デジタルサイネージとアート・アーティスト

出会ったアーティストやアート、巡った美術館の思い出

ここでは、実際に私が仕事でご一緒させて頂いたアーティストやアート、
実際に巡った美術館で感動した絵画や音楽、総合芸術も含めた様々な分野の芸術について、
作品への想いや、アーティストのプチ情報なども折り込みながら綴っていきたい。
アーティストってみんな、ちょっと変わっているから面白いのである。


デジタルサイネージでコラボしたいアートやアーティスト

そもそも、このデジタルサイネージのサイトを立ち上げた最大の目的は
アーティストとのコラボと、若いクリエイターに活躍できる場を提供することである。
その道のりは険しく遠いいが、楽観主義をモットーに前三後一で進んで行きたい。
数々のアート作品で出来るデジタルサイネージのコンテンツなどアイデア。
将来展開したいアーティスト・コレクションとデジタルサイネージのプラットフォームなど
デジタルサイネージとアートやアーティストについて綴ります。


ピクトパスカルのアート・コンテンツは、「アート・コレクション」を御覧ください。


ブログ#009 ヴァチカン美術館で遭遇したミケランジェロ

 尊敬する芸術家は?との質問には、わたしは決まって「ミケランジェロ」と答える。フィレンツェを訪れた時に見た「ダビデ像」や、ヴァチカン美術館で見たミケランジェの大作であるシスティーナ礼拝堂の天井画に触れた歓喜は忘れられない。ミケランジェロは今で言うプロジェクション・マッピングの先駆者だったのかも知れない。デジタルサイネージではないが、私がとあるイベントの演出を担当した時に、会場の天井に「システィーナ礼拝堂の天井画」をプロジェクターで投影したことがある。イメージはシスティーナ礼拝堂のように天井一面を覆う荘厳な絵巻だったが、当時は今のような高輝度のDLPプロジェクターは存在しなくブレンディングの技術もなかったので「PIGI」という重量160kgの高輝度のスライドプロジェクターを使用した。結果、単焦点レンズの問題もあり、天井の一部にしか投影できなかったのである。

 20年も経った今でも、デジタルサイネージによるミケランジェロの天井画の再現はわたしの夢のひとつである。間味に溢れて心から敬愛してやまないミケランジェロの最後の作品である「ロンダニーニのピエタ」に彼の生き方や芸術に対する想いが詰まっていると感じててならない。最後にわたしが一番好きな彼の名言を紹介して終わりにする。「I saw the angel in the marble and carved until I set him free. 私は大理石の中に天使を見た。わたしはただ天使を開放しただけだ。」

December the 6th, 2019 Toyosaki’s blog


ブログ#031 デジタルサイネージとサンドアート

 みなさんは「サンドアート」をご存じであろうか?「砂の芸術」といえば、鳥取の「砂の美術館」を想像する人もいるだろう。ここは世界初、「砂」を素材にした彫刻作品を展示する美術館として有名だ。長い年月を経て自然によって作り出された「鳥取砂丘」を象徴する意味でも貴重な美術館だと思う。しかし私は言っているサンドアートとは彫刻では無く「砂の絵」である。単純に砂で絵を描くだけでは無く、ストリーや音楽に合わせて画いては消し画いては消して物語を進めていく。その場面展開は美しく、アートそのものである。その存在は知っていて海外のアーティストが有名であった。私とサンドアートとの出会いは2005年の夏に新・江ノ島水族館のデジタルサイネージを担当したときである。デジタルサイネージといってもプロジェクション・マッピングで、「ウミガメの砂浜」と呼ばれる屋外エリアをマッピングして欲しいとの要望であった。本当の砂浜や池などに何を投影したらよいか悩んだ末、砂浜なのだから、そこに「砂の絵」を描いてしまおうと思ったのである。私の発想は何時も単純である。

 そして日本人のサンドアーティストを全て調べて依頼したのが、サンドアーティストの伊藤花りんさんであった。水族館の意向もあったので、私が演出と音楽を担当し、花りんさんに砂絵を描いてもらった。そしてその年の夏にはアオウミガメの生態をストーリーにした「ウミガメの夢」とクリスマスには、海中のクリスマス・ツリーを探す冒険「海からのプレゼント」の2作品が公開され好評を得た。その後、花りんさんとのお仕事は続いてバンドのMVやイベント、自主発表会など多くの仕事に携われた。いつがデジタルサイネージ用にオリジナルストリーのサンドアートを作りたいと相談もしているが、まだ実現できていない。サンドアートの作品を色々な場所のデジタルサイネージで配信したいとの想いは変わっておらず、静かに時を待っている。サンドアートには見る人を包み込む不思議な魅力が詰まっている。サンドアートに興味のある方は検索してみて欲しい。美しいアナログの力に魅了されることだろう。

June 05th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#042 障がいを持ったカメラマン

 今日は、私の心に残っているカメラマンを紹介したい。1959年山梨県生まれ、山梨県南アルプス市在住の名執弘人(ナトリヒロト)氏である。彼との出会いは1998年の夏である。私が山梨で行われた大きなイベントの演出を担当させて頂いた時に、そのイベントの記録写真を担当していたのが、重い障がいを持った名執氏であった。松葉杖を突いてゆっくりと練習会場に入ってきた名執氏はカメラバックを開き撮影の準備を始める三脚を据えてカメラをセットするまでに優に30分は掛かっている。そして一度決めた場所からは離れない。会場の片隅で何枚の写真をとったのであろうか?私は演技指導をしながらも、いつも名執氏の存在を確認していた。山梨に通い続けて5ヶ月。ようやくイベントの構成が固まった。吹奏楽団の演奏をメインにしたシーンで山梨の歴史や自然など、写真をスライドにして投影する事が決まった。

 山梨で暮らす多くの方々に参加して頂くのがイベントの趣旨だったので、写真も公募となり多くの方から集まってきた。1枚1枚紙焼き写真を拝見して行く中に、現像された36枚撮りのポジフィルムが入っていた。フィルムを広げて愕然としたのは、何と36枚の写真が全部、異なった場所で撮影されているのである。アングルやサイズを変えているのでは無い。ひとつの場所で一度だけシャッターを切り、別の場所に移動してそこでも1枚のみ撮影をする。これを36の場所で撮影された1つのフィルムが目の前にある。ポジフィルムの写真は肉眼では判断できない。しかし、そう言う人もいるかも知れないと思い、ライトテーブルとネガ用ルーペを持参していたので問題無く拝見できた。感動!1枚1枚が本当に素晴らしいアート作品であった。当初は応募してくれた作品の中から、少しでも多くの方が撮影した作品を投影したいと思っていたが、このポジフィルムのみで私の持っていたシーンのイメージは完結してしまった。主催者を説得してこの写真だけ使用する事で了承を貰った。どんなカメラマンの方なのか、挨拶とお礼を言いたいので是非会わせて頂きたい旨を主催者に申し出た。その1時間後にそのカメラマンが演出室入ってきた。名執氏であった。全てが一瞬で繋がった。名執氏と懇談した際にこの36枚撮りのフイルムを一本撮るのにどれ位の時間が掛かっているのかを聞いた。返答は1ヶ月掛かったのこと。撮影場所に行くのに数時間。ポジションを決めセッティングするのに1時間。シャッターチャンスを待つこと数時間。一度シャッターを切ったら、その場の撮影は終了、一日が終わる。今のデジカメの世界では無いので現像するまで作品は確認出来ない。その場でテスト撮影して露出やシャッタースピードも修正出来ない。それなのに36枚のフィルムの全ての写真が素晴らしかった事は、私にとって奇跡でしかない。

 イベント終了後の翌年、まだまだ無名の名執氏の写真を多くの人に知って貰いたく、ある月刊誌でカラー8ページの特集を組んで貰った。写真のチョイスや写真のキャプションなどを相談しに名執氏と再会。「基本的には全て任せます」とのこと。出来上がった雑誌の特集は好評を得た。随分疎遠になっていたが、デジタルサイネージのサイトを立ち上げた時に、名執氏の写真作品を是非デジタルサイネージのコンテンツとして売り出したいとの思いから、久しぶりに連絡を取った。重い障がいに併せて事故による怪我など、状況は厳しさを増していた。彼の作品には力があり、人の心を揺さぶる。もっと多くの人に彼の写真を見て頂きたい。しかし、まだまだ私もピクトパスカルも微力であることが悔しく情けない。何としても、このウィズ・コロナを克服してデジタルサイネージ事業を前に進めていこう。名執氏の著書に「障害があるから、見える世界もある」があるので、興味がある方は読んで頂きたいが絶版でなかなか手に入らないのが残念である。

July 3rd, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#047 デジタルサイネージとペイント・アート

 私がデジタルサイネージのコンテンツに加えたいアート作品に「ペイント・アート」がある。いちがいに「ペイント・アート」と言っても、色々な表現方法があるので出来上がる作品は様々だ。私が一緒にコラボしたいのは、ペイント・アーティスト・Roccó Satoshi(ロコ・サトシ)さんである。ロコさんは、横浜を拠点に活動しているペイント・アーティストで、彼との出会いは1983であるから四半世紀前にさかのぼる。ちなみにロコさんは、自身を「ペイント・アーティスト」ではなく「ウォールペンター」と表現しているが、ここでは「ペイント・アーティスト」として綴らせて頂く。ロコさんが創作のキャンバスに選んだのが、東急東横線の高島町駅から桜木町駅までの東横線のガード下であった。およそ1.3km続く一直線のガードは、当時、横浜の人からは「横浜の万里の長城」と呼ばれ、その1.3kmのガードの壁は、目の前の国道16号を走る車の排気ガスで真っ黒に汚れていた。ガード下にあったのは、現在の「みなとみらいに」抜けられる2つのトンネルと高架下に無理矢理作った2つの古い工業事務所だけであった。ロコさんは1970年代後半から、このガードをキャンバスとして絵を描きはじめる。白いチョークだけで描いたシンプルなグラフィティーであった。

 1983年に、たった2カ所しかなかった事務所をドラムの練習場所として借り、ガードの下で暮らしはじめたのが19歳の私であった。最終電車の桜木町で降りて、ガードを歩いて自宅に向かう間、数回ロコさんを目撃した。普段は1日で数人しか通らないこのガードがロコさんの「安全」なキャンバスで、もし訴えられれば犯罪に値する為、ロコさんの創作活動はいつも深夜であった。私もロコさんが私に警戒している事を察し、無理な接触を避けていた。アイコンタクトのみで、いつも応援をしていた。その後、ロコさんはアーティストと認められ1989年の横浜博覧会、1992年サンディエゴ・横浜現代美術館、アメリカ西海岸の壁画制作など、活躍の場を広げていった。このころロコさんの画風がニューヨークで活躍するキース・ヘリングに似ている事で「パクリでは?」との話も出たが、ロコさんはキース・ヘリングよりも10年以上前に画風を確立しているので、この場でパクリでは無いと否定しておく。そしてロコさんの活躍により、我が古巣の桜木町のガード下も横浜市から認められ、スプレー・アーティスト達のキャンバスとして提供される。

 しかし、ここでも問題で起こる。人の作品の上に平気で上書きが始まった。それも優秀な作品の上に醜い暴力的な作品を書いたのである。公のキャンバスなのでルールはアーティストのモラルに任せるしかない。そして桜木町のガード下は、一度、全ての絵が消され、真っ白いキャンバスにされてしまった。これは、日本の社会全体の問題だと考えなくていけない。少なくても私はそう考える一人である。学校、家庭、街、これらが三位一体となって少しずつ変えていくしかないであろう。経済成長のみを重視してきた日本社会のひずみが、今その膿を溢れ出して、それが特に若い世代の生活と身体と精神を蝕んでいる。そして現在のウイルスや自然災害との戦い。すべてが子供達の自由な精神と可能性を奪っている。このガード下を復活させる事は、この街づくりに大きな意味を持つはずである。街の、地域のコミュニケーションの場になりえるはずである。現在このガードは東横線が地下に潜り、電車は通っておらず、遊歩道として開発が進められている。再びキャンバスとしてアーティストに開放される日が来ることを望んでいる。そして私はデジタルサイネージを通して、ロコ・サトシさんのこれまでの活動や作品を多くの人に知ってもらいたいと思っている。近い将来、ロコさんとの再開が楽しみである。

July 15th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#048 悪魔が作った楽器・バンドネオン

 デジタルサイネージは映像配信を目的にしたメディアである。そこには当然音楽やナレーションなどの「音声」も含まれる。このサイトも動画には音楽を着けてあるし、選曲にも私なりのこだわりがある。曲のほとんどは海外のミュージック・ライブラリーから購入している。本来であればオリジナルを制作し、サウンド・クリエイター達にも加わってもらいたい。しかし残念ながら、まだそれが出来る環境が整っていない。そんな状況であるが、私の中でどうしてもコラボしたいアーティストがいる。それは、バンドネオン奏者の小川紀美代さんである。

 小川さんは世界でも数少ない女性バンドネオン奏者のひとりで、2003年にはアルゼンチン最大の音楽祭である「コスキンフェスティバル」に日本代表として参加している。私が小川さんと出会ったのは2017年に行われた元宝塚歌劇団の大空ゆうひさんのコンサート映像演出を担当した時であった。演奏そのものも素晴らしかったが、そのチャーミングな人柄に惹かれ、それ以降ご一緒させて頂いている。特に2018年にはブエノスアイレスにて、バントネオンの神様と讃えられているアニバル・トロイロが実際に使用した愛器(アルゼンチン国立タンゴ博物館所蔵)でレコーディング。その後トロイロの孫であるフランシスコ氏と共にトロイロのバンドネオンで日本ツアーを行った。また、アニバル・トロイロのドキュメンタリー映画「Pichuco」の日本語字幕版を制作。コンサートと映画上映による企画でタンゴ、アルゼンチンのアートと文化の普及に尽力した。このコンサートの映像演出と映画の字幕制作も楽しい思い出だ。

 バンドネオンはタンゴの伴奏が一般的なイメージだが、「悪魔が作った楽器」と呼ばれるほど複雑な演奏方法が必要で、重さも8キロもある楽器である。キャシャな小川さんが縦横無尽に楽器を操る姿も魅力のひとつだ。そして小川さんの真骨頂はオリジナル曲である。本年制作された「Infinity(無限大)」は全曲オリジナル・ソロ演奏で、バントネオンのCDとしては珍しい。このオリジナル曲でデジタルサイネージ用の動画コンテンツを制作したいのである。もちろん小川さんの「音」へのイメージを壊してはいけないので、制作は大変だと思う。しかし音楽に映像を着ける作業もまた楽しいのである。普段は「きみちゃん」と呼ばせて頂いている。きにちゃんに音楽制作のポリシーを聞くと「聞いている人を裏切り続けて、最後は自分も裏切って終わる」と笑う。そして、きみちゃんの家には、冷蔵庫、テレビ、洗濯機、掃除機などの家電がない。そんな不思議でチャーミングな女性と親しくさせて頂ける私は幸せ者である。

July 17th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#053 環境芸術としてのデジタルサイネージ

 環境芸術とは、芸術の作品そのもの、もしくは芸術の発表行為を、環境との関係の中で捉えようとする表現形態である。20世紀以前は、絵画や彫刻などは独立した芸術として、置かれる場所とは無関係に扱われてきた。しかし,絵画から額縁を、彫刻から台座を取り除き、都市空間や建築空間の中に位置づける表現が生まれてきた。環境芸術は大きく3つに分類されているらしい。一つ目は、公共環境における造形芸術で、美術館をはじめ、公共の建築物を装飾する試みだ。こうした公共環境造形は、単に造形物を建築に付加するのではなく、社会・文化政策の一環であり、環境の計画全体の合意のうえで進められるものである。

 二つ目は、自然環境にかかわる造形芸術で、公害問題で環境への関心が高まった1960年代末から増えてきた、自然環境とのかかわりをテーマにした造形活動である。自然環境を制作素材とする作品はアースワークとも呼ばれ、自然そのものを芸術と捉えた試みは賛否両論がある。芸術そのものへの評価や、展開される地域の活性化がなされる反面、環境保護の問題もある。アートを設置することで人や車の交通量が増える、動植物の生息地が荒らされる、ゴミが投棄されるなどいった環境破壊だ。

 また、「エコ・アート」展のように、自然環境保護を訴える動きもある。今後はこの「自然環境保護」が環境芸術のテーマになっていくであろう。そして、三つ目は、総合芸術としての環境芸術である。光、音、色彩、映像、演舞、香りなど、あらゆる素材からなる空間全体を満たす芸術を環境芸術とする考えである。デジタルサイネージが環境芸術として活かされるのは、この総合芸術が一番近いし、これまでも映像芸術として、公共環境における造形芸術も行ってきた。私としては自然環境にかかわる造形芸術の方に興味がある。自然の生態を壊さずに、その自然の美しさを更に引き上げ、自然環境保護を訴えるコンテンツ。そんな事を考えながら、一年後に本当にオリンピックが開催できるのかも心配だ。オリンピックこそ、世界でもっと大きな総合芸術としての環境芸術であるのだから。

July 30th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#061 盲目の天才ピアニスト辻井伸行

 最近YouTubeではまっているのが、盲目の天才ピアニスト 辻井伸行である。2009年6月に行われた第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで日本人初の優勝を手にする。それ以来、国際的に活躍しているアーティストで現在まで31枚のアルバムを出している。辻井くんは1988年東京出生まれる。出生時から眼球が成長しない「小眼球症」と呼ばれる原因不明の障害を負っていた。その辻井さんの才能を見抜いたのが、母・いつ子さんであった。いつ子さんが辻行くんの「耳の良さ」に気づいたのは生後8ヶ月頃であったらしい。ショパンの「英雄ポロネーズ」のCDをかけると。曲の盛り上がる場所に来と、決まって辻井くんは伏間を足で蹴ってバタバタとリズムをとるのであった。そしてそのバタバタは演奏と見事に合っていたという。あまりにも毎日聴きすぎて、CDが傷つき壊れてしまった。いつ子さんは辻井くんの喜ぶ顔が見たくて、同じ曲の入ったCDを買い辻井くんに聴かせた。しかし辻井くんは全く喜ばなかった。理由はCDの演奏者が違っていたからであった。前と同じCDを聴かせると、辻井くんは再び足をバタバタさせたという。辻行くが好きだったのは「英雄ポロネーズ」では無く、「ブーニンが演奏する英雄ポロネーズ」だったのだ。

 それ以来、子どもに眠る「何か」を見つけるため、日々「観察」するいつ子さんは、何度か辻行くんの「耳の良さ」を気づかされ、この子には「音に関する特別な才能」が眠っているのではないか。と想うようになる。そしてその想いが、この後の子育てにおける、一筋の希望の光になったと語っていた。母・いつ子さんばかりが、辻井くんの才能を見抜いて育てたイメージがあるが、決してそんな事は無いであろう。辻井くんの父・孝さんは、辻井産婦人科の院長先生だ。余談だが辻井産婦人科は我が家から一番近い産婦人科で、ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝した時は、辻井くんって辻井産婦人科の院長先生の息子らしい。と地元では大変な盛り上がりをみせた。ハンディを持った辻井くんの優勝は地元の誇りとなったのである。なので、私は今でも「辻井大先生」を「辻井くん」と呼ぶ。でも何故か私の二人の息子は辻井産婦人科では出産していない。父・孝さんは、いつ子さんとは違って、一歩引いたところで息子の将来を案じ、自立への道を探ったらしい。常に冷静沈着でとても厳しい父親だったそうだ。辻井くん自身も「僕を一番サポートしてくれたのは母だけど、陰で支えてくれたのは父でした。」と語っていた。

 辻井くんの演奏も本当に素晴らしいと思うのだが、私は演奏が終わった時に、腰を90度に曲げてお辞儀をする姿に心が打たれる。超一流の人物は人間性も一流であると感じるのは私だけではあるまい。日本を代表するピアニスト・辻井伸行の活躍を期待して止まない。我が子の才能を伸ばしたい方、まだ間に合いそうな方は、いつ子さんの「わが子の才能を引き出し、伸ばすか」の公式サイト「辻井いつ子の子育て広場」もあるので参考にして欲しい。私はもう間に合いません。子育て惨敗です。デジタルサイネージでも子育てコンテンツとか考えてみようか。

August 28th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#073 デジタルサイネージと「鬼滅の刃」

 今、爆発的な人気アニメである「鬼滅の刃」。社会現象とまでなっているこのアニメの魅力とは、一体何であろうか?ファン待望の劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』が、2020年10月16日に公開され、好評を得ている。実はこの「鬼滅の刃」、テレビ放送が始まった時に存在を知った。ある有名ゲームメーカーの展示会のデジタルサイネージで、この「鬼滅の刃」の編集のお仕事を請け負ったのだ。そんなに大変な仕事ではなかったが、この「鬼滅の刃」の予告編を見て、普段はあまりアニメに興味のなかった私でも、このストリーはどう展開していくのであろうと興味を持ったことを覚えている。そんな時に、私がお世話になっているナレーターの中川奈美さんのSNS記事を目にすることになった。奈美さんは、この数年間、私が最も信頼してナレーションをお願いしているが、実は歌手であり俳優でありと様々な活動をしている。本業は歌うことなのであろうが、その「声の力」はナレーションでも本領を発揮できる。奈美さん以外にもデジタルサイネージのナレーションで協力して頂いている。彼女のブレーンも素晴らしい人材が多い。

 実は私、ナレーターから、自分の呼吸、間、抑揚などに合わないと厳しいダメ出しをする「鬼」と呼ばれていた時期がある(今はそんなにしていません)。「鬼滅の刃」であれば「十二鬼月」に入るかも知れない。そんな中で、中川奈美さんはピカイチな存在であった。奈美さんのSNSには「鬼滅の刃」の挿入歌のコーラスを任されたことが綴ってあった。その時、奈美さんに「俺も鬼滅、ちょっとだけやったよ」と話したら、すごく喜んでくれて、鬼滅への入れ込みも感じられた。そして最近嬉しいニュースが飛び込んできた。鬼滅の主題歌、LiSAの歌う「紅蓮華」の大ヒットは皆知るところだが、実はアニメの挿入歌に「竈門炭治郎のうた」という歌がある。この歌を任されたのが奈美さんであった。詳しい経緯は聞いていないが、人気アニメの挿入歌を歌うということが、どれだけ難しく、素晴らしいことか。そして、10月27日発表の最新「オリコン週間デジタルシングル・ランキング」で、「竈門炭治郎のうた」が堂々の3位を飾ったのだ。週間DL数1.8万DL。「素晴らしい。おめでとう。」と奈美さんにメールすると、こんな言葉が帰ってきた「これで、少しはお役にたてるようになってきましたでしょうか?」と。声の力も素晴らしいが、人間としての魅力が溢れている、素晴らしいアーティスト、素敵な歌姫である。

November 4th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#078 楽聖ベートーヴェンの生誕250年

 本年は楽聖ベートーヴェンの生誕250年にあたる。30年も前になるが、ドイツのボンにあるベートーヴェンの生家に立ち寄ったことがある。ベートーヴェンはウィーンへ移り住むまでの21歳までボンに住み、母親が亡くなったあとは、働かない父親にかわってがむしゃらに働いていたそうだ。屋内にはベートーヴェンの家族や友人、音楽の講師の絵が飾られていて、実際に書いた楽譜や、ベートーヴェンが初めて人前で演奏した時のオルガンも飾られていた。ベートーヴェンの「第九」といえば、日本の年末の風物詩となっている。作曲家のワーグナーは語る「ベートーヴェンは勢いよく錨を下ろした」。「錨」とは、一切を結合する必然的で絶大な力で、溢れる心的感情の流れのすべてが、そこへと注ぎ込むことができる言葉、「歓喜」である。この言葉を「おのが音楽創作の頂点に戴冠したのだ」と(藤野一夫訳「未来の芸術作品」)。

 交響曲に初めて声楽を取り入れたベートーヴェンは、周りの批判にこう反論した「なに、規則が許さないだと。そうか、なら私が許可する!」と。人類の理想と連帯を歌い上げた「歓喜の歌」は楽聖ベートーヴェンの心の叫びであったに違いない。250年の佳節である本年は、残念ながら、いつもとは違う「第九」になってしまうだろうが、コロナで世界中が「苦悩」包まれる今、ベートーヴェンの「苦悩を突き抜け歓喜に至る」という精神は、高らかに響き渡ることであろう。私も「突き抜ける歓喜」を目指して進んで行きたい。苦悩を突き抜けるデジタルサイネージ!苦悩を突き抜けるデジタルサイネージ・コンテンツ!ベートーヴェンならどんな音楽をつけるのであろうか?

December 30th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#088 イタリアのアーティスト「ルネ・グリュオー」

 イタリアを代表するイラストレイターであるRene Gruau(ルネ・グリュオー)は私が尊敬するアーティストのひとりである。ルネ・グリュオーは、20世紀のファッションとコスメティック業界で、数々のビジュアルを創作したことで有名なイラストレーターであり、ディオールの広告やファッション誌ヴォーグの表紙を手がけた。特にクリスチャン・ディオールとのコラボにより数々の傑作を世に生み出した。また、ファッション画だけでなく、香水、化粧品、装身具のためのイラストレーションなど、作風は、とにかく洗練された美しさで、まさしくエレガントな
アートなのだ。私がルネ・グリュオーの存在を強く意識したのは、20年ほど前に、パリにある伝説のキャバレー「LIDO」を見た時であった。

 「LIDO」を見たのは舞台演出を勉強するためで、その斬新かつ奇抜なアイデアと世界トップのエンターティナーが作り出すエレガントなショーは、世界中から人を集めている。今はコロナで世界中のエンターテインメントが危機にさらされている。このエレガントなキャバレ「LIDO」のポスターやパンフレットのデザインをしていたのが、ルネ・グリュオーであった。ルネ・グリュオーのリトグラフはあまり出回っていなく、日本でも数点の画廊にしか置いていなかった。色々と探し回り「LIDO」のポスターを2枚と、女性のイラスト1枚の計3点を購入できた。「LIDO」の2枚は手放し、1枚だけが手元に残っている。作品集は10冊ほど残っているので、これからもデジタルサイネージのデザインに役立てていきたい。とにかくシンプルで美しいラインを基調とした作風は、若いクリエイターにも学んでいただきたい。アナログのイラストレイターの最高峰であるルネ・グリュオー。残した一枚のリトグラフは私の遺影の横に飾ることにしている。

January 13th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#116 「蘇州夜曲」と「ある晴れた日に」

 例年よりも随分と早く桜が満開となり、すでに散り始めている。コロナの影響で、私は毎年この季節に散る桜を見ながら必ず聞く曲が2曲ある。それが「蘇州夜曲」と「ある晴れた日に」である。そして、いずれの曲もデジタルサイネージのコンテンツ制作に大きな影響を与えた曲である。「良い音楽を聞くと良い風景が浮見えてくる。良い風景を見ると良い音楽が聞こえてくる」とはよく言ったものである。

 「蘇州夜曲」は1940年に発表された、西條八十作詞、服部良一作曲の歌謡曲である。この曲をカバーした歌手は何人いるのだろうか?ざっくり上げても50人は下らない。全ての歌手を聞いたわけではないが、私のお気に入りは、2003年に発売されたアン・リーのアルバム「moon dance」に収録されている「蘇州夜曲」である。ピアノとギターの伴奏がアン・サリーの魅力を際立たせる。特にピアノのフェビアン・レザ・パネは、まさに散る桜の花びらが「音」乗り移ったかのように美しい旋律を奏でるアーティストである。

 そして、「ある晴れた日に」はプッチーニのオペラ《蝶々夫人》の第二幕のアリアである。これはやはり、オペラ界の大スターである、マリア・カラス/ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/ミラノ・スカラ座管弦楽団が私のベストである。オペラは、日本の長崎を舞台に、没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を書いた作品で、初演は1904年2月17日イタリア・ミラノのスカラ座であったが、大失敗に終わる。改訂版の上演は3か月後の同年5月28日、イタリアのブレシアで行われ、大成功を収めた。その後、ロンドン公演、パリ公演とプッチーニは何度も改訂を重ね、1906年のパリ公演で使用された第6版が、21世紀の今日まで上演され続けている決定版となっている。

 何故、この2曲が私にとっての「桜」の代表曲になったのかはよくわからない。「蘇州夜曲」を聞き始めたのは東日本大震災の翌年だったと記憶している。震災の取材に訪れた気仙沼の「桜」と曲が重なったのではないか。「ある晴れた日に」を聞き始めたのは、たしか20年前頃だったと記憶している。目黒川の「桜」と「ある何か」が「ある晴れた日に」と重なったのだと思う。「ある何か」は未だにわかっていないが、今年もまた「蘇州夜曲」と「ある晴れた日に」に耳を傾け、散る「桜」に想いをはせた今日であった。明日から4月。清々しい気持ちで進んで行こう。

March 31th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#117 トゥールビヨンはアートだ

 最近はデジタル・ダイエットを意識しているせいか、アナログのアイテムがやたらと気になっている。そのひとつが「トゥールビヨン」である。腕時計界には「世界三大複雑機構」と称されるものがある。長期間に渡ってカレンダー調整が不要な「永久カレンダー」、ゴング音が時刻を知らせる「ミニッツリピーター」、そして「トゥールビヨン」の3つである。これらは技術レベルの高い、限られたメーカーのみが製造できるメカニズムのため、希少かつ高額な商品となっている。まず「トゥールビヨン」が開発された背景だが、発明者はフランスの天才時計師、アブラアン-ルイ・ブレゲ氏で、数々の革新的な懐中時計や置き時計を生み出し、“時計の歴史を200年進めた”と称えられている時計師だ。

 彼は時計の各パーツが受ける重力の影響を均一化することによって、時計がどんな状態でも安定した精度を保てないか研究した。そしてトゥールビヨンを考案し、1801年に特許を取得している。この複雑機構は総じて部品の数が多く、精工さが求められる。さらに熟練の時計師が時間をかけて組み立て、デリケートな調整も要求されるのだ。とくに懐中時計時代において高精度を実現する有効なシステムとして重宝され、1930年代には腕時計サイズまで小型化することに成功した。

 トゥールビヨンとはフランス語で“渦”を意味し、辻風や竜巻などを表す際に用いられる。ずばりその名の通り、渦を巻くように回転することからこう命名されたのだ。ではムーブメント内のどこが渦を巻くかというと、通常は個々で独立しているテンプ、アンクル・ガンギ車など脱進機と調速機をカゴ状のパーツにまとめた「キャリッジ」(画像中央部)と呼ばれる部位である。まさにトゥールビヨンとは「重力分散装置」なのである。ここまでくると時計ではなく「アート」、時計職人ではなく「アーティスト」と呼んでも良いだろう。

 いつか、この美しい「トゥールビヨン」を撮影したデジタルサイネージのコンテンツを作りたいと思っている。ライティングだけで十分にアート作品となるアイテムである。ターンテーブルと接写レンズで撮影したマクロの世界は、ずうっと眺めていても飽きのこなく、それでいて周囲の環境の邪魔もしない存在になるであろう。写真のモデルは、クラシック トゥールビヨン エクストラフラット スケルトン 5395CLASSIQUE TOURBILLON EXTRA-PLAT SQUELETTE 5395で、お値段¥28,655,000。我が家を売ったら買える金額だ。しかし、私は腕時計をしない主義なので、購入する予定は皆無である。決して時計としてのデザインは好きではないし、スケルトンにして見せる必要もないと思っている。私が美しいと感じるのは、アナログの機械が時を刻む営みである。アナログの力を沸々と創り出す重力分散装置なのである。

April 4th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#122 デジタルサイネージとモナリザ

 日本でレオナルド・ダヴィンチの名作「モナリザ」が展示されたのが、1974年の4月から6月までの東京国立博物館であった。10歳だった私は、父に連れられて上野の東京国立博物館まで観に行った。本館1階正面奥の特別5室を4列でゆっくりと進んで行く決まりで、決して「モナリザ」の前で止まってはいけない。何時間も待たされて、「モナリザ」と面会できたのは30秒程度であった。その時の印象は、何でこんな絵画一枚に大人たちが大騒ぎしているのか、全く理解できなかった。

 ダヴィンチの名作「モナリザ」は、絵画史上最も謎に満ちた作品として取り上げられてきた。本当のモナリザはどんな女性だったのか?ダヴィンチとの関係などミステリー好きな人達により、様々な番組として世に送り出されていし、映画や小説にも多く取り上げられている。レオナルド・ダヴィンチはアーティストであり、画家であり、科学者であり、物理学者である天才だ。でも私はあまり好きではない。なんでもできる人って何か魅力を感じない。多くはできないけど、これだけは誰にも負けない。そんな不器用な人間に惹かれてしまう。

 本物の「モナリザ」はパリのルーブル美術館にあるが、ルーブル美術館は本年3月31日に、所蔵している48万2000点を超えたすべてのアート作品を無料で公開するオンライン・コレクション・データベースを開設した。また、同館のウェブサイトもリニューアルオープンした。4KモニターやHDRモニターの出現で、より本物に近い絵画がネット上で閲覧できる時代となった。デジタルサイネージでも、こうした絵画などのコンテンツは増えていくだろう。しかし本物には敵わない。私が10歳の時に見た「モナリザ」は、やはり本物の「モナリザ」であったのである。

May 2nd, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#123 川村記念美術館クロード・モネの思い出

 私がクロード・モネの「睡蓮」を鑑賞したのは2002年に千葉にあるDIC川村記念美術館の「モネ展 “睡蓮の世界”」であった。日本人はモネが好きらしく、その後も日本では何回も「モネ展」が開催されてきた。

 クロード・モネのアート作品といえば「日傘をさす女性」も有名だが、私は圧倒的に「睡蓮」の方が好きである。この時はモネの「睡蓮」がメインの作品展であった。川村記念美術館の特徴のひとつが、北総台地の自然と調和した庭園だ。里山の地形を生かした緩やかな起伏のある敷地内には、木立の中を縫う散策路や千葉県の在来植物が茂る小道、モネの作品を思わせるスイレンの池などがあり、緑豊かで穏やかな景色が広がっている美術館である。人気のモネ展であったが、その日は来館者も少なく「モネの睡蓮の世界」をゆっくりと鑑賞できた。

 モネが「睡蓮」を題材にして描いた作品は250点以上にのぼるらしい。私はモネの作品集は1冊しか持っていない。オランジェリー美術館の元所長であるピエール・ジョルゲルによって設計されたクロード・モネの睡蓮に関する作品集だ。睡蓮の時期にはまだ早いが、今日は子どもの日である。大人のデジタルサイネージは忘れて「モネの睡蓮」の世界に微睡みたくなってしまった。理由ははっきりとわからないが、「モネ展」に一緒に行った「日傘をさす女性」を思い出したからであろう。

May 5th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#124 デジタルサイネージとゴッホ

 フィンセント・ファン・ゴッホという画家の生涯は波乱に満ちていた。昨年公開されたゴッホの映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」でもその生涯が描かれている。ゴッホは数多くの名作を世に残したが、日本ではゴッホといえば、生前、描いた絵が一枚しか売れなかった、もしくは一枚も売れなかったとよく紹介される。絵に人生を捧げた破天荒な兄ゴッホと、それを温かく見守り経済的支援をいとわなかった弟のテオ。日本では美しい兄弟愛というストーリーの伝記も多い。ゴッホの絵画作品と書簡はテオの妻、そしてその息子へと引き継がれ、ほとんどの作品は散逸を免れて、最終的にはゴッホ美術館に収まり、現在に至っている。つまり、昔も今も、ゴッホの絵はほとんど売られてはいなかったのである。おかげで、どんなに莫大な価格がつけられても、売られることのないアート・コレクションとなったのだ。

 私が好きなゴッホの絵に「星月夜(ほしづきよ)」がある。この「星月夜」はゴッホが精神病院に入院中に描かれた作品だ。1888年12月23日、フランス南部のアルルで、ゴッホは自身の左耳を切断する事件が起こる。本格的にゴッホの精神状態がひどくなってきたため、翌年の1889年5月に、サン=レミのサン=ポール療養院に自主的に入院することに決めた。ゴッホは2階建ての寝室だけでなく、絵画のアトリエとして1階の部屋も自由に使うことができ、かなり快適な環境だったため、入院先として選んだといわれている。入院している間、ゴッホはここで精力的に絵を描く。この時代に最も有名な作品を数多く産みだしている。その1つが「星月夜」である。ほかに1889年5月に「アイリス」1889年9月に「青い自画像」を制作している。

 「星月夜」は、病室から見える景色を眺めながら描いた幻想的な絵だ。ゴッホは夜空を、さまざまな青で表現している。深い青もあれば、淡い青もある。黄色味を帯びた穏やかな青もある。とても青が美しい夜空だ。ゴッホの絵の特徴である、渦やうねりは自然の持つ生命力を見事に表現していると私は想う。この作品は実寸で縦73.7cmなので60インチの4Kや8Kの綺麗なデジタルサイネージで映せば、実寸大で筆のタッチやディテールが伝えられそうだ。無論、本物を見ることに勝るものはない。「星月夜」は今、ニューヨーク近代美術館が所蔵している。いつかは訪れたい美術館である。

May 9th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#125 デジタルサイネージとシャネル N°5

 今年2021年は、ココ・シャネルが亡くなってから50周年であり、シャネルのアイコン・フレグランスである「シャネルN°5」が誕生してから、ちょうど100周年にあたる記念すべき年である。ブランド品にもフレグランスにも一切関わりのなかったこの私が、世界的ブランドであるシャネルに関わったのは20年以上前のことだ。新作のフレグランスのプレス発表イベントの映像や百貨店のシャネルブースのデジタルサイネージであった。10年近くお世話になり多くのことを学んだ貴重な体験であった。

 「シャネルN°5」誕生100週年を記念して、10月1日にガリエラ宮パリ市立モード美術館で、「Gabrielle Chanel. Fashion Manifesto(ガブリエル・シャネル、ファッション・マニフェスト)展」の開催が始まった。しかし、フランスの2回目の外出制限措置に伴い美術館は閉鎖され、展覧会を見ることができないという残念な状況になってしまった。コロナでもなく、時間とお金に余裕があればぜひ行きたかった展覧会である。

 これまで「シャネル N°5」は、世界中の色々な分野に多大な影響を与え続けてきた香水である。1954年、「シャネル N°5」は、MoMA(ニューヨーク近代美術館)の永久収蔵品となる。フレグランスがMoMAに収蔵されるのは「シャネル N°5」が世界で初めて。「シャネル N°5」とクリエイティブは密接な関わりを持ち、多くの映像の巨匠たちや芸術家、特にアンディ ウォーホルなどにインスピレーションを与えたといわれる。また、TV業界にも影響を与えた。“世界で初めて”TVコマーシャルフィルムに登場した香水が「シャネル N°5」であった。マリリンモンローが、ベッドでは何を着ているかと聞かれて、「寝るときにまとうのは、シャネルの香水、N°5だけ」と答えたあまりにも有名なエピソードはもはや伝説と化している。

 誕生から100年経ったいまなお愛され続ける「シャネル N°5」の秘密と魅力とは?新ムービー「インサイド シャネル」では、おしゃれな映像とともに「シャネル N°5」の名声を振り返ることができるで、ぜひ見ていただきたい。

 私の手元には「シャネルN°5」は勿論、メンズのフレグランスまで、歴代すべてのフレグランスが全て残っている。撮影用に揃えたものなので今後使う予定はない。シャネルやココ・シャネルに関する書物や非売品ノベルティーなどもダンボール一箱分はあるだろう。「シャネルN°5」誕生100週年を記念して、自宅で小さな展覧会でもを開いてみようか。シャネルに関する面白いエピソードは沢山あるので今後書いていこうと思う。

May 18th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#128 サムライギタリスト「MIYAVI」との遭遇

 先日、とあるイベントの仕事に MIYAVI が出演した。MIYAVIは海外でも活躍しているサムライ・ギタリストである。日本、ヨーロッパ、北米、南米、アジア、オーストラリアなど約30ヶ国350公演を超えるライブを行い、8度のワールドツアーも行っている。また俳優としても活躍している。エレクトリックギターをピックを使わずに全て指で弾くという独自の“スラップ奏法”でギタリストとして世界中から注目を集めた。私が最初に見た映像「Jikoai, Jigajizan, Jiishikikajou」も良い作品であった。また、2017年には日本人として初めてUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の大使に就任し、難民支援にも尽力している。更に、2020年6月には、GUCCのグローバル・コレクション「Gucci Off the Grid collection」の広告に起用された。GUCCIの広告に日本人の著名人が起用さたもの初の快挙であった。

 MIYAVIには、以前も大きなスポーツイベントの出演をオファーしたことがあるが、その時は色々な条件が合わずに実現できないでいた。今回のイベントでは披露したのは4曲だけだったが、生MIYAVIの演奏は良かった。シンプルなドラムセットのBOBOも個性的で好きなドラマーである。コロナ渦で生バンドの音を間近で聞く機会から遠ざかっていたせいもあるが、はやり音楽の力は偉大だと痛感した。オフィシャルでは放映されないのが残念なイカしたLIVEであった。常に世界に向けて挑戦を続けているサムライ・ギタリスト「MIYAVI」。今後も彼の活動は止まる事はなく、最も期待のおける日本人アーティストの一人である。コロナ渦で長期化した2年越しのイベントも無事に終わったので、デジタルサイネージの制作も進めなくてはならない。

June 3rd, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#129 森山大道 路上のアート

 先日、渋谷パルコ8Fの「ほぼ日曜日」で開催されていた展覧会「はじめての森山大道。」に立ち寄った。最近はコロナの影響もあって人混みを避けて生きてきたが、流石に刺激がなさすぎて街に出た。展覧会「はじめての森山大道。」は、世界的に有名な写真家として60年ものキャリアを持つ森山大道の“入門編”となる展覧会だが、森山大道に入門も専門も無い。

 写真は森山大道の代表作である「三沢の犬」である。有名な写真は犬の顔が左を向いているが、実は撮影されたのは右向きであった。アサヒカメラに乗せる時に見開きページだったのでよりインパクトを出すために裏焼きをして犬の顔を左にしたそうである。「アレ・ブレ・ボケ」という、言わば写真のマイナス要素を芸術の域まで極めてしまった森山大道の使用しているカメラはコンパクトカメラだ。

 展覧会を見た翌日に行ってきたのが、森山大道のドキュメンタリー映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」だ。映画館は横浜の若葉町にある「シネマ・ジャク&ベティ」だ。ジャック&ベティは、2スクリーンのミニシアターで、「ジャック」と「ベティ」の2つのスクリーンがあり、単館系の新作ロードショーを中心に、監督・俳優特集、映画祭なども行なっている。近隣は伊勢佐木町や黄金町など夜の街がひしめく、森山大道のドキュメンタリー映画にはぴったりなシアターである。

 スナップショットの帝王として知られる森山大道は、これまでの長い年月、国内外の若手クリエイターから絶大な支持を集めてきた。映画は、カメラと一体化した写真家のみずみずしい身ぶりを大胆に捉え、いままで誰も見たことのなかった素顔を明らかにしていた。奇跡的なショットと魔法のようなシークエンスの連続に、ひたすら身を委ねるしかない。写真史上、最大の謎に迫る前人未踏のドキュメンタリーといってよいであろう。自身の写真の扱いにあまりこだわりがなさそうにも見えた。帰り道、いつか森山大道の写真をデジタルサイネージで使用できたらと夢を膨らませて、私は夜の街に消えていったのである。

June 11st, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#132 QUEENと6ペンスコイン

 QUEENのフレディ・マーキュリーに焦点を当て、1970年のクイーン結成から1985年のライヴエイド出演までを描いた伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」が公開されたのは2018年の秋であった。日本での興行収入も131億円を超える大ヒットとなったが、私はある思いから映画館には行かなかった。先日、地上波で放映されたので思わず見てしまった。私達の年代のロックファンにとってQUEENは特別な存材であった。フレディがバイセクシャルだったことはリアルタイムで知っていたし、ブライアン・メイの使っていたギターがブライアンの自作であること、ピックの代わりに6ペンスコインを使っていることなども知っていた。しかし映画を見てフレディの苦悩やバンドメンバーのぶつかり合い、フレディの他レコード会社とのソロ契約などは知らなかった。バンドへの復帰から伝説の「ライブエイド」の出演へ、そして1991年に45歳という若さで死去。まさにフレディ自身がロックの歴史であり、偉大なアーティストである。

 私が映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見に行かなかった理由がふたつあった。ひとつは「ライブエイド」のQUEENの演奏があまりにも圧巻であり、そのパフォーマンスは観客を圧倒した。あまりの質の高さにロンドン会場のヘッドライナーを務めたエルトン・ジョンが舞台裏で悔しさを顕に地団駄を踏んだといわれている。私もYouTubeで何度も見たこの完璧なパフォーマンスを映画では再現できるわけがないとの思いである。エーヨ!エーヨ!リーロ、リロリロ、エーヨ!オーライ!圧巻である。最近の映画館でもデジタルサイネージの普及は進んでいて、上映予告などを配信している。

 そしてもうひとつが、私が1981年のQUEENの「The Game Tour」の東京武道館の公園に行ってQUEENを見たことである。この「The Game Tour」はアルバム「Play The Game」の発売を記念して行われたワールド・ツアーで、4回目の日本公演であった。その後2回の日本公演を含め、QUEENは計6回の日本公演を行っている。フレディーの親日家は有名で、お忍び旅行では新宿2丁目にある「九州男」というゲイバーによく出入りしていたらしい。計6回の公演といっても大人気のQUEENのチケットはそう簡単に取れる時代ではなかった。表参道にある「ウドー音楽事務所」に直接並んで購入する以外の手段がなかった時代だ。諦めていた私が、友人に「またQUEENのチケット取れなかったよ」と愚痴を言うと、その友人が「俺の兄貴、ウドーに勤めてるいから聞いてやるよ」と言ってきた。結局、友達の兄貴が武道館のアリーナ席ど真ん中、前から3列目のチケットを回してくれたのである。持つべきは友である。

 そして開演。18歳の私は武道館のアリーナ席ど真ん中、前から3列目でQUEENに遭遇する。QUEENやロックにあまり興味もなかった友人も同行してくれた。舞台までの距離は10m以内だったと記憶している。登場したフレディーやブライアンの体温を感じる距離だ。今であれば、フレディーの飛沫も飛んでくる距離で、私は夢のような時間を過ごすことができた幸せ者である。コンサートが終わって会場を出るときに、現場のスタッフである友人の兄貴に会うことができた。私は18歳の青年として絞り出せる最大の感謝を口にしたと思う。私のお礼を聞いて、友人の兄貴は「よかった」と一言。そしてズボンのポケットに手を入れ掴んだ何かを私に差し出したて「これあげるよ」と言った。私が手を広げると、そこには3枚の6ペンスコインが輝いていた。ブライアン・メイから招聘スタッフへのプレゼントであったらしい。「お前ギター弾いてんだろう。お前が持ってろよ。」と、ブライアン・メイの3枚の6ペンスをプレゼントしてくれたのだ。実にカッコイイ兄貴であった。

 それ以降、音楽仲間やQUEEN談義になった時には、このコンサートの話が出てしまう。単なる自慢話しの範疇でしかないであるが、私がブライアン・メイの6ペンスコインを3枚も持っていると知ったQUEEN気違いのミュージシャン達は、毎度「そのコイン譲ってくれないか?」との話が舞い起こる。そして、ひとつ減り、ふたつ減り、とうとう最後の1枚までも、熱狂的なQUEENファンの友人の元に旅立っていった。友人の兄貴の言葉を借りれば「お前が持ってろよ」とカッコをつけたものの、今となっては勿体なかったと少しは思わなくもない。6ペンスコインは一生お金に困らない「財運の富」をもたらすと言われている。写真は私が生まれた1963年の6ペンスのコインで、いつも私の財布に入っていが、「財運の富」は舞い込んで来ないようである。

June 17th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#156 ダウン症の書家・金澤翔子の魅力

 先日、ダウン症の書家である金澤翔子の書展が我が家の近所で行われていたので覗いてきた。金澤翔子さんは、1985年東京都出身。5歳から母の師事で書を始めた。20歳の時、銀座書廊で個展。その後、東大寺、法隆寺、薬師寺、延暦寺、中尊寺、建仁寺、熊野大社、厳島神社、伊勢神宮、春日大社等の神社仏閣で個展や奉納揮毫を行う。個展では、福岡県立美術館、愛媛県立美術館、ニューヨーク、チェコ、シンガポール、ドバイ、ロシア等で開催し好評を得ている。また、NHK大河ドラマ「平清盛」揮毫。国体の開会式や天皇の御製を揮毫。紺綬褒章受章。日本福祉大学客員准教授。文部科学省スペシャルサポート大使なども努めているアーティストである。

 横浜のたまプラーザという街にある小さなギャラリーなので展示数は多くなかったが、一点一点が見応えのある素晴らしい作品ばかりであった。中でも画像にある「笑」は惹きつけられた。その他「楽」「飛翔」「○」など、金澤翔子さんの命の躍動が伝わってくる見事な作品である。純粋無託な心から生まれる大胆な躍動感に溢れた書は、世界中から高い評価を得ているのも頷ける。万物に温かい思いを寄せずにはいられない作品である。

 以前、盲目の天才ピアニスト辻井伸行さんに触れたブログでも書いたが、障がいを持って生まれた子供の才能を見つけ、育てるのは「母」である。翔子さんの母である金澤 泰子さんも東京芸術大学評議員や日本福祉大学客員教授を務める書家である。書を通して親として、そして師として翔子さんを支えてきたのであろう。著書に「愛にはじまる」「天使の正体」「天使がこの世に降り立てば」「翔子・その書」「翔子」「心は天につながっている」「金澤翔子」などがあるのでぜひ読んでみたい。

 私もこれまで多くの障がい者施設や障がい者の親たちの取材、日本で初めての重度の障がい者のスポーツイベント「ゆうあいピック」の演出補などに携わる事ができた。そこで感じてきたことは、障がい者の心は健常者よりも美しく、健常者の心は障害者よりも醜いことのほうが多いということだ。まもなく行われる東京パラリンピックでは障がい者の活躍に期待いしたい。デジタルサイネージのコンテンツでも書家の作品は取り上げていきたいし、デジタルサイネージが「書」の魅力を伝えていくアイテムになれば幸いである。また、簡単なことではないが、障がい者たちを支援できるシステムもデジタルサイネージ事業から生まれることを願っている。

July 12th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#160 盲目のドラマー ジョー・モレロ

 ジョー・モレロは盲目のドラマーとして有名である。しかし、かなりの弱視ではあったが完全に盲目ではなかったようだ。サングラスをしている映像も多いので、徐々に悪化したのかもしれない。ジョー・モレロは1928年7月17日生まれで10代のころにドラムを始める。まず師事したドラムの師匠たちがすごい。ドラムの大定番教則本である「スティック・コントロール」という本を出したジョージ・ローレンス・ストーン。彼はキラーストーン奏法の生みの親だ。さらに、ローレンスと共にグラッドストーン奏法を生み出したビリー・グラッドストーン。またモーラー奏法で有名なサンフォード・モーラーにも師事して、圧倒的なスティックコントロールを身につけたのである。ちなみに私も元プロ?ドラマーだったので、「スティック・コントロール」はバイブル的な教則本であった。41ページしかないルーディメントだが、私が習得できたのはたったの4ページだけであった。

 ジョー・モレロはデイブ・ブルーベック・カルテットで人気を博した。4分の5拍子の「テイクファイブ」は、今でもジャズの歴史に輝く名曲である。また、9分の8拍子のトルコ風ブルーロンドなどの曲をクールに演奏する姿は圧巻であった。その後はリーダーアルバム「イッツ・アバウト・タイム」を発表したり、自らのドラム技術をまとめた「マスター・スタディーズ」という教則本を出したり、「ドラムメソッド」という教則ビデオも出している。このビデオの中では、すっかり年老いたジョー・モレロがクールな顔をして超超超絶テクニックを披露している。楽器全般に言えることであるが、テクニックに走り、テクニックを見せつけるアーティストも多い。ジョー・モレロのように、さり気なく、美しいリズムが、同逆立ちしてもできないようなテクニックだからこそ偉大なのである。昔、盲導犬に連れられてステージに上がるジョー・モレロの映像を見たことがあった。YouTubeで探してみたが見つからなかった。バイブルである「スティック・コントロール」は未だに所持している。せめてあと数ページは体得したいルーディメントである。

July 16th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#164 長野県立美術館・東山魁夷館

 日本を代表する日本画の巨匠・東山魁夷画伯を、私ごときが語るのはおこがましい。ただただ画伯の絵に魅了される一人である。東山魁夷の世界に触れたくて何度か美術館も訪れた。「緑響く」「白馬の森」「行く秋」「黎明」「白い朝」「春兆」「北山初雪」など、名作の数は計り知れない。画伯の作品を貯蔵している美術館は多く存在するが、有名なのは長野県立美術館・東山魁夷館であろう。東山魁夷館にある作品数だけで970点を超える。是非、夏に訪れたい美術館である。コロナ渦でなければ、この疲弊した環境ら離れ、時間を忘れて東山魁夷の世界に没頭したい気持ちである。写真の作品「緑響く」は、長野県茅野市豊平にある幻想的なため池・御射鹿池(みしゃかいけ)をモチーフに描かれたことは有名だ。美術館の帰りに足を伸ばすのも良いだろう。

 2008年に画伯の生誕100年を記念して読売新聞社が『こころの風景 東山魁夷 生誕100年』と題して、画伯の代表的な絵の中から24点をプリントした「額絵」を配布してくれた。東山魁夷館には行けないので、このリトグラフを引っ張り出した。ずっと飾っていなかったので、新しい額縁を購入しデスクの前に飾ってみた。時折、絵を差し替えて、このコロナ渦を東山魁夷画伯と共に乗り越えようと思う。画伯の作品はアートポスターなどでも多く使用されているので、いつかはデジタルサイネージのコンテンツとしても使用できれば最高なのだが。夢はひとつでも多いほうが、今は前に進める気がしている。

August 7th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#165 ランボルギーニ・ミウラはアートだ

 私は「スーパーカーブーム世代」である。スーパーカーブームは1977年あたりをピークとして日本全国の男子たちを熱狂の渦に巻き込んだ。そのきっかけとなったのは、漫画家・池沢さとし氏(現池沢早人師氏)が描いた「サーキットの狼」で、私も夢中になって読んだものだ。今のように簡単に情報を得られない時代なだけに、続々と登場してくるスーパーカーは夢の存在であった。ロータス・ヨーロッパ、フェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニなどなど、このマンガで初めて知ったスーパーカーも多かったハズだ。

 主人公の乗っていた「ロータス・ヨーロッパ」が人気であったが、スーパーカーの中でも、ひときわ美しいフォルムが「ランボルギーニ・ミウラ」ではないであろうか。フェラーリ・ディーノもトヨタ2000GTも美しい車ではあるが、「ランボルギーニ・ミウラ」には別格な美しさを感じていた。45年たった今でもその気持は変わっていない。車名の「ミウラ」は、著名なスペイン闘牛飼育家ドン・アントニオ・ミウラにちなんで命名された。この情報はこのブログを書いた時に初めて知った。それまでは45年前に友だちが言った一言「ランボルギーニ・ミウラって日本人の三浦さんがデザインしたんだって」を信じ切って、こんな美しい車をデザインした「日本人の三浦さん」を誇りに思って生きてきた私である。

 実際に調べると、ミウラはマルチェロ・ガンディーニをチーフデザイナーとし、ベルトーネがデザインした車であることがわかった。それにしても美しすぎるアートである。一生に1台はスーパーカーに乗りたいという子供の頃の夢も忘れ、中古車を乗り継いで40年。そろそろ老人用の「手押し車」が必要になってきた。その時には「手押し車」にフェラーリのエンブレムでも貼って押したろか。そんなバカな事を考えながらお散歩をしていると、我が家の近くにある豪邸のガレージが珍しく空いていた。そしてガレージの中には名前の知らないフェラーリが3台停まっていた。しかし私はフェラーリなど欲しくはない。私が欲しい車は「UAZ」なのである。デジタルサイネージ事業が成功したらロケ車に「UAZ」を買いたいと思っている。

August 8th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#169 デジタルサイネージと水墨画

 水墨画は、中国で唐の時代に山水画として始まったといわれている墨で描く絵画の様式だ。中国では「墨に五彩あり」といわれているように、墨の濃淡、ぼかし、かすれ、にじみ、グラデーション、筆を運ぶときの勢いの強弱などを駆使し、簡素でありながら繊細な表現が可能な絵画である。また水墨画では、すべてを描くのではなく、無駄をそぎ落として描かれる事が多い。自然や人生の深さ、哀歓、わび・さび、静寂、素朴さが伝わり、見る者の心を強くとらえる。日本人の持つ謙虚さや和の心にも通じる水墨画は多くに人を魅了している。

 日本の水墨画といえば、雪舟や横山大観などが有名だ。画聖・雪舟の代表作である国宝「秋冬山水図」は、力強い構図と安定感あふれる雪舟山水画の最高峰である。また、全長約40メートル、日本一長い画巻にして重要文化財という横山大観の「生々流転」。「万物は絶えず生まれ、変化し、移り変わっていくこと」を意味する生々流転というタイトルを冠したこの作品は、「水の一生」を高度な水墨画技法で描いている。どちらも一回は実物を見ておいて損はないだろう。

 私が水墨画の中でも好きな題材が「竜」を描いた作品である。自分の名前に「竜」の字があることも要因のひとつだが、水墨画と竜はベストマッチングだと思っている。海北友松の「雲竜図」も有名であるが、私は、狩野永徳の「龍虎図屏風」方が好きである。神秘的な竜という存在を「水墨画」という神秘的が技法で見事に表している傑作である。

 デジタルサイネージのコンテンツでも水墨画が取り上げたいジャパンアートのひとつである。縦型のディスプレイを6枚つなげれば、デジタル屏風が出来上がる。デジタル屏風に様々な水墨画が描き出せれば圧巻だ。また、4枚で襖絵を作ることも可能だ。これからは、技術はデジタルでも、表現は限りなくアナログであるべきだと思っている。余談ではあるが、いくら「竜」と「水墨画」が好きだと言っても、私の背中には「昇り竜」の「入れ墨」はありません。でも小さな頃は憧れていました。本当です。

August 13rd, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#170 日本が生んだ天才画家・加山又造

 近代日本画家の中でも、私が最も好きな加山又造(1927~2004)は天才である。東山魁夷が巨匠なら加山又造は天才でしかない。華麗にして斬新な加山又造の作品に触れるのは東山魁夷と一緒で、何度見ても感動する。人気のある作品はあまりにも多が、代表作を挙げるなら「月光波濤」「千羽鶴」「淡月」であろうか。加山又造は終戦直後の日本の伝統絵画の危機に直面しながら、ラスコー洞窟壁画、ブリューゲル、ルソー、ピカソを始めとする西欧の様々な絵画を貪欲に吸収しつつ独自の表現へと発展させ、日本画の伝統的な意匠や様式を鋭い西洋的なセンスで現代に甦らせた。また、華麗な屏風絵ばかりでなく、斬新な裸婦や水墨画にも取り組み、絵画だけにとどまらず陶器や着物の絵付けなどにも及んでいる。

 デジタルサイネージでも、加山又造のようなコンテンツを作ることが私の夢である。「華麗にして斬新」「大胆にして繊細」「懐かしいのに新しい」作品。そんな事を夢見ながら、銀座にある化粧品メーカーのシースルー・デジタルサイネージの絵コンテを書いている。写真の「千羽鶴」は、 東京国立近代美術館に収められている。近いうち覗きにいこう。

August 14th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#171 やっぱり私は「カウント・ベイシー」

 最も好きなミュージシャンを聞かれたら、私は迷わず「カウント・ベイシー」と答える。カウント・ベイシー・オーケストラは、今は亡きアメリカ音楽界の巨匠であるウィリアム・カウント・ベイシーが生んだビッグバンド・ジャズの最高峰である。ハートフルでウィットに富んだ独特のスイングするサウンドは味があり、世界各国で多くのファンに愛されてきた。
1936年、カンザス・シティの「リノ・クラブ」での演奏がラジオで放送され、それをきっかけにベイシーの人気はアメリカ全土に浸透していった。音楽活動はアメリカ国内にとどまらず、世界各国をツアーし、イギリス王室からの招待公演や昭和天皇への表敬演奏を行なうなど、カウント・ベイシー黄金時代を築いていった。

 代表曲である『ワン・オクロック・ジャンプ』や『ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド』は、当時の社交界の音楽であり、現在ではスタンダード・ジャズとして世界中で親しまれている。カウント・ベイシー・オーケストラは、2度の「栄光の殿堂入り」を果たし、カウント・ベイシーがこの世を去るまでに、15回ものグラミー賞の栄冠に輝いたのだ。

 カウント・ベイシーが亡くなったのは1984年。あのベイシーサウンドも終わりかと思ったが、そのバンドを引き継いだのはサド・ジョーンズであった。翌85年11月にはそのサド・ジョーンズ率いるカウント・ベイシー・オーケストラが来日し公演を行った。リズムしか刻まないギターのフレディ・グリーンも健在であった。その公演はNHKによって収録され、後にレーザーディスクとして発売された。このコンサート映像を、私は1000回以上見ている。ベイシーが健在であった時の最後のドラマーを務め、この公演に来日していた、デニス・マクレルは、私の尊敬するドラマーの一人だが、後にベイシー・オーケストラのリーダーを務めている。

 今でも健在のカウント・ベイシー・オーケストラは、メンバー19人のトップ・アーティスト一人一人がベイシーの音楽理念を忠実に継承しながら、“ベイシーが創り上げたサウンド”というスタイルの本質を追求し続け、聴く人を幸せにしてくれることだろう。ちなみに私はカウント・ベイシー・オーケストラのCDを50枚は持っている。とにかくどんな時でも私をハッピーにしてくれるベイシーの音楽。写真はお気に入りの1枚である「STRAIGHT AHEAD」。ベイシーの名盤である。デジタルサイネージでも人をハッピーにできるコンテンツ制作を心がけていこう。 

August 15th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#175 カメラガールズはアーティスト

 女子の間でカメラが流行り、カメラガールズが多くなったのはいつ頃からだろうか?一眼レフではなく、コンパクトカメラで女子旅をし、旅と食事と写真を楽しむカメラガールズ。ネット上にはカメラガールズのサイトはいくつかあるが、どの写真も肩に力が入っていなく、柔らかな女性目線と色彩感覚で美しい写真を撮っている。本当に写真を楽しむならプロではなく、アマチュアの方がいいのかもしれない。アマチュアであっても立派なアーティストであると思う。

 携帯電話にカメラ機能が付いたのは2000年。キャリアはJ-phone(現在のソフトバンクモバイル)で、シャープが開発した「J-SH04」という機種に、初めてカメラ機能が搭載された。それ以降、携帯電話を持っている人は、みなカメラマンになったのである。今では3眼のスマートフォンも珍しくはない。ムービーだって4Kで撮れてしまう。iPhoneのみで映画を作れる時代が来たのだ。

 SNSの登場で写真の世界は大きく変わった。誰もがカメラマンとして世界に発信できる。これはきっと良い事なのだろう。写真だけはなく、音楽や文章などもプロアマのボーダレスになった今、私はカメラガールズの力を借りたいと思う。これからは全ての分野で女性が中心となっていく事は間違いないだろう。デジタルサイネージの事業でも、早くカメラガールズが活躍できる環境を作らねばならない。

August 22nd, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#176 デジタルサイネージとコラージュ・アート

 私の好きなアートのひとつがコラージュ・アートである。18歳で新宿のボロアパートで一人暮らしをしていた私は、部屋中をコラージュして楽しんだものだ。引越しする時に大家さんから怒られたことも今ではいい思い出である。コラージュは芸術における表現手法のひとつで、おもに視覚美術の領域で使われる。異なる素材を組み合わせて、本来の素材が持っていたイメージや性質が切り離され、新しいイメージや性質を制作する技法である。そのため錬金術と言われることもある。よく利用される素材は雑誌、新聞の切り抜き、絵、写真などである。コラージュの起源は、20世紀初頭に前衛芸術の1つの手法として劇的なムーブメントを起こした。なお"コラージュ"という言葉は20世紀初頭にジョルジュ・ブラックとパブロ・ピカソによって作られた造語である。

 日本を代表する現代アートといえば、大竹伸朗氏などが有名であろうか。大竹氏の作風は絵画、コラージュ、ガラクタやゴミを集めて作ったオブジェで、立体コラージュ、3Dコラージュとも呼べる作品だ。また、現代アート以外にも活動は絵本や小説、エッセイ集や音楽など、多岐に渡って作品を発表し続けている多才なアーティストだ。代表作「ビル景」は大竹が1970年代40年間続けたシリーズである。氏曰く「続けようとすることよりも続いていってしまう事柄の中に探しものはいつも隠れている」と。東京、香港、ロンドン、ニューヨークなどの様々な都市のビルが大竹の手によって生み出されている。

 デジタルサイネージとコラージュ・アートの相性は良いと思っている。通常のコラージュは完成された1枚の絵だが、私の考えているコラージュは、次々に変化していくデジタル・コラージュである。時間は掛かるがぜひ作ってみたいコンテンツのひとつである。写真は、私の好きなコラージュ・アーティスト「Nancy Standlee」のハイヒール。お洒落だな〜。コラージュ・アートを制作するためには、このコロナを乗り越えて自由に創作活動ができるアトリエを作らなければならない。希望を持って進んでいこう。

August 23rd, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#177 デジタルサイネージとピカソ

 パブロ・ピカソ(1881年~1973年)は、20世紀で最も影響を与えたアーティストの一人で、生涯の大半をフランスで過ごしたスペイン出身のアーティストである。画家、彫刻家、版画家、陶芸家、舞台装飾家、詩人、劇作家など、ジョルジュ・ブラックと共にキュビスムを創立した。アッサンブラージュ彫刻の発明、キュビスム追求の末のコラージュ再発見など、幅広く創造的な芸術活動を行ったことで知られている。生涯で約1万3500点の絵画、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家と記録されている。代表作は、「アヴィニョンの娘たち」(1907年)、『泣く女』(1937年)、スペイン市民戦争におけるドイツ軍のゲルニカ空爆を描いた「ゲルニカ」(1937年)などがある。

 私が好きなピカソの作品はドローイングで描いた動物たちである。ドローイングは線画のことで、絵の具を使って描くペインティングとは対象的だ。写真はゾウだが、イヌ、ブタ、フラミンゴ、フクロウ、ウマ、ハト、リス、ラクダなど、ピカソは多くの動物をドローイングで描いている。シンプルなラインだけのアート作品は私の好みである。特にピカソのドローイングは一筆書きに近いものが多く、極限のシンプルなラインのみで、その動物の特徴を捉えているところが、やはり天才なのであろう。ピカソの作品もデジタルサイネージで展開できるので、今後のアート・コレクションに追加していきたい。

ピカソ美術館は世界に4つ存在している、いつの日か立ち寄ってみたい。
ピカソ美術館:パリ
ピカソ美術館:アンティーブ
ピカソ美術館:バルセロナ
ピカソ美術館:ヴァロリス

 天才たちが後のアーティストに与える影響は大きい。美の巨人と謙虚に対自していくことも私達には必要なことであろう。 

August 24th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#178 デジタルサイネージとジャン・コクトー

 その多彩さから「芸術のデパート」とまで呼ばれたジャン・モリス・ウジェーヌ・クレマン・コクトー。詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としても活動していた。自身は中でも詩人と呼ばれることを望んだという。コクトーが26歳のときにイタリアの画家モディリアーニ(1884~1920)らモンパルナスの画家との交流が始まる。また、フランスの作曲家エリック・サティやスペインの画家パブロ・ピカソとも出会っている。その後、台本:コクトー、音楽:サティ、美術・衣装:ピカソという、当時の最先端の芸術家によって生み出されたバレエ『パラード』が上演された。

 また、ジャン・コクトーはココ・シャネルとも交友が深く、ジャン・コクトーのアヘン中毒の治療費を全面的に出し、レイモン・ラディゲの葬儀費を工面したのもココ・シャネルであった。シャネル(ブランド)は今でもココの意思を承継で、「ジャン・コクトーに想いを馳せた2021/22年リゾートコレクション」を発表している。「アートは醜いものを生み出すが、それは時が経てば美しく変わっていく。一方でファッションは美しいものを生み出すが、それは時が経てば醜く変わっていく」とは、ジャン・コクトーの言葉である。ココ・シャネルは時が経ても変わらない美しさを追求しているのだろう。

 ジャン・コクトーの絵画は、ドローイングが多い。ピカソのブログでも書いたが、ドローイングとは「線」創作する技法だ。私も何冊か画集を持っているが、その殆どはドローイングで描かれている。ピカソのドローイングよりも繊細で独創的な作品が多い。ドローイングは一見すると、簡単に描いているように見えるシンプルな作品が多い。しかし、1枚のドローイングを完成させるために、下絵を100枚は描くというエピソードが残っているほど、時間をかけて創作していたのだ。「オルフェの遺言」「青い天使」「faces」などが有名である。「ピカソが嫉妬した才能」といわれるジャン・コクトーもデジタルサイネージのコンテンツで使いたい作品である。写真は日本ではなかなか見ることのない「Exposition à la galerie Proscenium.1973」のポスターだ。私の一番のお気に入りで思い出のある作品だが、9月にフランスのオークションに出品される予定なので、一応、入札してよう。ジャン・コクトーの美術館は、南フランス、コート・ダジュール地方の町・マントンにある JEAN COCTEAU MENTON 。一度は訪れてみたい美術館だ。

August 25th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#180 ルネサンスの三大巨匠ラファエロ

 ラファエロ・サンティは、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家であり建築家で、その作品は雄大な人間性を謳う新プラトン主義を美術作品に昇華したとして高く評価されており、37歳という若さで生涯を終えたにもかかわらず、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠といわれている。

 多くの作品がバチカン宮殿に残されており、得に「ラファエロの間」と総称される4部屋のフレスコ画は、ラファエロの最盛期作品における最大のコレクションとなっている。そのひとつが、ラファエロの代表作「アテナイの学堂」である。ラファエロは柱やアーチを多く描くことで、まるで古代ギリシャの偉人たちが壁の向こうに存在するかのような壁画の制作に成功した。絵の中には古代ギリシアの哲学者たちと神話に登場する神々が見事な遠近法で描かれており、中央向かって左がプラトン、右がアリストテレスと言われている。その他は、有名な古代ギリシアの哲学者たちだが、はっきりと誰を描いたという記録がないので、絵の中に描かれている人物が誰かは謎のままである。

 ただ、一説によると、天を指さすプラトンのモデルはレオナルド・ダ・ヴィンチで、中央手前の頬杖をついている人物は哲学者ヘラクレイトスで、同じ時期にシスティーナ礼拝堂で天井画を制作したミケランジェロをモデルにしているといわれている。盛期ルネサンスの三大巨匠といわれていながらも、ダ・ヴィンチとミケランジェロに敬意を示していたことがわかる。特にラファエロはミケランジェロにリスペクトした。

 私も実際にバチカン美術館に行って「アテナイの学堂」も「システィーナ礼拝堂の天井画」も見たことがある。両作品を比べることはできないが、両作品とも私の心に響いた作品であったことは間違いない。バチカン美術館はとても1日では見切れないので、1週間かけてじっくりと鑑賞したいものである。世界のコロナ感染が‘収束し、早く本物のアートを楽しみたい。

August 27th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#181 デジタルサイネージとアンリ・マティス

 フランスが生んだ天才芸術家アンリ・マティス。フォービスム(野獣派)と呼ばれる活動の先駆者であり、独自の色彩を駆使した作品から「色彩の魔術師」の異名を持ち、自身の感情を独自の色彩感覚で描いた作品を次々に生み出した。同じく20世紀初頭に活躍したパブロ・ピカソやマルセル・デュシャンと並ぶほどの世界を代表する芸術家の一人であるといわれている。同時期に活躍したピカソが形体(フォルム)の表現に革命を起こしたとすれば、マティスは色彩表現を現実のものから解放した人物といえる。また、後世の芸術家にも多大な影響を及ぼし、アンディ・ウォーホルなどの近代の芸術家たちもマティスから大きな影響を受けたことを公言している。私もマティスは好きなアーティストのひとりで、特に色彩に関しては多くのことを学んだつもりだ。

 マティスの代表作といえば、「赤いハーモニー」「ダンスⅡ」「ジャズ」などが有名であろう。マティスは、形と色をどんどん単純化させていき、色彩を極限まで単純化していった結果、晩年のように最終的には「切り絵」という表現にたどり着く。またしても「コラージュ」である。油絵とは違い、制作の過程で色を塗ることがない切り絵は、最初から色彩と向き合いながら作品を描くことができるとマティスは考えていたようで、「切り紙絵では色彩の中でデッサンすることができる」といった言葉を残している。

 画像の作品は「ブルー・ヌードⅣ」。この作品も含むマティスの切り紙絵を中心に展示される「マティス 自由なフォルム」展が、2021年9月に国立新美術館での公開が予定されていたが、緊急事態宣言の影響で、今の所、開催時期は未定になっている。マティスの切り絵が日本で展示されることはかなり稀であり、実に貴重な機会であるといえる。特に、フランスでの修復を経て日本初公開となるマティス晩年の傑作「花と果実」は、ぜひ一度は実際に見ておきたい作品である。

マティス美術館は、マティスが生涯の大半の時間を過ごしたフランスのニース市にある。美術館には68点の絵画作品をはじめ、版画や写真、彫刻、ステンドグラスなどが多数所蔵されており、マティスの芸術家としての軌跡をたどることができる。近代美術を語るうえで欠かせない存在であるマティス。マティスのファンであれば、生涯で一度は行っておきたい美術館だ。マティスもまた。デジタルサイネージのコンテンツに最適なアートであることは間違いない。

August 28th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#182 ポップ・アートの先駆者アンディ・ウォーホル

 デジタルサイネージに合うポップアートのひとつが「アンディ・ウォーホル」ではないかと思っている。「アンディ・ウォーホル」は20世紀アメリカ美術を代表するポップアートのスター的なアーティストで、スープ缶やマリリン・モンローのポスターなどは現在も人気があり、誰もが一度は目にしたことがあるのではないか。

 アンディ・ウォーホルは画家・版画家としての活躍の他に、音楽や映画なども手掛け、マルチ・アーティストとして活躍し、ビジネス・アーティストとしての成功を望み、人々が大きな転換期を迎えた20世紀後半の時代を先取する形でアートを巧みにプロデュースし、経済的にも大成功を収めた。ピカソが20世紀前半の芸術界を代表するスターであったとすれば、アンディ・ウォーホルは20世紀後半を代表するスターだと言われている。

 アンディ・ウォーホルは、人間が大量の物に囲まれて生きる時代となった変化を、スープ缶や洗剤の箱で表現し、現代アートの前衛であったアメリカのポップアートを誕生させる。また、ウォーホルが手掛けた作品のジャンルに、映画スターや著名人をモデルとした肖像画作品ある。中でもマリリン・モンローの肖像画がよく知られおり、キャンベルスープ缶と並ぶウォーホルの代名詞になっている。

 私の好きなウォーホルの作品は、女性の靴をモチーフにした「SHOES,SHOES,SHOES」という画集である。ウォーホルの描くイラストは、どれもポップで可愛いいが、特に靴をモチーフにしたイラストは、キュートでクールである。アンディ・ウォーホル美術館はアメリカ・ピッツバーグ市にある。エキセントリックなウォーホルの作品世界を広く一般大衆にも知らせることを目的とし、7 階 17 室の展示を公開している。

August 29th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#183 ストリート・アートの先駆者キース・ヘリング

 1980年代のアメリカのアートシーンを牽引する代表的なアーティストのひとりは、間違いなくキース・ヘリングであろう。キース・ヘリングはストリート・アート、またグラフィティ・アートの先駆者であり、シンプルなチョークアウトラインで力強い生命力を放った作品を生み出した。チョーク・アウトラインとは、犯罪現場で被害者の位置を書き記しするための白い線のことで、シンプルで大胆な色使いの作風が特徴である。1980年、ヘリングは地下鉄構内の黒い広告板に白いチョークで描いた、通称「サブウェイ・ドローイング」と呼ばれるパブリック・アートが最初の作品である。

 一見、ポップで華やかさが目立つ作風だが、そこにはヘリング自身が同性愛者でありエイズ感染者として、現代社会に対する差別や暴力に警鐘を鳴らす彼の思いが込められている。画像は代表的な作品「Radiant Baby(光輝く赤ん坊)」。「ラディアント・ベイビー」は、エイズや同性愛者などが社会に抗議するメッセージも込められている。ヘリングはエイズと診断された翌年の1989年にエイズに関連する団体や子供たちへの教育プログラムの資金提供など福祉活動を目的とした「キース・ヘリング財団」を設立する。財団の活動目的は、恵まれない子供たちやHIVやAIDSへの啓発活動を行う慈善団体への資金提供、また展覧会の開催や出版物の発刊など彼のアーティストとしての活動を支援することも行っている。現在は、ニューヨークにある彼の生前のスタジオを拠点に社会貢献活動を行われている。

 わずか31年という短い生涯にすべてを表現し、希望と夢を残していった伝説のストリート・アーティスト、キース・ヘリング。彼の意志を継ぐ現代の若きアーティストや財団の活動、世界中の街角に残された彼の作品は、彼の死後も尚、現代社会に生きる私たちに何かを訴えか、平和希求を願う彼の思いは今後も世界に広がり続けることだろう。デジタルサイネージでもいつか彼のメッセージが伝わるようなコンテンツを制作したい。

 キース・ヘリングの美術館は、以外にも日本の山梨に存在している。「中村キース・ヘリング美術館」は、八ヶ岳の美しい大自然の中で、静かに彼と向き合い、大都市ニューヨークで生まれたキース・ヘリングのストリート・アートと、そのエネルギーを感じる事が出来る美術館である。

August 30th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#185 デジタルサイネージとジャスパー・ジョーンズ

 ジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)は、抽象表現主義の最後の世代となる作家であり、1950年代初頭にアメリカで台頭したネオ・ダダという美術動向の旗手として、ロバート・ラウシェンバーグと共に語られる重要な作家の一人である。国旗や標的(ターゲット)、数字、地図などの記号を題材にした絵画を描き、60年代にはコラージュや版画、オブジェを絵画に組み合わせた作品を制作。70年代にはフラッグ・ストーン(敷石)やクロス・ハッチ(網目)を文様のようにして描いた抽象絵画を、80年代には人のシルエットなどをモチーフに取り入れた四季シリーズを手がけているアーティストである。

 アメリカ星条旗をモチーフにした作品が有名だが、ジョーンズは、日常の認識を支配する記号システムの最上位にあるのは、国家の記号である国旗であり、彼はそれを取り上げて作品にしたのだ。ジョーンズは「アメリカの国旗のデザインを使うことで私はずいぶん多くの無駄をしないですんだ。なぜなら、私は旗をデザインする必要がなかったからだ。私は同じようなもの、標的などを描きつづけた。つまり心が前から知っているものである。そのおかげで、私は別のレベルで制作することができた」と語っている。ジャスパー・ジョーンズの代表作の多くはニューヨーク近代美術館で見ることができる。

September 1st, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#186 デジタルサイネージとロバート・ラウシェンバーグ

 1950年代は抽象表現主義が全盛である。 画家の内面を、絵具を塗る行為とかさね合わせた、重苦しく激しい表現でなければ、「表現」ではないという見方が画壇を支配していた。ロバート・ラウシェンバーグは敢然とその抽象表現主義を批判する。ラウシェンバーグは、画家が生む限られたリアリティしか持たない絵画に代え、見出した事物のリアリティを出来るだけ保存し組み合わせることを芸術表現としました。既成の芸術を否定し、現実の事物を作品に登用する彼の手法は、デュシャンのレディ・メイドを思わせることから、彼はジャスパー・ジョーンズとともにネオ・ダダと呼ばれました。デュシャンのレディ・メイドとは、当初の目的とは違った使われ方をされた既製品を、芸術作品として展示されたものをさしている。

 現代芸術の先達であるデュシャンは同じ表現を繰り返さないことで、表現される新たな観念を際だたせていました。一方、ラウシェンバーグは、次々と都市の廃品、不要物を収集し、芸術空間と接合し作品とした。彼は自らの都市のリアリティの収集作業に満足し、次第に都市の賛美との差異を無くしていく。こうして作品は日常の環境に無限に近づき、あるいは拡大し、こうしてもはや「世界がひとつの巨大な絵画であると考えない理由はない」とまでキャンバスを広げていったのである。彼らが表現を現実の事物の領域に広げたことが、後のポップ・アートが生まれる基盤となったのである。デジタルサイネージでもこれからは多くのポップ・アートが登場することだろう。

September 2nd, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#187 抽象表現主義アーティスト デ・クーニング

 ウィレム・デ・クーニングは、抽象表現主義アーティストとしての活動したアーティストである。抽象表現主義とは第二次世界大戦後の1940年代にニューヨークで展開された技法で、抽象表現主義のテーマは、今までの風景や人物とは違い、精神や感情にテーマが当てられている。そして、アクション・ペインティングやカラーフィールド・ペインティングの2つの技法が有名で、その2つの技法によって、抽象表現主義の作品はデザインが大きく変わってきます。2015年に取引されたデ・クーニングの『インターチェンジ』は3億ドルの値を付け、当時ではマーケットに流通している作品では最も高額な油彩作品として記録を更新した。2021年現在、1位はレオナルド・ダ・ヴィンチの「サルバトール・ムンディ(救世主)」で4億5030万ドルらしい。
      
 デ・クーニングの代表的な作品である「女性シリーズ」は1950年から始まる。シリーズの頂点となる作は1953年の「女性6」であるが、私の好きなのは、画像の「女性5」である。女性シリーズはピカソの後期作品の影響が色濃く、攻撃的に鋭く身体造形を部分的に破壊しているが、作品が持つ濃厚なエロチズム、腕力を極めたような力強さ、ダンスのようなリズム、開放感に満ちていると評価されている。デ・クーニング絵画における女性像は、欲望、欲求不満、内面的な葛藤、喜びなどが反映されており、女性像はデ・クーニングの芸術キャリアだけでなく人生において最も重要なシンボルなのであろう。私も男なので、女性の美しさをどう表現するかは永遠の課題である。デジタルサイネージのコンテンツにおいても「女性の美」は永遠のテーマである。

September 3rd, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#188 デジタルサイネージとジャンク・アート

 ジャンク・アートとは、廃棄物やガラクタを寄せ集めるなどして制作したアート作品を指す。廃物美術、廃品美術とも呼ばれ、1950年代以降に、急速に脚光を浴びた創作手法で、21世紀の現在にまで続いている。

 ジョン・チェンバレンは、アメリカ・インディアナ州出身の彫刻家で、ジャンク・アーティストとしてよく知られている。中でも自動車のスクラップを豪快に組み合わせた、荒削りで派手な色彩の「圧縮した車」は、1960年代にアメリカで脚光を浴びた。潰れたキャデラックからクリエイティブなアイデアを創造し、自動車のパーツを潰して、パズルのピースがぴったりと合うように重ね合わせた彫刻というジャンルを確立していく。

 20世紀後半、ニューヨークのアートの世界では「NY抽象表現主義」、「ミニマル・アート」、「POP」という3つの流れが衝突し、豊かな米国文化が生まれたと言われている。チェンバレンはその3つの要素を備えた作品を産み出す稀な作家であり、84歳で亡くなる直前まで意欲的に創作を続けていた。そのエネルギッシュな研究心は、現代の若い芸術家にも大きな影響を与えている。

 デジタルサイネージでも、このジャンク・アートの発想を取り入れたコンテンツ制作に興味がある。また、ジャンク・アートの中にデジタルサイネージを入れてしまっても面白うだろう。廃棄物から発せられるメッセージは環境問題にも使えるかもしれない。アーティストとのコラボだけではなく、アートそのものとのコラボも視野入れていこうと思う。ジョン・チェンバレンの作品は、彼の公式HP で見ることができる。

September 5th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#189 デジタルサイネージと環境アート

 環境アート、環境芸術、エンバイロンメンタル・アート(Environmental art)とは、室内外を問わず、人間を取り巻く環境そのものを作品と見立てる芸術の総称である。自然環境を制作素材とする作品はアースワークと呼ばれる。そして、自然環境を生かした創作活動のみにとどまらず、様々な出来事の偶然的な組み合わせや、そこから考えられる相互関係など、インスタレーション全般を環境アートとして考えることもできる。また、環境保護の機運が台頭してきた近年では、公園、広場、道路など、都市環境において、周辺環境との関係性を考慮して設計されるランドスケープ・デザインや、彫刻、モニュメント、噴水、遊具などのようなオブジェそのものを環境アートの作品と捉えることもある。

 私はこの環境アートの中にデジタルサイネージの特性を埋め込みたいと思っている。そうすることにより、より多くのメッセージが発せられ、環境アート自体にも、新たな「色」や「動き」、「音」などの素材をプラスすることができる。このとこによる創作の可能性や発想の豊かさは、更に優れた環境アートを生み出すに違いない。画像は、天然の石を使ったアートで活躍するイギリスのJon Foreman氏の作品である。シンプルだが自然と調和した美しいアートである。最近、日本でもはやっている田んぼアートも立派な環境アートである。地域に密着した価値創造が、これからの時代は進んで行くことだろう。

September 6th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#190 アルトドルファー作「アレクサンダー大王の戦い」

 昨日、2021年度の芥川賞を受賞した石沢麻依さんの「貝に続く場所にて」を読み終えた。女子大学院生の時に仙台で東日本大震災に遭い、同期の男友達を亡くした。あの日以来、発見されていなかった男友達が9年の時を経て、ドイツで暮らす彼女のもとへ訪れる物語だ。復興の証となるはずだった東京オリ・パラも終演し、改めて「復興」とは何なのかを考えさせられた。

 その物語の中に出てきたのが、アルブレヒト・アルトドルファーによって1529年に描かれた「アレクサンダー大王の戦い」であったので、気になって少し調べてみた。アルトドルファーは、16世紀前半にドイツで活動した画家で、ドナウ派の代表的画家であり、西洋絵画史において、歴史や物語の背景としての風景ではない、純粋な「風景画」を描いた最初期の画家と言われている。

 「アレクサンダー大王の戦い」は、主題は紀元前333年のイッソスの戦いで、アレクサンダー大王率いるマケドニア軍が、ダレイオス王率いるペルシャ軍に勝利した場面を描いている。前景を埋め尽くしているのは、圧倒的なまでの槍の海と、数千の馬と歩兵である。下には多くの兵士の遺体が見える。作品下部の中央に見える、長い槍を構えた騎兵がアレクサンダー大王である。空の中心にあるタブレットには、ラテン語で「アレクサンダー大王は、ペルシャ軍によって殺された10万人の歩兵と1万人以上の騎兵を代償に、ダレイオスを倒した。ダレイオスは、1000人以上の騎兵、母親、妻、子供たちを捕虜に差し出し、自身の自由を得た」と書かれている。元々はドイツ語であったが、後にラテン語に書き替えられたそうだ。

 この絵の中心とも言える尋常でない空の描写には、宗教的な比喩がある。エジプト人に太陽の神と呼ばれたアレクサンダー大王は、太陽の光の中で勝利を得、ペルシャ人は近東の象徴である三日月の下の闇に追い込まれている。月に対する太陽の勝利は、イスラム教に対するキリスト教の勝利を意味しているらしい。私は宗教画にはあまり興味はない。ただ以前にアレクサンダー大王のショートストーリー映像を作ったことがあったので、この「アレクサンダー大王の戦い」にも興味が湧いたのだ。この絵は、ドイツ・ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク美術館に所蔵されている。でも、この絵を見ていると、この絵自体が津波にも見えてくるし、現在も形を変えて同じような戦争が行われている気がしているのは、私だけではあるまい。

September 7th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#191 水墨画と西洋画の融合 ザオ・ウーキー

 中国とフランスに国籍を持つ現代美術家ザオ・ウーキー(趙無極)の画風は、中国水墨画と西洋の現代美術との融合体だ。ザオ・ウーキーは中国で書道や中国絵画だけでなく西洋絵画について学び、戦後にフランスへ渡り、ここでさらに独自の西洋絵画に対する知識や技術を身に付けていった。ザオ・ウーキーが作品制作にあたって影響を受けたのは、印象派の作品をはじめ、セザンヌ・ピカソ・マティスなどの作品であると言われている。それはまるで、抽象表現主義などというような欧米で発展し続けている現代芸術を踏襲しながらも、若き日に学んだ書道や中国絵画の伝統を色濃く感じさせるものとなった。彼の画風は、これまでの欧米洋式であった抽象画の世界に、新たな風を吹き込んだのだ。

 画像の–1965年作「30.09.65」は、霧、または海の深遠さを表現したかのようなザオ・ウーキーの傑作である。すべての人間の心の奥に横たわる、深い闇のような場所を模索しているかのような作品だ。中国の伝統的な水墨画の技法、そして西洋抽象画の技法、この両方の融合を目指したザオ・ウーキー代表作の一つと言ってよいだろう。ザオ・ウーキーの作品の保有数日本1と言われている「アーティゾン美術館」へ足を運んでみてはいかがだろうか。そしてデジタルサイネージでも東洋と西洋の融合は大きなテーマのひとつである。

September 8th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#192 カラーフィールド・ペインティング

 バーネット・ニューマンは、アメリカの画家・彫刻家・著述家で、特にカラーフィールド・ペインティングによる抽象表現画家として、1900年代半ばに活躍した巨匠である。ニューマンの作品は、局地的感覚、存在感、不測な事態などの感覚を鑑賞者に伝えるよう構成さたといわれている。また、得意の理論武装能力を活かして、1948年にエッセイ『崇高はいま』を発表すると同時に「ワンメント作品」を発表し、自らの作品を現代美術史の文脈に位置づけ正当化させている。

 「ワンメント」シリーズ作品を発表。一色に塗られた画面に「ジップ(zip)」と呼ばれる垂直線を配し、カラーフィールド・ペインティングと呼ばれる力強い色面の構成による独自のスタイルを確立した。一面のコバルトブルーのキャンバスに白い線が一本入っている1953年の作品「ワンメント6」も彼の代表作である。ニューマンの作品の多くは無題であったが、50年代初頭に制作された絵画では、《アダム》(1951〜52)や《イヴ》(1950)、《ウリエル》(1955)などユダヤ的主題を示唆した作品名が付けられている。

 バーネット・ニューマンのワンメント的なシンプルな作品は、デジタルサイネージのコンテンツとしても最適である。シンプルなデザイン構成で、ゆっくりと色だけが変化してく。リラクゼーションをもたらすコンテンツは、これからは広告としての役割をデジタルサイネージと解き放ち、更に価値のある存在にしていくに違いないと私は考えている。それはおそらく美術史と同じで、海外からゆっくりと日本へ浸透していくのであろう。東京オリパラを期に、日本からの発信力を高めていかなくてならない。

September 9th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#193 アール・ブリュット運動の創立者ジャン・デュビュッフェ

 フランスの偉大な画家でもあり、彫刻家でもあるジャン・デュビュッフェは、多くの作品を世に残している。泥、砂、石炭塵、小石、ガラス片、糸、藁、石膏、砂利、セメント、タールなど、非伝統的な素材を利用して描くことが特徴だ。引っかき傷のようなブラシストロークで独特の作品が多く存在し、ヨーロッパの伝統的な芸術を批判した作品を手がけて人気がある。

 デビュッフェの芸術の理想は「生の芸術(Low Art)」と呼ばれるもので、より真実で人間性の高い美術制作に近づくために、これまでの西洋の伝統的な美の基準を批判した。デビュッフェはおそらくアール・ブリュット運動の創立者として最もよく知られており、彼が収集した芸術作品は「アール・ブリュット・コレクション」と呼ばれる。 フランス語の「ブリュット(brut)」は、まだ磨かれていない、あるいは加工や変形をしていない、生のまま、自然のままという意味の形容詞である。

 デビュッフェは単純な日常生活を送っている人間の芸術には、アカデミックな芸術や名画よりも芸術性や詩がふんだんに含まれていると感じた。そしてまた、デビュッフェは誰もが参加でき、誰もが楽しめる芸術を模索し始めた。ビュッフェ自身もアール・ブリュットのような知的関心から自由な芸術を作ろうと努力し、プリミティブで子どものような要素のある作品の制作を行った。画像は1964年作の「アパートメントハウス」である。彼の芸術は原始人や部族が壁に引っ掻いて描いた文字や子どもの絵と比較される。デジタルサイネージでもこの「アール・ブリュット」的なコンテンツの考えは大事で、自由なアート作品を求めていきたい。

September 10th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#195 ジャン=ミシェル・バスキア

 バスキアは自分を「黒人アーティスト」と呼ばれることを極端に嫌っていたという。そしてアーティストとして有名になるというオブセッション(強迫観念)が人並み以上に強かったと言われている。当時のニューヨークの芸術界は、今よりもさらに白人男性で固められた世界で、彼の声に耳を傾けてくれる理解者は白人ばかりで、彼自身そのことに疑問を持っていなく、加えて周囲も彼が黒人であることを意識していなかったというのだ。

 しかし、彼が黒い肌のアーティストであったがゆえに、黒人の音楽や文化や歴史、黒人選手が活躍するスポーツをテーマにした作品をつくることができるという逆説的な特権も持っていて、彼の題材の領域もかなり広い範囲に及んでいた。バスキアの絵はグラフィカルなイメージと断片的な文字がリズミカルに混在しており、時に一見すると関係なさそうな言葉が重なり合い暗号化されていて、そういった荒削りにも見える若きインテリジェンスが当時のアート界にとって刺激的だったのだ。

 わずか10年ほどの間に、膨大な数のドローイングと絵画を残した。ストリート・アート的なアクションをキャンバス上に持ち込んだ彼の作品は、「世界一の落書き」とも評された。その鮮やかな色彩と、ダイナミックで激しく感情的な手法は、「新表現主義」と呼ばれ、アメリカのアカデミックなアートシーンに衝撃を与えた。

 世界のセレブを魅了しているバスキアの作品は、その多くが個人の所有となっており、オークションでは数十億円という超高額で落札されることも。最近では、2017年にZOZO前社長の前澤氏が、アメリカ人アーティストの作品史上最高額となる約123億円で「Untitled」を落札したことが話題になった。アートはセレブが独占してよいモノでは無いとの主観は、ここでは置いておく。

 1983年にはアンディ・ウォーホールと出会い、コラボレーション作品を制作するほど親交を深めていました。しかし、ウォーホールの死後、孤独になって病んだバスキアは、1988年に27歳という若さで薬物のオーバードーズによってこの世を去ってしまった。みなさん、薬物には絶対に手を出してはいけません。(お前もな!ハイ絶対に!)

September 12nd, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#196 デジタルサイネージは広告からアートへ

 デジタルサイネージは直訳で電子看板である。看板である以上、そこに映すのは「広告」がメインとなって当然であろう。デジタルサイネージを導入する目的も広告であったり集客であったり、何がしら自社へのプラスに働く情報の発信である。公共施設であればニュースや天気予報など、視聴者に有意な情報であったりする。しかし私はこれから時代が進んでいくに連れ、デジタルサイネージは広告や情報から「アート」へと進んでいくと信じている。

 ここで言う「アート」には2つの意味がある。ひとつは、広告や配信する情報そのものをアートに近づけることである。これは単におしゃれなデザインにすれば良いわけではなく、広告の価値観から見直す必要があるだろう。もしくは広告と広告の間にアートを挟むことも必要になってくる。もひとつは、コンテンツそのものをアートにしてくことである。もちろん全てのデジタルサイネージがアートになってしまったらデジタルサイネージの価値が無くなってしまう。アートのデジタルサイネージと、広告や情報とアートをハイブリットしたデジタルサイネージになればよいと思う。この理想はあまりにも高すぎるが、いつの時代か訪れることを願っている。

September 17th, 2021 Toyosaki’s blog