだ間に合いそうな方は、いつ子さんの「わが子の才能を引き出し、伸ばすか」の公式サイト「辻井いつ子の子育て広場」もあるので参考にして欲しい。私はもう間に合いません。子育て惨敗です。デジタルサイネージでも子育てコンテンツとか考えてみようか。

August 28th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#073 デジタルサイネージと「鬼滅の刃」

 今、爆発的な人気アニメである「鬼滅の刃」。社会現象とまでなっているこのアニメの魅力とは、一体何であろうか?ファン待望の劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』が、2020年10月16日に公開され、好評を得ている。実はこの「鬼滅の刃」、テレビ放送が始まった時に存在を知った。ある有名ゲームメーカーの展示会のデジタルサイネージで、この「鬼滅の刃」の編集のお仕事を請け負ったのだ。そんなに大変な仕事ではなかったが、この「鬼滅の刃」の予告編を見て、普段はあまりアニメに興味のなかった私でも、このストリーはどう展開していくのであろうと興味を持ったことを覚えている。そんな時に、私がお世話になっているナレーターの中川奈美さんのSNS記事を目にすることになった。奈美さんは、この数年間、私が最も信頼してナレーションをお願いしているが、実は歌手であり俳優でありと様々な活動をしている。本業は歌うことなのであろうが、その「声の力」はナレーションでも本領を発揮できる。奈美さん以外にもデジタルサイネージのナレーションで協力して頂いている。彼女のブレーンも素晴らしい人材が多い。

 実は私、ナレーターから、自分の呼吸、間、抑揚などに合わないと厳しいダメ出しをする「鬼」と呼ばれていた時期がある(今はそんなにしていません)。「鬼滅の刃」であれば「十二鬼月」に入るかも知れない。そんな中で、中川奈美さんはピカイチな存在であった。奈美さんのSNSには「鬼滅の刃」の挿入歌のコーラスを任されたことが綴ってあった。その時、奈美さんに「俺も鬼滅、ちょっとだけやったよ」と話したら、すごく喜んでくれて、鬼滅への入れ込みも感じられた。そして最近嬉しいニュースが飛び込んできた。鬼滅の主題歌、LiSAの歌う「紅蓮華」の大ヒットは皆知るところだが、実はアニメの挿入歌に「竈門炭治郎のうた」という歌がある。この歌を任されたのが奈美さんであった。詳しい経緯は聞いていないが、人気アニメの挿入歌を歌うということが、どれだけ難しく、素晴らしいことか。そして、10月27日発表の最新「オリコン週間デジタルシングル・ランキング」で、「竈門炭治郎のうた」が堂々の3位を飾ったのだ。週間DL数1.8万DL。「素晴らしい。おめでとう。」と奈美さんにメールすると、こんな言葉が帰ってきた「これで、少しはお役にたてるようになってきましたでしょうか?」と。声の力も素晴らしいが、人間としての魅力が溢れている、素晴らしいアーティスト、素敵な歌姫である。

November 4th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#088 デジタルサイネージとルネ・グリュオー

 イタリアを代表するイラストレイターであるRene Gruau(ルネ・グリュオー)は私が尊敬するアーティストのひとりである。ルネ・グリュオーは、20世紀のファッションとコスメティック業界で、数々のビジュアルを創作したことで有名なイラストレーターであり、ディオールの広告やファッション誌ヴォーグの表紙を手がけた。特にクリスチャン・ディオールとのコラボにより数々の傑作を世に生み出した。また、ファッション画だけでなく、香水、化粧品、装身具のためのイラストレーションなど、作風は、とにかく洗練された美しさで、まさしくエレガントなのだ。私がルネ・グリュオーの存在を強く意識したのは、20年ほど前に、パリにある伝説のキャバレー「LIDO」を見た時であった。

 「LIDO」を見たのは舞台演出を勉強するためで、その斬新かつ奇抜なアイデアと世界トップのエンターティナーが作り出すエレガントなショーは、世界中から人を集めている。今はコロナで世界中のエンターテインメントが危機にさらされている。このエレガントなキャバレ「LIDO」のポスターやパンフレットのデザインをしていたのが、ルネ・グリュオーであった。ルネ・グリュオーのリトグラフはあまり出回っていなく、日本でも数点の画廊にしか置いていなかった。色々と探し回り「LIDO」のポスターを2枚と、女性のイラスト1枚の計3点を購入できた。「LIDO」の2枚は手放し、1枚だけが手元に残っている。作品集は10冊ほど残っているので、これからもデジタルサイネージのデザインに役立てていきたい。とにかくシンプルで美しいラインを基調とした作風は、若いクリエイターにも学んでいただきたい。アナログのイラストレイターの最高峰であるルネ・グリュオー。残した一枚のリトグラフは私の遺影の横に飾ることにしている。

January 13th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#116 「蘇州夜曲」と「ある晴れた日に」

 例年よりも随分と早く桜が満開となり、すでに散り始めている。コロナの影響で、私は毎年この季節に散る桜を見ながら必ず聞く曲が2曲ある。それが「蘇州夜曲」と「ある晴れた日に」である。そして、いずれの曲もデジタルサイネージのコンテンツ制作に大きな影響を与えた曲である。「良い音楽を聞くと良い風景が浮見えてくる。良い風景を見ると良い音楽が聞こえてくる」とはよく言ったものである。

 「蘇州夜曲」は1940年に発表された、西條八十作詞、服部良一作曲の歌謡曲である。この曲をカバーした歌手は何人いるのだろうか?ざっくり上げても50人は下らない。全ての歌手を聞いたわけではないが、私のお気に入りは、2003年に発売されたアン・リーのアルバム「moon dance」に収録されている「蘇州夜曲」である。ピアノとギターの伴奏がアン・サリーの魅力を際立たせる。特にピアノのフェビアン・レザ・パネは、まさに散る桜の花びらが「音」乗り移ったかのように美しい旋律を奏でるアーティストである。

 そして、「ある晴れた日に」はプッチーニのオペラ《蝶々夫人》の第二幕のアリアである。これはやはり、オペラ界の大スターである、マリア・カラス/ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/ミラノ・スカラ座管弦楽団が私のベストである。オペラは、日本の長崎を舞台に、没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を書いた作品で、初演は1904年2月17日イタリア・ミラノのスカラ座であったが、大失敗に終わる。改訂版の上演は3か月後の同年5月28日、イタリアのブレシアで行われ、大成功を収めた。その後、ロンドン公演、パリ公演とプッチーニは何度も改訂を重ね、1906年のパリ公演で使用された第6版が、21世紀の今日まで上演され続けている決定版となっている。

 何故、この2曲が私にとっての「桜」の代表曲になったのかはよくわからない。「蘇州夜曲」を聞き始めたのは東日本大震災の翌年だったと記憶している。震災の取材に訪れた気仙沼の「桜」と曲が重なったのではないか。「ある晴れた日に」を聞き始めたのは、たしか20年前頃だったと記憶している。目黒川の「桜」と「ある何か」が「ある晴れた日に」と重なったのだと思う。「ある何か」は未だにわかっていないが、今年もまた「蘇州夜曲」と「ある晴れた日に」に耳を傾け、散る「桜」に想いをはせた今日であった。明日から4月。清々しい気持ちで進んで行こう。

March 31th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#117 トゥールビヨンはアートだ

 最近はデジタル・ダイエットを意識しているせいか、アナログのアイテムがやたらと気になっている。そのひとつが「トゥールビヨン」である。腕時計界には「世界三大複雑機構」と称されるものがある。長期間に渡ってカレンダー調整が不要な「永久カレンダー」、ゴング音が時刻を知らせる「ミニッツリピーター」、そして「トゥールビヨン」の3つである。これらは技術レベルの高い、限られたメーカーのみが製造できるメカニズムのため、希少かつ高額な商品となっている。まず「トゥールビヨン」が開発された背景だが、発明者はフランスの天才時計師、アブラアン-ルイ・ブレゲ氏で、数々の革新的な懐中時計や置き時計を生み出し、“時計の歴史を200年進めた”と称えられている時計師だ。

 彼は時計の各パーツが受ける重力の影響を均一化することによって、時計がどんな状態でも安定した精度を保てないか研究した。そしてトゥールビヨンを考案し、1801年に特許を取得している。この複雑機構は総じて部品の数が多く、精工さが求められる。さらに熟練の時計師が時間をかけて組み立て、デリケートな調整も要求されるのだ。とくに懐中時計時代において高精度を実現する有効なシステムとして重宝され、1930年代には腕時計サイズまで小型化することに成功した。

 トゥールビヨンとはフランス語で“渦”を意味し、辻風や竜巻などを表す際に用いられる。ずばりその名の通り、渦を巻くように回転することからこう命名されたのだ。ではムーブメント内のどこが渦を巻くかというと、通常は個々で独立しているテンプ、アンクル・ガンギ車など脱進機と調速機をカゴ状のパーツにまとめた「キャリッジ」(画像中央部)と呼ばれる部位である。まさにトゥールビヨンとは「重力分散装置」なのである。ここまでくると時計ではなく「アート」、時計職人ではなく「アーティスト」と呼んでも良いだろう。

 いつか、この美しい「トゥールビヨン」を撮影したデジタルサイネージのコンテンツを作りたいと思っている。ライティングだけで十分にアート作品となるアイテムである。ターンテーブルと接写レンズで撮影したマクロの世界は、ずうっと眺めていても飽きのこなく、それでいて周囲の環境の邪魔もしない存在になるであろう。写真のモデルは、クラシック トゥールビヨン エクストラフラット スケルトン 5395CLASSIQUE TOURBILLON EXTRA-PLAT SQUELETTE 5395で、お値段¥28,655,000。我が家を売ったら買える金額だ。しかし、私は腕時計をしない主義なので、購入する予定は皆無である。決して時計としてのデザインは好きではないし、スケルトンにして見せる必要もないと思っている。私が美しいと感じるのは、アナログの機械が時を刻む営みである。アナログの力を沸々と創り出す重力分散装置なのである。

April 4th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#122 デジタルサイネージとモナリザ

 日本でレオナルド・ダヴィンチの名作「モナリザ」が展示されたのが、1974年の4月から6月までの東京国立博物館であった。10歳だった私は、父に連れられて上野の東京国立博物館まで観に行った。本館1階正面奥の特別5室を4列でゆっくりと進んで行く決まりで、決して「モナリザ」の前で止まってはいけない。何時間も待たされて、「モナリザ」と面会できたのは30秒程度であった。その時の印象は、何でこんな絵画一枚に大人たちが大騒ぎしているのか、全く理解できなかった。

 ダヴィンチの名作「モナリザ」は、絵画史上最も謎に満ちた作品として取り上げられてきた。本当のモナリザはどんな女性だったのか?ダヴィンチとの関係などミステリー好きな人達により、様々な番組として世に送り出されていし、映画や小説にも多く取り上げられている。レオナルド・ダヴィンチはアーティストであり、画家であり、科学者であり、物理学者である天才だ。でも私はあまり好きではない。なんでもできる人って何か魅力を感じない。多くはできないけど、これだけは誰にも負けない。そんな不器用な人間に惹かれてしまう。

 本物の「モナリザ」はパリのルーブル美術館にあるが、ルーブル美術館は本年3月31日に、48万2000点を超えたすべての所蔵品を無料で公開するオンライン・コレクション・データベースを開設した。また、同館のウェブサイトもリニューアルオープンした。4KモニターやHDRモニターの出現で、より本物に近い絵画がネット上で閲覧できる時代となった。デジタルサイネージでも、こうした絵画などのコンテンツは増えていくだろう。しかし本物には敵わない。私が10歳の時に見た「モナリザ」は、やはり本物の「モナリザ」であったのである。

May 2nd, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#123 デジタルサイネージとクロード・モネ

 私がクロード・モネの「睡蓮」を鑑賞したのは2002年に千葉にあるDIC川村記念美術館の「モネ展 “睡蓮の世界”」であった。日本人はモネが好きらしく、その後も日本では何回も「モネ展」が開催されてきた。

 クロード・モネの作品といえば「日傘をさす女性」も有名だが、私は圧倒的に「睡蓮」の方が好きである。この時はモネの「睡蓮」がメインの作品展であった。川村記念美術館の特徴のひとつが、北総台地の自然と調和した庭園だ。里山の地形を生かした緩やかな起伏のある敷地内には、木立の中を縫う散策路や千葉県の在来植物が茂る小道、モネの作品を思わせるスイレンの池などがあり、緑豊かで穏やかな景色が広がっている美術館である。人気のモネ展であったが、その日は来館者も少なく「モネの睡蓮の世界」をゆっくりと鑑賞できた。

 モネが「睡蓮」を題材にして描いた作品は250点以上にのぼるらしい。私はモネの作品集は1冊しか持っていない。オランジェリー美術館の元所長であるピエール・ジョルゲルによって設計されたクロード・モネの睡蓮に関する作品集だ。睡蓮の時期にはまだ早いが、今日は子どもの日である。大人のデジタルサイネージは忘れて「モネの睡蓮」の世界に微睡みたくなってしまった。理由ははっきりとわからないが、「モネ展」に一緒に行った「日傘をさす女性」を思い出したからであろう。

May 5th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#124 デジタルサイネージとゴッホ

 フィンセント・ファン・ゴッホという画家の生涯は波乱に満ちていた。昨年公開されたゴッホの映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」でもその生涯が描かれている。ゴッホは数多くの名作を世に残したが、日本ではゴッホといえば、生前、描いた絵が一枚しか売れなかった、もしくは一枚も売れなかったとよく紹介される。絵に人生を捧げた破天荒な兄ゴッホと、それを温かく見守り経済的支援をいとわなかった弟のテオ。日本では美しい兄弟愛というストーリーの伝記も多い。ゴッホの絵画作品と書簡はテオの妻、そしてその息子へと引き継がれ、ほとんどの作品は散逸を免れて、最終的にはゴッホ美術館に収まり、現在に至っている。つまり、昔も今も、ゴッホの絵はほとんど売られてはいなかったのである。おかげで、どんなに莫大な価格がつけられても、売られることのない名画コレクションとなったのだ。

 私が好きなゴッホの絵に「星月夜(ほしづきよ)」がある。この「星月夜」はゴッホが精神病院に入院中に描かれた作品だ。1888年12月23日、フランス南部のアルルで、ゴッホは自身の左耳を切断する事件が起こる。本格的にゴッホの精神状態がひどくなってきたため、翌年の1889年5月に、サン=レミのサン=ポール療養院に自主的に入院することに決めた。ゴッホは2階建ての寝室だけでなく、絵画のアトリエとして1階の部屋も自由に使うことができ、かなり快適な環境だったため、入院先として選んだといわれている。入院している間、ゴッホはここで精力的に絵を描く。この時代に最も有名な作品を数多く産みだしている。その1つが「星月夜」である。ほかに1889年5月に「アイリス」1889年9月に「青い自画像」を制作している。

 「星月夜」は、病室から見える景色を眺めながら描いた幻想的な絵だ。ゴッホは夜空を、さまざまな青で表現している。深い青もあれば、淡い青もある。黄色味を帯びた穏やかな青もある。とても青が美しい夜空だ。ゴッホの絵の特徴である、渦やうねりは自然の持つ生命力を見事に表現していると私は想う。この作品は実寸で縦73.7cmなので60インチの4Kや8Kの綺麗なデジタルサイネージで映せば、実寸大で筆のタッチやディテールが伝えられそうだ。無論、本物を見ることに勝るものはない。「星月夜」は今、ニューヨーク近代美術館が所蔵している。いつかは訪れたい美術館である。

May 9th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#125 デジタルサイネージとシャネル N°5

 今年2021年は、ココ・シャネルが亡くなってから50周年であり、シャネルのアイコン・フレグランスである「シャネルN°5」が誕生してから、ちょうど100周年にあたる記念すべき年である。ブランド品にもフレグランスにも一切関わりのなかったこの私が、世界的ブランドであるシャネルに関わったのは20年以上前のことだ。新作のフレグランスのプレス発表イベントの映像や百貨店のシャネルブースのデジタルサイネージであった。10年近くお世話になり多くのことを学んだ貴重な体験であった。

 「シャネルN°5」誕生100週年を記念して、10月1日にガリエラ宮パリ市立モード美術館で、「Gabrielle Chanel. Fashion Manifesto(ガブリエル・シャネル、ファッション・マニフェスト)展」の開催が始まった。しかし、フランスの2回目の外出制限措置に伴い美術館は閉鎖され、展覧会を見ることができないという残念な状況になってしまった。コロナでもなく、時間とお金に余裕があればぜひ行きたかった展覧会である。

 これまで「シャネル N°5」は、世界中の色々な分野に多大な影響を与え続けてきた香水である。1954年、「シャネル N°5」は、MoMA(ニューヨーク近代美術館)の永久収蔵品となる。フレグランスがMoMAに収蔵されるのは「シャネル N°5」が世界で初めて。「シャネル N°5」とクリエイティブは密接な関わりを持ち、多くの映像の巨匠たちや芸術家、特にアンディ ウォーホルなどにインスピレーションを与えたといわれる。また、TV業界にも影響を与えた。“世界で初めて”TVコマーシャルフィルムに登場した香水が「シャネル N°5」であった。マリリンモンローが、ベッドでは何を着ているかと聞かれて、「寝るときにまとうのは、シャネルの香水、N°5だけ」と答えたあまりにも有名なエピソードはもはや伝説と化している。

 誕生から100年経ったいまなお愛され続ける「シャネル N°5」の秘密と魅力とは?新ムービー「インサイド シャネル」では、おしゃれな映像とともに「シャネル N°5」の名声を振り返ることができるで、ぜひ見ていただきたい。

 私の手元には「シャネルN°5」は勿論、メンズのフレグランスまで、歴代すべてのフレグランスが全て残っている。撮影用に揃えたものなので今後使う予定はない。シャネルやココ・シャネルに関する書物や非売品ノベルティーなどもダンボール一箱分はあるだろう。「シャネルN°5」誕生100週年を記念して、自宅で小さな展覧会でもを開いてみようか。シャネルに関する面白いエピソードは沢山あるので今後書いていこうと思う。

May 18th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#128 MIYAVIとの遭遇

 先日、とあるイベントの仕事に MIYAVI が出演した。MIYAVIは海外でも活躍しているサムライ・ギタリストである。日本、ヨーロッパ、北米、南米、アジア、オーストラリアなど約30ヶ国350公演を超えるライブを行い、8度のワールドツアーも行っている。また俳優としても活躍している。エレクトリックギターをピックを使わずに全て指で弾くという独自の“スラップ奏法”でギタリストとして世界中から注目を集めた。私が最初に見た映像「Jikoai, Jigajizan, Jiishikikajou」も良い作品であった。また、2017年には日本人として初めてUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の大使に就任し、難民支援にも尽力している。更に、2020年6月には、GUCCのグローバル・コレクション「Gucci Off the Grid collection」の広告に起用された。GUCCIの広告に日本人の著名人が起用さたもの初の快挙であった。

 MIYAVIには、以前も大きなスポーツイベントの出演をオファーしたことがあるが、その時は色々な条件が合わずに実現できないでいた。今回のイベントでは披露したのは4曲だけだったが、生MIYAVIの演奏は良かった。シンプルなドラムセットのBOBOも個性的で好きなドラマーである。コロナ渦で生バンドの音を間近で聞く機会から遠ざかっていたせいもあるが、はやり音楽の力は偉大だと痛感した。オフィシャルでは放映されないのが残念なイカしたLIVEであった。常に世界に向けて挑戦を続けているサムライ・ギタリスト「MIYAVI」。今後も彼の活動は止まる事はなく、最も期待のおける日本人アーティストの一人である。コロナ渦で長期化した2年越しのイベントも無事に終わったので、デジタルサイネージの制作も進めなくてはならない。

June 3rd, 2021 Toyosaki’s blog