デジタルサイネージのコンテンツ制作ブログ
【電子看板・見聞録】

デジタルサイネージの気まぐれコラム

時の流れに身をまかせ、時の過ぎ行くままに綴るコラム

デジタルサイネージが情報発信のメディアである以上、その時代の流れと切り離す事は出来ない。
世界は予想も付かない難問にぶち当たるし、災害や震災など、何時に何が起きてもおかしくは無い。
世界はコロナウイルスのパンデミックに遭遇し、日本はステイホームやテレワークを強いられている。
それでも人間はどんな苦境にも対応し、変化しながら生き残る道を探る勇敢な生き物である。
世の中が平和で繁栄している時は、それを支えるデジタルサイネージを、
世の中が混沌として疲弊している時は、それを支えるデジタルサイネージが必要だ。
今は、デジタルサイネージに出来ることを考えていこう。


No.012 2019年を振り返って

No.012 2019年を振り返って

 早いもので今年もあとわずか。デジタルサイネージのコンテンツ制作サイトを立ち上げて2年目が終わろうとしている。つくづく感じたのは、サイト運営って大変だなということ。サイトの構築や更新、SEO対策やマーケティング、ブログやコラム、Web広告やSNS発信。映像制作しかやってこなかった私にとっては辛い日々でした。コンテンツ制作の方がずっと楽です。でも新しいことに挑戦することは視野も広がるし自分の財産になるのでありがたいです。デジタルサイネージの普及も加速しているので、早く人に任せてディレクションに集中しなければ、良いコンテンツを増やしていけない。

 来年はオリンピックだしデジタルサイネージのコンテンツ制作以外のお仕事も忙しくなりそうです。オリンピックに関わるコンテンツも追加していきますのでお楽しみに。わたしは年末年始、創作活動に没頭します。みなさま一年間ありがとうございました。良いお年をお迎えください。

December the 26th, 2019 Toyosaki’s blog


No.013 デジタルサイネージとオリンピック

 みなさま、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。2020年は待ちに待った東京オリンピック・パラリンピックです。日本中のオリンピック会場でもデジタルサイネージが活躍する一年になることでしょう。ピクトパスカルもこの一年、みなさまに喜んで配信していただける、おしゃれでクール、低価格でハイクオリティーなコンテンツ制作に挑戦していきます。もちろんオリンピック・コンテンツも追加していきます。シリーズ名は「デジタルサイネージでオリンピック・パラリンピックを応援しよう。がんばれニッポン!」です。

 メダルに挑戦する全てのアスリートを、日本中のデジタルサイネージで応援できれば、これ程の歓びはありません。特に今回はパラリンピックのアスリートの活躍を期待しています。そして多くの感動を味わえる一生で一度のこの瞬間を共有できることに感謝して一年を過ごしたいと思います。
みなさまのご健勝と益々のご繁栄を心よりお祈りいたします。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
令和二年 元旦

January 3rd, 2020 Toyosaki’s blog

No.013 デジタルサイネージとオリンピック

No.019 新型コロナウイルスと情報発信

No.019 新型コロナウイルスと情報発信

 ロイターの発表によると、世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は27日、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大について「パンデミック(世界的流行)の可能性がある」とし、自国には感染しないという考えは「致命的な誤り」と各国に一段の警戒を促した。南極大陸を除いて全ての大陸に広がった新型コロナウイルス。日本ではコンサートやイベントが軒並み中止され、昨日27日には全国の小中学校の休校。今日28日には東京ズニーランド・ディズニーシーの休園が決まった。大企業はテレワークに切り替えるなど日本はもとより世界中の英知を絞り出しウイルス拡大を阻止しなければならない危機に直面している。

 私を含め個々で出来る感染予防を徹底することは当然として、最新で正確な情報を共有することが最も大切な事であろう。政府は危機感を更に高めてこの国難にあたってもらいたいし、正確な情報を発信してほしい。私には中国や韓国にも友人はいるし、イベント業界で働く多くの友人、アジアツアーが中止になったミュージシャン、受験に挑戦する親族、海外留学を控えた家族、オリンピックに向かって最終調整しているアスリート。昨年ブースを出店したデジタルサイネージの日本最大のイベントである「デジタルサイネージ・ジャパン」も昨日中止が決まった。そして感染の疑いのある友人も出てきた。世界中の人々がウイルスの終即後に様々な危機に直面することが避けられない中で、デジタルサイネージを使用して自分に出来る事はないかを模索している。そして、この世界的脅威が各国の文化やイデオロギーを超えて、新たな人間の価値観が生まれることを願わずにはいられない。

February 28th, 2020 Toyosaki’s blog


No.021 デジタルサイネージと3.11

 東日本大震災から9年を向かえた。実に時の経つのは早いもので、歳を取ってくるといっそう早く感じられる。9年経っても復興はあまり進んでいなく感じるのは私だけではあるまい。未だ仮設住宅で暮らす人、未だ避難区域で家に戻れない人、原発事故の汚水処理等々。数年前までは、目に見えて復興した「日本」をオリンピックで世界に向けて発信するイメージしか持っていなかった。9年前の震災の時も1年近く仕事が無くなり本当に悲惨だったが、東北の方々の事を想うと泣き言など言ってはいられなかった。そしてまたコロナによる大打撃。デジタルサイネージの事業を立ち上げるきっかけとなったのもあの震災で、何が起こっても最低限は仕事が回っていく基盤を作るためだった。そしてデジタルサイネージでも無料のチャリティー・コンテンツを使って復興の支援も出来るようにしたかった。

 現実はそんなに甘くなく、未だ試行錯誤の毎日だ。3.11になると9年前に撮影した「東日本大震災 50日目の記録」を振り返る。震災の爪痕の中に「希望」を見つけに行った私にと取っては貴重な体験だ。メディアであろうがデジタルサイネージであろうが情報を発信する側にはそれなりの覚悟が必要である。自分の考えている事や感じた事が絶対であるはずが無いからこそ、苦しみながら吐き出す。そしてまた苦しむ。また吐き出す。3.11の時以上に先の見えない今、何を苦しむかが大切なんだと思う。

March 13th, 2020 Toyosaki’s blog

No.021 デジタルサイネージと3.11

No.023 デジタルサイネージとロックダウン

No.023 デジタルサイネージとロックダウン

 東京のロックダウンの可能性は高くなるのか?「ロックダウン」=「都市の封鎖」とは、公共施設などで、外部からの闖入者に対して内部の人間の安全確保のため建物を封鎖することや、人々の勾留、屋外活動を全面的に禁止して監禁することとある。東京都の呼びかけである「不要不急の外出を控える」ことはロックダウンには当てはまらないのかも知れないが、少なくとも私たちが経験のしたことのない異常事態が迫っている。東京2020オリンピック・パラリンピックも来年の夏に延期が決まり、私の回りでも立ちゆかない人々が大勢いる。

 ウイルスとの戦いに勝利してオリンピックを迎えることは素晴らしい目標としても、本当にオリンピックまで持ち堪えられるのか?もし街がロックダウンされたとしても、人の行き来が無くなるわけではない。飲食店や様々なサービスを行う店舗が閉まってしまってもデジタルサイネージを使ってメッセージは発信できる。今、私たちが出来る事は、ひとりひとりがコロナウイルス拡大を防ぐ努力を怠らないこととそれぞれの立場や環境下で人を励ます事ではないか。デジタルサイネージもその役割が果たせれば嬉しい限りだ。これは人類の英知とウイルスとの戦いなのだ。

March 27th, 2020 Toyosaki’s blog


No.025 デジタルサイネージとライブ配信

 コンサートやライブ、イベントや講演会など、ありとあらゆる集会が自粛されている今、増えてきているのがライブ配信だ。無観客のステージパフォーマンスの配信。スマートフォンのみで出来る自宅ライブ。大学のネット授業。企業のネット配信でのセミナー。スポーツ選手のSNSでの発信など。集まれないのであれば、各自の元へ届けるこのアイデアは素晴らしいと思う。私もコロナ自粛で中止になったアリーナイベントが月末にライブ配信で行う事が決まった。もちろん制作予算は実施予定の10%にも満たないが、この時期に仕事が発生するだけでも得るものは大きい。仕事を廻してくれた制作会社には本当に感謝している。

 緊急事態宣言で休業を求められている施設や店舗、飲食店などは出来ないが、休業を求められていない店舗はデジタルサイネージを有効に使って、エンターテインメントのライブ配信や、コロナ拡大防止のメッセージ、不眠不休で戦っている医療関係者へのエールを配信するなど、いくらでもアイデアはある。デジタルサイネージであろうが、スマホであろうが、今はライブ配信を使ったサービスが最も有効だ。新しいサービスだと「ネット飲み会」なども人気があるそうだ。テレビ会議やチャットを使って、気の合う仲間が集まってのネット上の飲み会である。外出自粛でストレスが高まっている人々はさらに増えることであろう。そして決して望まないことだが、このウイルスとの戦いは長期戦になりそうだ。今こそ「映像の力」を屈ししてこの国難を乗り越える知恵を考えていこう。

April 10th, 2020 Toyosaki’s blog

No.025 デジタルサイネージとライブ配信

No.027 店舗再開後のデジタルサイネージ導入

No.027 店舗再開後のデジタルサイネージ導入

 新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が延長され、多くの飲食店やサービス業の方を苦しめている。テイクアウトなどの生き残る為の知恵や通常営業に戻った時の顧客獲得対策等の相談を受けることも多くなって来た。国にも多くの対策を期待したいがデジタルサイネージの運用をサポートできる補助金も幾つかある。ひとつは「小規模事業者持続化補助金」で、チラシやネット広告などの販促に関わる費用を2/3補助するもので上限が50万円まで。もうひとつは「IT導入補助補助金」でデジタルサイネージなどのITツールの導入が1/2から2/3へ拡大。最大450万円まで補助してくれる制度である。

 この二つの制度を利用してデジタルサイネージのハードの購入、コンテンツ制作費をかなり抑えることができる。通常営業に戻れば今までのやり方では生き残れない世界が待っている気がする。そう言う私も人ごとではなく、会社存続のために色々な補助金や支援制度の申し込みに格闘している。私の最も苦手な分野だが、幸いなことにコロナの影響で申請が簡略化している。莫大な事業計画書や売り上げ予想など無くても申請できる制度が多いので、今を乗り切る為の制度、未来の為の制度をうまく活用し、デジタルサイネージの導入を考えてみるには絶好の機会かも知れない。

  屋内用デジタルサイネージの比較は、デジタルサイネージ・ディスプレイの比較「店舗で人気の屋内用デジタルサイネージ・ディスプレイ」を御覧ください。

May 09th, 2020 Toyosaki’s blog


No.041 世界の広告の歴史

 広告や映像制作の世界に身を置いて30年になるが、今まで独学であったわたしは常に現場から学んでいたので、あまり過去から学ばない人間である。このサイトやブログを始めてから色々な事と検索し学習をはじめられたことはありがたいことである。しかし「広告のない商品は、暗闇で売るようなもの」とは誰の言葉であったかも思い出せない。「広告」とは字の如く「広く告げる」で明治維新後に入ってきた外国語の「Advertisement」を翻訳した言葉。「Advertisement」の語源は「特定の方向や対象に向けて注意を促す」。この時点でマーケティングの違いが現れている。

 人類はいつ頃から「広告」を出してモノを売るようになったであろうか?広告の起源には諸説あるが、ひとつは5000年前のバビロニアで発明された説。当然、当時には現在のような紙などはなく、煉瓦に象形文字を刷り込んだものが一般的であったそうだ。煉瓦に王の名前や建立したお寺の名前を刻むことで、それ自体が宣伝になるという目的。どちらかと言うと「広告」より「看板」のイメージ。もうひとつが、紀元前2500年ごろの古代エジプトで発見された化粧品の宣伝文で、現存する最古の広告らしい。パピルスに書かれたビラのようなもので、キャッチコピーは「この化粧品を使えばどんな老人でも若くなる。百万回も実証済み」素晴らしいのは、当時から女性をターゲットにていたことと、人間の心理の変化をしっかりと考えたコピーだということ。現代ではこのコピーでは誰も買わないと思うが、訴求の方向性と実績数字を使って信頼性を高めるという手法は、現代となんら変わらない。

 また広告代理店も紀元前から存在していたらしい。近代的な広告代理店は1800年代のイギリスで広告主から手数料をもらい、新聞広告のスペースを代理で購入したことが始まりと言われている。日本の広告は江戸時代頃から本格的に広まり、瓦版など、情報を周囲に知らせるという目的で使用された。その後看板や引き札、のれんや幟へ。そして新聞・雑誌・ラジオ・テレビの普及と共に、媒体を変えながら広告が掲載されていった。現在ではマス広告に加えて、インターネット広告、交通広告、屋外広告など様々な種類が存在する広告だが、良い広告であるからと言って商品が売れる訳ではない。ストーリーのある良い商品だからこそ、良い「広告」が生まれる。そして広告誕生から5000年経った今、日常はすごいスピードで変化し続けいる。しかしそこに生きる私たちの価値観や本質は変わっていないのかも知れない。

July 1st , 2020 Toyosaki’s blog

No.041 世界の広告の歴史

No.059 ハワイ・戦艦ミズーリで初の「原爆展」

No.059 ハワイ・戦艦ミズーリで初の「原爆展」

 昨日、終戦記念日を前にして素晴らしいニュースが飛び込んできた。米現地時間13日にハワイの真珠湾にある戦艦ミズーリ記念館で、初の「ヒロシマ・ナガサキ原爆・平和展」が開催された。今年の被爆75年の節目に合わせて長崎、広島両市と戦艦ミズーリ保存協会が主催し、広島平和記念資料館と、広島国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が協力して実現した。「原爆展」は1995年以降、19カ国51都市で開催されてきた。今年は被爆75年の節目であり、米国での開催を計画してきたらしい。そして戦艦ミズーリは1945年9月2日、日本が降伏文書に調印した場所でもある。原爆展では、被爆の悲惨を伝える被爆者の遺品や、写真パネルやのほか、広島で被爆し、急性白血病のため亡くなった女性が病床で作った折り鶴、2016年に広島を訪れたオバマ前米大統領が贈った折り鶴なども50点展示された。原爆投下の当時の米大統領トルーマンが原爆投下の理由のひとつに1941年12月8日の「日本の真珠湾攻撃」を掲げている。一般には「奇襲攻撃」とされているが、本当の意味で「奇襲」であったかは定かではない。しかし真珠湾攻撃が引き金になり太平洋戦争に投入していったことは事実である。

 そして1945年8月6に広島へ原爆投下。8月9に長崎へ投下。8月15日に終戦を向かえる。原爆投下と終戦に大きく関わる真珠湾での開催は大きな意味があるだろう。展示会にはデジタルサイネージは使用されていない様であった。このような最も価値のある展示会こそデジタルサイネージを多用しても良いと私自身は思っている。ディスプレイの技術も発展してきて、写真にも劣らない展示が可能になってきている。私も以前、核兵器のドキュメンタリーも3度制作している。また核廃絶をテーマにした平和展の演出も担った。その経験経験から、映像が持つ力はやはり大きい。映像でしか伝えられない事も存在するだろう。政府も防衛費を削減して、原爆展のリニューアルに予算を付けて貰いたいものだ。核や原爆投下については国や民族によって、様々な考え方があるであろう。しかし、このニュースでインタビューに応えていた被爆者の女性のメッセージが真実に違いない。「悪いのはアメリカでも日本でない。悪いのは戦争だ」。「原爆展」は11月30日まで開催される。先日のコラムで書いたように、アメリカの若者の核兵器に対する意識の変化が更に進む事を期待したい。そして8月15日が永久終戦記念日になることを心から祈りたい。

August 15th, 2020 Toyosaki’s blog


No.079 2020年を振り返って

 本年2020年は人類にとって過去最大の試練の年となってしまった。言うまでもなく、コロナウィルスの世界的な感染拡大である。このウィルスがどのような経緯で発生し拡散していったかは置いておいて、各国のコロナへ対応が、そのままその国民の生死や生活の大きく影響を与えたことは間違えない。迅速にロックダウンした国。経済を優先した国。拡大防止と経済再生を同時にした国。元々の生活習慣や国土性、気候、貧富の差など、様々なことが要因であるが、12月31日現在で、世界の感染者は8260万人、死亡者は180万人。日本では感染者22.7万人が超え、東京では1300人を超えた。年内の1000人超えが懸念されていたが、一気に300人も増えてしまった。多くの経営困難な会社や、学校の休校。弊社もデジタルサイネージ以外のイベントやコンサート、展示会が全て無くなり、悲惨な生活をおくっている。日本も第三波の只中にいる状態で、年末年始を迎えることになった。第三波の要因は政府の政策が後手後手になっていることも大きな要因であると思うが、やはり、国民一人ひとりが「コロナに感染しない、感染させない」との意識を維持できなくなってきたのであろう。もちろんしっかりとした感染防止をしていた方でも感染してしまった方もいる。医療従事者の命がけの一年間、影で感染防止に尽力された全ての方に心から感謝したい。

イギリスの英医療調査会社エアフィニティーの発表によると、医療従事者が予防接種によって免疫ができるのが2021年10月15日。感染がそれ以上広がらない集団免疫が形成されるのは2022年4月8日と推定している。日本は他の多くの先進国に大きく遅れをとっているのだ。そして追い打ちをかける「コロナ変異株」の猛威で、更に平常化が遅れる水見通しとなってきた。明年の東京オリンピックの開催にはコロナを乗り越えることが必須であることは世界中の認識であるが、開催国として海外から多くのアスリートを安全に招く準備よりも、春までの国民の生活を優先にしなければ、共倒れになる可能性の方が大きい。早期の英断を期待しているのは私の周りでも多くいる。そして、日本でのワクチン接種が一日も早く始まることを願ってやまない。100年に一度の「密の年」になった2020年。明日からは、また気持ちを新たにして前に進んでいこう。本年もお世話になりました。明年も、よろしくお願いいたします。吉日。

December 31th, 2020 Toyosaki’s blog

No.079 2020年を振り返って

No.080 2021年はどんな年になるのか

No.080 2021年はどんな年になるのか

 みなさま、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。昨年はコロナウィルスの猛威で100年に一度の悲惨な年となってしまいました。みなさまも、年末年始を自粛で過ごされたと思います。そして年末年始も不眠不休でコロナ患者に対応された医療従事者にみなさま、ありがとうございました。さて今年がどんな年になるのか、みなさんは想像できますか?コロナの猛威が続くことは間違いないですが、今年中に収束できるのでしょうか?私は収束しない前提で物事を進める覚悟です。ピクトパスカルは昨年末にサイトのリニューアルを行いました。本当にサイトの運営って難しいと感じています。特にコロナ渦にあってターゲット層への逼迫がますます大きくなることも間違いないし、デジタルサイネージ以外の映像制作もどうなるかわからない。

 昨年の春は、「ピンチはチャンス」なんて行っていたけど「ピンチは大ピンチ」になってきた。こういう状況に置かれたときに、その人間の本質や真価が問われるというが、まさに今が分かれ目なのであろう。こんなときは原点に帰るしかない。自分の志をもう一度確かめ、固めよう。新たな目標も立てよう。自然も、資源も、社会も、お世話になった人たちも、今まで当たり前だった全てに存在に感謝しながら進んで行こう。みなさまのご健勝と益々のご繁栄、コロナの被害が少ない事を、を心よりお祈りいたします。本年宜しくお願い申し上げます。
2021年 元旦

January 1st, 2021 Toyosaki’s blog


No.084 2度目の緊急事態宣言発令

 本日2度目の「緊急事態宣言」が発令された。1都3県に限られた発令だが、この2月7日までの1ヶ月間は、今年の日本の行方を決定することになるであろう。この発令が後手であるとか、感染の責任は誰にあるとかの議論は置いておいて、発令するのであれば保証や対策などを明確にしなければ良い結果は得られないと思う。飲食店の休業要請が中心だが、緊急事態宣言で引剥する人は他にも多くいる。当然、人が集まることで成り立っている業種は数え切れないであろう。飲食店の営業を夜8時にまでに制限したところで、どれほどの効果があるのであろうか。しかも一律1日6万という、あまりにも雑な保証。更に感染症対策分科会の尾美会長は宣言の解除はGWの長期戦を推奨している。

 東京オリンピックの開催をにらんだ政府の短期決戦のシナリオは大甘な考えではないか。解除まで最低でも4カ月はかかり、GW以降も緊急事態宣言が継続していてもおかしくない。東京都の感染者はたった一日で850人余り増え2447人になった。先の見えない長いトンネルに国民を向かわせるのであれば、その出口を示すのが政治の役割である。では、この現実の中で自分はどう舵取りをするのか。デジタルサイネージ事業のわずかな可能性が、長く暗いトンネルを進む松明となることに希望を持って進もう。

January 7th, 2021 Toyosaki’s blog

No.084 2度目の緊急事態宣言発令

No.094 「核兵器禁止条約」発効

No.094 「核兵器禁止条約」発効

 本日2021年1月22日、史上初めて、核兵器の開発・製造からや保有、使用に至るまで、いかなる例外もなく、全面的に禁じる「核兵器禁止条約」が発効された。世界の核軍縮は核拡散防止条約を柱にしてきたが、その動きは停滞してきた。核禁条約の推進国や非政府組織(NGO)は、核兵器を非人道兵器とする国際的な規範意識が高まり、核保有国への圧力になると期待しており、核軍縮の前進につながるか注目される。国連のグテレス事務総長は「核兵器使用による壊滅的な人道上の結末に関心を集める世界的な運動の成果だ」と評価している。この条約は従来の一国家の安全保障レベルではなく、世界的視野から核兵器を見直す国際社会の流れを受けて2017年7月に122カ国の賛成を得て国連で採択された。

 しかし米露英仏中などの核保有国や「核の傘」の下にある日本などは参加しておらず、現時点では50カ国のみの発効となっている。締約国でなければ、当然、条約の法的義務に従う必要はない。唯一の被爆国である日本が参加できないのは悲しい限りである。私が核兵器と真剣に向き合ったのは20歳の時であった。それから10年スパンで核廃絶に関する映像制作を続けてきた。デジタルサイネージでも「核廃絶コンテンツ」の制作は考えている。このニュースが日本のメディアでどれだけ取り上げられるかは疑問だが、小さな草の根の運動がこの条約に繋がったことは違いなく、この条約を良い機会と捉えて核保有国が核軍縮に向けた姿勢を打ち出すことを心から願ってやまない。

January 22th, 2021 Toyosaki’s blog


No.100 千日の鍛、万日の練

千日(せんじつ)の稽古(けいこ)を鍛(たん)とし、万日(まんじつ)の稽古を練(れん)とす。宮本武蔵の名言である。千日は3年。万日は30年である。今日はこの日数を自分自身に当てはめて「希望」を見出していこうと決意をした。30年前の1991年2月4日には、私はインドのニューデリーにいた。先のブログでも書いたが、この日を堺に「プロのドラマー(一応)」の足を洗い、演出家への道を志したのである。私のこれまでの30年がどんなものだったかはよいとして、とにかく多くの人に守られて、ここまでやってこられたと実感している。「苦」も「楽」も合わせた30年の時間が、はたして「鍛錬」になったのかは疑問だが、続けてきた意味は必ずあるであろう。そして次の「30年」のために立ち上げたデジタルサイネージのサイト「ピクトパスカル」も、もうすぐで3年を迎える。思った通りには行かないとわかっていたが、その道は想像以上に険しい道である。この3年が「鍛」にあたるのであれば、それだけでも意味がある。

そして今日2月4日は「立春」である。と思っていたが、今年は2月3日が「立春」であるという。地球が太陽を1週する公転の周期と、実際の1年の時間の長さにズレが生じて、実に124年ぶりに2月3日が「立春」となったそうだ。宇宙のリズムとは実に不可思議である。というか、人類が宇宙のリズムに合わせきれていないのが現実なのであろう。124年といえば、ブラジルの知性の殿堂であるブラジル文学アカデミーも124年前に創立された。1959年にブラジル文学アカデミーの総裁に就任したアタイデ総裁は、生涯を通して5万本のコラムを書き残し、国連の「世界人権宣言」の起草に尽力した人物だ。毎日1本のコラムで30年かかる計算である。

文章を書くことが苦手な私が、デジタルサイネージの制作ブログを書き始めて今回で100回を迎えた。週1回の更新を目標に始めたが、今年に入って1ヶ月で20回の更新となっている。くだらない内容ばかりだし、多くの人の目にも止まることもない。しかし続けるということには、一切のムダがない事も私は知っている。さあ、今日から新しい30年が始まる。5万本のブログを書く目標は無いが、2051年2月4日が、どんな日になっているのか?全てはこれからの「鍛錬」かかっている。

February 4th, 2021 Toyosaki’s blog

No.100 千日の鍛、万日の練

No.103 コロナ VS ワクチン

No.103 コロナ VS ワクチン

 いよいよ今日2月17日より、医療従事者4万人に対してコロナ・ワクチンの先行摂取が開始された。世界で初めてワクチン接種が行われたのが、昨年の12月8日、イギリスの90歳の女性だった。2月16日時点での世界のワクチン接種数は、世界77カ国・地域で1億7556万回を超えた。その内、米国が5286万人、中国は4052万人で、2カ国で53.2%となっている。なぜ先進国の日本がこれほど遅くなったかは、色々な要因が考えられるが、このワクチン接種は、日本にとって大きな希望となることは間違いない。後進国にワクチが届くのは更に先だ。6回摂取できるワクチンを5回にするなど、絶対にあってはならない。

 東京オリンピックの開催か中止も、このワクチン接種にかかっている。大会組織委員会会長のありえない発言で、世界からブーイングがあったり、後任の会長選出が不透明であったり、無観客での開催に意味があるのか?など、開催にしても中止や延期にしても、大きな問題を残す事になるであろう。私自身もオリンピック絡みの仕事の発注も受けているし、先日の東北地方の地震も心配である。仮にオリンピックが中止になっても、ワクチンが効いてコロナが収束に向かえば、デジタルサイネージやイベントの事業も少しは希望が見えてくる。問題は、それまで会社が持ちこたえられるかと、65歳の高齢者の手前である私に、いつ順番が回ってくるかだ。先の見えない日々は、まだまだ続きそうだが、「希望」だけは持って進んでいこう。

February 17th, 2021 Toyosaki’s blog


No.109 国際女性DAY

 今日3月8日は国際女性DAYだ。UN Womenは、2021年3月8日の国際女性デー(IWD 2021)のテーマを、「リーダーシップを発揮する女性たち:コロナ禍の世界で平等な未来を実現する」にすると発表した。特定非営利活動法人国連ウイメン日本協会は、国連で唯一、女性と少女の課題と取り組む UN Women(国連女性機関)の日本国内委員会で、日本はもちろん世界中の女性たちがいきいきと生きられる社会を目指して活動している。

 今年のテーマの骨子は、「女性は、医療従事者、介護者、あるいはコミュニティーのリーダーとして、また新型コロナウイルス感染症の拡大と闘う、最も模範的なリーダーとして、闘いの最前線に立っている。新型コロナウイルス感染症の危機は、女性による貢献の重要性と、女性が抱える不平等な負担の両方を浮き彫りにしている。女性リーダーと女性団体は、新型コロナウイルス感染症への対応とコロナ禍からの回復の取り組みにおいて、そのスキル、知識、ネットワークを駆使しリーダーシップを発揮してきた。今日では、女性がさまざまな経験や視点、スキルなどを提供することによって、すべての人にとってより良い意思決定、政策策定、法整備などに欠かすことのできない貢献ができることが広く認められている。」と説明されている。

 当然、女性の活躍は医療従事者だけではない。私が携わるデジタルサイネージや映像制作の世界、デザインの世界、舞台スタッフ、プランナーなどのクリエイティブな世界から、建設現場のスタッフ、タクシーや大型トラックの運転手など、男にしかできない職業は無いと言って良いだろう。女性の社会進出がはじまってから相当の年月が経っているのに、未だに不平等は存在している。特に日本にはその根強い風潮が残っている。このまま行けば、男性が女性に従う世界が待っているかもしれない。でもその方が、無駄な争いはなくなり、より平和な世界が創れるはずだ。私も早く優秀な女性クリエイターを確保し、デジタルサイネージ事業を任せたいと思っている。

March 8th, 2021 Toyosaki’s blog

No.109 国際女性DAY

No.112 「Googleくん」からの卒業宣言

No.112 「Googleくん」からの卒業宣言

 私事で恐縮だが、次男坊が大学を卒業した。昨年はコロナで卒業式もできなかったが、今年は感染対策をして挙行された。。私はライブ配信での参加となった。学長の贈る言葉の中で「謙虚に生きてほしい」とのメッセージが息子に届いていればよいのだが。私も謙虚に差デジタルサイネージと向き合っていこう。そして学長も任期を終えて大学を卒業するらしい。そして式典が終了した後、学長がギターの弾き語りで2曲のエールを学生たちに贈った。息子は良い学び舎に入れたのだと思った。

 そこで、私も何か卒業しなくてはと考えた。お酒やタバコは、いずれ卒業するとして、「Googleくん」から卒業しようと決めた。私にとって「Googleくん」とは、単なる検索エンジンであって、それ以上でも、それ以下でもない。私が検索エンジンでしかない「Googleくん」と真剣?に向き合うこととなったのは、デジタルサイネージのコンテンツサイトを立ち上げてからである。それまでも自社のHPはあったが、別に「検索」で上位表示を狙う必要もなく、好きなように作って、人に聞かれた時にだけ見せられればよい宣材でしかなかった。HPの更新など年に一度か二度で十分なサイトである。しかしデジタルサイネージのコンテンツ販売サイトとなれば話は別だ。少しでも多くの人の目にサイトが触れることが望ましいと考えれば、当然「Googleくん」の検索結果でも上位の方が望ましいのだ。そのための対策として行うのが「SEO対策」である。謎に包まれた200以上あるといわれているグーグルのアルゴリズムでサイトを評価し、検索者が求めている情報にふさわしいサイトから順位がつけられるというもの。ウェブサイトを集客の柱にしている会社は、この「SEO対策」に莫大な予算をつぎ込んでいる。しかし私の会社にそんな予算は無いので、これまで自力のSEO対策をしてきたのだ。

 そして3年が経ち一つの持論に達した。それは「グーグルは検索者が求めている情報にふさわしいサイトから順位を付けられていない」という事である。もちろん世界のグーグルである。それなりの検索結果にはなっていると思う。しかし所詮はプロライターが書く「コンテンツの質」や「外部リンクの数」、「DA(ドメイン・オーソリティー)」など、弱小零細企業にとっては不利な条件ばかりが、上位表示に必要とされる傾向にある。ましてはデザインなどのアートやクリエイティブな「画像」はいくら優れていても評価の対象とならない。なので、今日「Googleくん」からの卒業宣言をする。卒業と言っても、「Googleくん」の考えか方を全て無視するわけではない。ユーザーにとって価値のあるサイトにしていく努力は続けていく。いつか「Googleくん」が画像AI知能なども含めて、私のサイトを正確に評価できる時代が来ることに期待しよう。こんなこと書いたら、また「Googleくん」の評価が下がるのかもしれないが、時間をかけて良いサイトにしていこう。

 そして、建築家を目指している次男坊は、そのまま大学院へ進む。私は、あと2年は授業料を払わなければならない切実な状況に置かれている。私も「Googleくん」だけではなく、子育てや、会社の経営、そして出来る事なら女房から、早く卒業したいものである。

March 17th, 2021 Toyosaki’s blog


No.115 詩人の放つ言葉の力

 今日は、朝早くからカラスの鳴き声で目が覚めてしまった。昔はカラスといえば夕方に鳴いているイメージだったが、最近は早朝から群れをなして鳴くことも多くなった。カラスにはカラスの事情があるのだろうが、これも自然破壊の影響を受けているのであろうか。カラスといえば童謡の「七つの子」が有名だ。もしかしたら新型コロナで亡くなられた志村けんさんの替え歌の方が有名なのかもしれない。まさにカラスが鳴くのは、カラスの勝手である。

 「七つの子」の歌詞で「可愛七つの 子があるからよ」の「七つ」が、七羽なのか七歳なのか、度々論争になったらしい。カラスは一度に七羽もの雛を育てることはないらしく、七年も生きたカラスは、もはや「子」とは呼べない。一つの解釈として「七歳説」への手がかりとして、作詞を担当した野口雨情氏の息子が七歳の頃に作られた歌詞である事実と、雨情氏自身が七歳で母親と別れたことから、野口雨情氏自身の母への思慕の情や実体験からくる子供への想いが、歌の中で「七つの子」という言葉があてられているのではないかと言われている。ひとつの「言葉」に込められた想いは計り知れない。

 「詩人」の放つ「言葉」の持つ力は大きい。私も多くの「詩人」から勇気や希望をもらってきた。「言葉」は万人の与えられた自己表現の手段ではあるが、日常のやり取りでメールやSNSが増えてきて、尚更「言葉」の価値や責任も大きくなってきた。軽い気持ちで書いたメールが、人を死に追い込むことさえある。私の場合は「真意」が伝わらないと感じたら、やはり直接話すようにしている。「いい言葉」「いい文章」を書くには、良書に触れるのが最も良いと言われている。しかし、若い人たちの「本離れ」も進んでいるらしい。本を読むことでしか得られない世界観が創造力を生む力になる。私ももっと良書に触れて「言葉」を磨いていきたい。デジタルサイネージの広告コピーは当たり前として、「言葉」には人格が現れる。私の「ブログ」は人格を感じられないお粗末な「言葉」で申し訳ないと思って書いている。

March 27th, 2021 Toyosaki’s blog

No.115 詩人の放つ言葉の力

No.173 オリンピックとパラリンピックの狭間

No.173 オリンピックとパラリンピックの狭間

 パラリンピックの原則無観客開催が決定した。この爆発的な感染拡大では当然の選択であろう。そして緊急時他宣言地域の拡大と期間の延長。記録的な豪雨による各地の被害。アフガニスタンではタリバンが首都カブール占拠した。そして新たなコロナ変異株「ラムダ型」の出現。オリンピックとパラリンピックの狭間で、世界も日本もこれだけの驚異に晒されていながら、不気味なぐらい静かである。

 パラリンピックが始まれば、オリンピックの時と同じように「アスリート・ファースト」になって、多くの大切な出来事が報道されない。いや、報道されないように仕組まれているとさえ感じてしまう。アスリートに罪はない。特にパラリンピックのアスリートたちには頑張ってもらいたいし、応援もしている。JPC(日本パラリンピック委員会)は、JOCとは別の組織で、活動や理念も違う。「障がい」をもっているアスリートの「命と健康」を守るために、最善の対策で望んでほしい。
ただパラリンピックが終わった時に、世界は、そして日本はどうなっているのだろうか?

 五輪・パラ関係者のコロナ感染者が600人を超えているのに「オリンピックと感染拡大は関係ない」としている政府や組織委員会。飲食店のみなさんが「飲み屋の営業と感染拡大は関係ない。うちだってバブル方式で予防している」と言われても仕方がない。飲食店には保障があるからまだ良いほうだが、全く保障されない職種の方にとっては、五輪やパラを手放しで歓迎できない感情と戦っている。私もそのひとりで、このまま感染拡大が止まらなければ、デジタルサイネージは基より、会社の存続すらできなくなるであろう。政府は年内中に景気が回復するといっているが、そんなに甘い状況ではない。

August 18th, 2021 Toyosaki’s blog


No.194 9.11から20年

 今日9月11日で、あの忌まわしい「米国同時多発テロ」から20年が経つ。米国同時多発テロ事件は、2001年9月11日の朝、イスラム過激派のテロリスト集団アルカイダによって行われた、アメリカ合衆国に対する4回の同時テロ攻撃である。亡くなった90を超える国々の2799名のご冥福と、ご家族、親族のみなさまのために追悼します。犠牲になった日本人24名の中に、私の知人の兄も入っていた。毎年9月11日を迎えるたびにあの日の夜を思い出してしまう。

 米ワシントンのシンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」は2018年の報告書で、活動中のテロ組織の数を1980年以降で最多水準の67と推計。戦闘員の数は10万~23万人で、米同時多発テロが起きた2001年から270%増加したと指摘した。今年の8月にはアフガニスタンから米軍撤収が終わる前に、タリバンが首都カブールを占領。アフガニスタンの政権があっけなく崩壊した。相次ぐテロと長引く戦争が米国と世界を揺るがした20年とはどんな時代で、何を意味するのであろうか。テロリストがAI搭載のドローン爆弾やウイルス兵器を武装できるようになる前に、この問題を解決できなければ、世界は更なる驚異を迎えることであろう。

September 11st, 2021 Toyosaki’s blog

No.194 9.11から20年

No.200 ブログ200回記念

No.200 ブログ200回記念

 ブログを書き出したのが2019年の10月5日で、今日で200回を数えた。本当に中身の薄い記事を書き綴ったことか。当初は1週間に1本を目標にしてきたのだが、3.5日に一度は書いた計算になる。総文字数191.099文字。原稿用紙478枚。作家やライターさんから見れば、子供の作文であろうが、これはこれで自分を褒めてやりたい。この2年という期間は大半がコロナのパンディミックが占めている。私も昨日、2回目のワクチンを打ってきた。ワクチン摂取には疑問や不安もあったが、ワクチンパスポートが無いと、仕事の現場にも出入りできない世の中になりそうだったので摂取することに決めた。まだ大きな副反応は出ていないが、数年先にはどうなるかわからない。

 感染各状況もこの2週間は下がってきている。第6波はかならず来るだろうし油断は出来ないが、10月からは少しずつ通常の日常へもどり、仕事も動き出すことに期待している。パンディミッやオリンピックの開催を巡ってあからさまになった日本。決して政治だけを責めるつもりはない。日本人のアイデンティティーそのものが問われたのであろう。私のその日本人のど真ん中にいる以上、これからの行動や発言が大切になってくる。人類の未来を決める大切な10年のスタートである本年も、第4コーナーを回った。うまくコーナリングして、最後の直線に勝負をかけよう。

September 23rd, 2021 Toyosaki’s blog


No.258 2021年は振り返らない

 ピクトパスカルも今日で仕事納めだ。みなさまにとって2021年はどんな1年だったであろうか。東京オリ・パラは1年延期で開催したが、会場は原則無観客という異例の大会となったが、日本は史上最多のメダル58個(金27)を獲得した。コロナは長期化し、ワクチン接種が進んだ。熱海市の土石流で死者・不明27人。真鍋淑郎さんがノーベル物理学賞。将棋の藤井聡太が最年少四冠。気候変動サミットで温室ガス、46%削減の新目標。みずほ銀行のシステム障害。本来ならオリンピックイヤーの経済効果と熱狂的な盛り上がりが2021年の象徴となっていたことだろう。

 しかし、2年目のコロナ渦は世界中の価値観やシステムを変えてしまったようだ。この変化に対応出来た者と出来なかった者で、これからの時代を進む方向すら変わってしまう。私も日々スレスレでこの1年間もがいてきたが、果たしてこの変化に対応出来ていたのかは疑問である。年齢的なこともあるであろう。気力や体力も関わってくるであろう。コロナウィルスは、人間の対抗に順応に変化し続け、新たにオミクロン株に変化して更なる猛威を奮っている。生き残るという意味では、人類はコロナウィルスに学ぶこともあるのかもしれない。2022年、このままいけば、第6波のコロナとの戦いに突入することであろう。そうなれば更になる変化が求められる。深い闇に包まれた時代にどんな未来が待っていようが、希望だけは失わずに進んでいきたい。みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。

December 30th, 2021 Toyosaki’s blog

No.258 2021年は振り返らない

No.259 Happy New Year 2022

No.259 Happy New Year 2022

 みなさま、新年明けましておめでとうございます。本年もピクトパスカルをよろしくお願いいたします。さて2022年はどんな1年になることやら、希望と不安を共に併せて飛躍していきたいものです。まずは新年早々、コロナで崩壊寸前の会社を再生させる為にありとあらゆる手を打たなければいけない。コロナで延期になってしまったデジタルサイネージのオリジナルコンテンツ制作の受注も進めたい。新規の販売コンテンツの制作も同時並行で行う。今年は「こじ開けなければならない課題」が山積している大切な1年だ。

 兎にも角にも、今年中にコロナとの戦いに終止符を打つ事。今年中に経済を回復させる事。懸念されている大型地震に備える政策を打ち出す事。政府には、この最低限の3つの課題に尽力してほしいと思う。2030年までの地球温暖化の戦いや、SDGsの推進、サスティナブルな社会の確立など、地球規模での人類の挑戦のために大切な1年となる本年である。私も自身の足元を固めながら、微力ながら未来に何かを残せる1年でありたい。みなさまにとって、良い1年でありますことを心からお祈り申し上げます。2022年元日。

January 1st, 2022 Toyosaki’s blog


No.266 ミハイル・ゴルバチョフ

 ロシアのプーチン大統領の独裁政権によって、犠牲になるウクライナの庶民とロシアの庶民。未だコロナのパンデミックが終わっておらず、障がい者たちの平和の祭典である「冬季パラリンピック」が開催されているその時に、原子力発電所を攻撃し、子供を殺し、首都キエフを取り囲網としている。世界中の人々が「侵略戦争」とみるこの愚かな行動は、今後の世界に何を残すのであろうか。

 ロシアのウクライナ侵攻を受け、モスクワの「ゴルバチョフ財団」が2月26日、一刻も早い戦闘停止と和平交渉開始を呼びかける声明を出した。元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏(91)は約30年前、米ソ冷戦を終結に導き、ノーベル平和賞を受賞した。20世紀の歴史で、「旧ソ連の社会主義体制の樹立と崩壊」は三本の指に入る史実であるといわれている。ゴルバチョフはペレストロイカ政策のもとその最終局面を担った指導者であり英雄だ。

 声明の全文は「2月24日に始まったウクライナでのロシアの軍事作戦に関連し、一刻も早い戦闘行為の停止と早急な平和交渉の開始が必要だと我々は表明する。世界には人間の命より大切なものはなく、あるはずもない。相互の尊重と、双方の利益の考慮に基づいた交渉と対話のみが、最も深刻な対立や問題を解決できる唯一の方法だ。我々は、交渉プロセスの再開に向けたあらゆる努力を支持する」である。

 30年前にゴルバチョフ氏が植えた「平和の種」が、これから大きな花を咲かせる前にプーチンが根こそぎもぎ取ろうとしている。1分1秒でも早く、この愚かな行動に終止符を打つことを心から願ってやまない。

March 5th, 2022 Toyosaki’s blog

No.266 ミハイル・ゴルバチョフ

No.267 国際女性デー2022

No.267 国際女性デー2022

 今日3月8日は国際女性デーである。国連が定める2022年のテーマは、「持続可能な明日に向けて、ジェンダー平等をいま」である。 このテーマは、すべての人にとって、より持続可能な未来を築くため、気候変動への適応・緩和・対応策を主導している世界中の女性と女児の貢献を認め、称えるものだ。近年ますます企業やメディアが、この日にあわせてキャンペーンやイベントを行なうことも増え、女性の権利向上や性差別撲滅を呼びかける日として広く認知されている。

 「国際女性デー」淵源は1900年代初頭の女性参政権運動や女性労働者運動に端を発している。初の「女性の日」は1909年2月28日にアメリカで記念された。前年にニューヨークで縫製労働者によるストライキが行なわれ、女性たちが労働条件の改善などを訴えたことに敬意を表し、アメリカ社会党がこの日を「全米女性の日」としたのだ。1910年には17か国の女性100人以上が参加したコペンハーゲンでの会議において、国際的な「女性の日」を設立。1911年3月19日にオーストリア、デンマーク、ドイツ、スイスで初の「国際女性の日」記念行事が行なわれ、これには100万人超が参加したという。その後、「国際婦人年」にあたる1975年に国連が3月8日に「国際女性の日」を記念することを認定した。

 日本においても「UN Women日本事務所」は、UN Womenの世界各地に展開している4つのリエゾンオフィスのうちの1つであり、アジア地域で唯一のリエゾンオフィスとして、多くのメッセージを発信している。また政治の現場では、2021年10月の衆院選挙後、衆議院の女性国会議員の割合は9.7%となり前回を下回った。この数字は世界190か国中168位だという。参議院の女性比率は23.0%で、合計すると日本の国会議員のうち女性が占める割合は14.3%となる。日本における女性の政界での活躍がいかに遅れているかと物語る数字である。

 デジタルサイネージを含む映像やデザインの世界は女性が多く活躍している。厳しい現場でも男性よりも女性が頼りになる。東京2020の時に運営トップの「女性蔑視」が世界でも大きな反感をかった。日本に根強く定着してきた悪しき文化であろう。ウイルスの狂気、侵略戦争を乗り越え、持続可能な未来をつくるのは、間違いなく「女性」だと確信している。

March 8th, 2022 Toyosaki’s blog


No.276 デジタルサイネージと鎌鼬

 鎌鼬(かまいたち)は、日本に伝わる妖怪、もしくはそれが起こすとされた怪奇現象で、つむじ風に乗って現われて人を切りつける。これに出遭った人は刃物で切られたような鋭い傷を受けるが、痛みはなく、傷からは血も出ないともされている。私は、6歳の時に鎌鼬に出会ったことがある。夏の暑い日に母に、「倉庫にある「三ツ矢サイダー」を6本取ってきて冷蔵庫に入れておきなさい」と言われ、6本を抱えて倉庫から出てきた時の出来事だ。小さな私の腕では6本もの瓶を抱えきらずに、その内に1本だけが私の腕の中から落ちてしまい、床に叩きつけられ割れてしまった。

 ああ、ヘマをして母に叱れるかことを覚悟して台所へ辿り着くと、母が「その手首どうしたの?」と、驚きの表情で私に訪ねた。私は何事が起きたのかと思い母に「どうしたの?」と聞き返すと、母は「あなた、もしかして鎌鼬にあったんじゃないの?」と大騒ぎしたのです。サイダーの瓶を床に置いて、左手を見ると、手首の関節部分がパックリ割れていた(細かな描写はしません)。血が一滴も出ていなく、痛みも全く感じないこの「鎌鼬」に私は襲われ、今でのもの傷はきっかりと残っているのだ。

 今、ウクライナで起こっている紛争も何故か「鎌鼬」のように感じている。気づかぬうちに心が切り裂かれ、血を流すこともなく、痛みもない。人は直に痛みや苦しみを感じなければ、それは、自分には関係のない出来事のように思ってしもうのかもしれない。「実際に痛みのない苦しみ」と、どう向かい合うかが必要と考えている。また、デジタルサイネージの映像表現でも、「鎌鼬」のように、コンテンツを見た人の心に深い傷のような記憶が残れば、それはそれでイイことだろう。「鎌鼬」にあった人って、私の周りではあまり聞なかいが、遠い昔に、「鎌鼬」にあったという美しい女の子に出会ったことがある。そんなことを思い出した3月31日であった。

March 31st, 2022 Toyosaki’s blog

No.276 デジタルサイネージと鎌鼬

No.277 デジタルサイネージと「国際子どもの本の日」

No.277 デジタルサイネージと「国際子どもの本の日」

 早いもので、今年も4月に入った。当たり前のように桜は開花し散っていく。デジタルサイネージのコンテンツ用に桜の撮影をしなければいけないのだが、なかなか重い腰が上がらない。ロシアのウクライナ軍事侵攻、北朝鮮の核ミサイル開発、中国の香港民主派への弾圧、コロナの第7派、日に日に多く感じる大きな地震、物価の上昇、サイバー攻撃、毎日無数に届く詐欺メール。こんな不安な世の中は戦後初めてでは無いだろうか。環境に振り回されナーバスになりがちな人も多いことだろう。

 今日4月2日は、童話作家アンデルセンの誕生日で、「国際子どもの本の日」である。子どもに本を読む喜びを、そして、大人にも子どもの本の面白さを伝えるため、1967年、 IBBY(国際児童図書評議会)によって定められた。毎年、世界中で子どもと本のお祭りがひらかれている。デジタルサイネージのコンテンツ制作でも、子どもの本は貴重な存在だ。私も子ども向けのコンテンツ制作に多く関わりたいと思っている。

2021年 国際子どもの本の日・アメリカからのメッセージをご紹介しよう。

「言葉の音楽」

詩:マーガリータ・エングル 日本語訳:島式子

本を読むと、心の翼が広がる。
文字を書くと、指が歌う。

言葉は、太鼓をたたく音やフルートの音色のようにページの上で響く。
空高く舞い上がる鳥、高い声で吠える象の群れ、
とうとうと流れる川、なだれ落ちる滝、
ひらひらと空高く舞う蝶!

言葉に誘われて私たちは踊り出す。
リズム、詩、鼓動、
ひづめの音や鳥の羽ばたき、古いお話や新しいお話、
空想から生まれた物語と本当にあった物語。

故郷で幸せに暮らしていても、
息せき切って国境を越え、新しい土地や
知らない言葉に向かうとしても、物語や詩は
いつでもあなたのもの。

言葉を分かち合う時、私たちの声は
未来、
平和、喜び、そして友情という音楽になる。
希望の旋律になる。

 ウクライナの子どもたちが、1分1秒でも早く、安心して本が読める日がくることを願ってやまない。さあ、新年度のスタートである、今取り掛かっている編集作業を終わらせて、遅咲きの桜を撮りに行こう。

April 2nd, 2022 Toyosaki’s blog


No.288 デジタルサイネージと「こどもの日」

 今日5月5日は、こどもの日である。こどもである私の日でもある。世界的ルーツは、1925年にジュネーブで制定された6月1日の「国際こどもの日」、1954年に国連で11月20日を「世界こどもの日」と定めている。こどもの日といえば、日本では「鯉のぼり」と「五月人形」が象徴的である。こどもたちの健やかな成長を願って揚げられる鯉のぼりは、江戸時代から始まった風習で、もともと、武士が玄関先に幟(のぼり)や旗指物(はたさしもの)を飾っていたことから始まったようだ。その後、一般町人も真似をして行うようになり、五色の「吹き流し」や、出世魚であり、「滝を登り切った鯉は竜になる」という中国の故事にちなんだ、「鯉」の形のものが揚げられるようになったのだ。

 「鯉のぼり」といえば、私の中では「東日本大震災」の復興と亡くなった子どもたちの追悼を兼ねて行われきた「青い鯉のぼりプロジェクト」が最も大切なイベントである。震災で5歳の弟を亡くした17歳の青年の呼びかけで、震災が起こった2011年の5月5日から始まったこのプロジェクトは、復興シンボルとして今も続いている。毎年、全国各地から贈られてくる「青い鯉のぼり」だけを掲揚し、地元の和太鼓演奏や、全国から賛同したミュージシャンなどの演奏を披露している。もちろん全てがボランティアである。

 私も2年目の2012年から、毎年記録を残してきた。しかし2020年はコロナの感染拡大で中止に、2021年はリモートライブでの開催となった。今年は3年ぶりに何とか感染防止対策をしっかりやりながら開催する運びとなった。今年の「青い鯉のぼり」の掲揚数は、何旒(りゅう・鯉のぼりの数え方)であったのか?残念ながら、今年は諸々の事情で参加できなかったが、私が2年目に贈った青い鯉のぼりも東北の青い空を気持ちよく泳いだことに違いない。一緒にいることや、長い時間を共有することだけが共感でも理解でもないと思っている。参加できなくても「想い」や「絆」が途切れることはないと信じている。

 こうした「東日本大震災」の復興イベントなども、デジタルサイネージの無料コンテンツで全国に知らせたいと思っているが、簡単な道のりではない。この復興イベントが続く限り、決して諦めることなく続けていきたいと思っている。ちなみに、祝日法によると、「こどもの日」とは、「こどもたちの人格を重んじ、幸福をはかるとともに、お母さんにも感謝する日」とある。5月の第二日曜日が母の日であるから、日本では毎年必ず9日以内に「母に感謝する日」が2度来ることになる。ああ母は強し。ああ父は弱し。

May 5th, 2022 Toyosaki’s blog

No.288 デジタルサイネージと「こどもの日」

No.295  デジタルサイネージと「核廃絶」

No.295  デジタルサイネージと「核廃絶」

 昨日8月6日で、広島に原子爆弾が投下されてから77年を迎えた。ロシアの軍事侵攻により、世界で核の脅威に対する危機感が広がるなか、被爆地・広島では、犠牲者を追悼し、核兵器のない世界の実現を国内外に訴える1日となった。広島市の平和公園で行われた記念式典には、3年ぶりに一般の参列者席が設けられ、被爆者や遺族の代表をはじめ、岸田総理ほか、99の国の代表が参列した。式典では、今年1年に死亡が確認された人、4978人の名前が書き加えられ、合計33万3907人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められた。

 そして、止まる気配のないプーチン大統領によるウクライナへの軍事侵攻。核兵器の使用も辞さない構えを見せ、世界はまさに現実的な“核の脅威”に直面している。去年発効した「核兵器禁止条約」を受けた初めての締約国会議が、オーストリア・ウィーンで6月21日から開催され、核廃絶に向けた世界的な取り組みを話し合った。広島や長崎の被爆者たちもの代表も参加はしたが、日本自体は日米同盟のしがらみで「核兵器禁止条約」には不参加である。被爆者たちの思いは。そして、日本政府は、今後、世界的に進む「核廃絶」にどのように対応するつもりなのであろうか?デジタルサイネージでも、核廃絶のコンテンツを作っていきたい。

August 7th, 2022 Toyosaki’s blog


No.296 「長崎の被爆と一枚の写真」

 本日8月9日は、被爆77年目の長崎・被爆の日。長崎の平和公園では、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われた。式典には米英中仏印、イスラエルの核保有6カ国など過去最多の83カ国が参列した。長崎への原爆投下によって1945年12月までに7万3884人が亡くなり、7万4909人が負傷した。今年の式典では、今年1年間で死亡が確認された3160人の原爆死没者名簿が奉安され、奉安者の累計は19万2310人になった。広島と合わせると52万6217人と信じがたい人数となる。原爆の被爆者自体が少なくなり、当時の悲惨さを語る「生きた言葉」は世界の貴重な財産として残していかなければならないと思う。

  私が長崎の被爆で一番印象に残っているのが、原爆投下後の長崎で撮影されたとされる写真「焼き場に立つ少年」である。この写真は米軍の被爆の記録カメラマンであった、ジョー・オダネル氏(1922~2007)が1945年の原爆投下当時に撮影したものである。直立不動の少年が、亡くなった弟を背負い、焼き場で火葬の順番を待っている姿を写している。この少年は、血がにじむほど唇を噛み締めて、やり場のない悲しみと怒りをあらわしている。

 近年この写真への共感が、時代や国境を超えて広がっているようだ。2017年にローマ法王フランシスコが「戦争がもたらすもの」とのメッセージと自筆の署名を添えて、写真を世界に発信するように呼び掛けた。日本ではカトリック中央協議会(東京)が7月上旬に日本語版の写真カードの配布を始めると希望者が相次いだ。唇をかみしめ悲しみをこらえる少年の姿が、多くの人々の心を揺り動かしている。この少年の消息は知られていないが、自身を含め多くの人が少年に思いを重ねる。戦争反対と千回言うより、1枚の写真が訴える力の方が、はるかに大きい。しかし、未来を守る唯一の道である「核兵器廃絶の道」は、険しくまだまだ長い道のりとなりそうだ。

August 9th, 2022 Toyosaki’s blog

No.296 「長崎の被爆と一枚の写真」

No.300 77回目の「終戦記念日」

No.300 77回目の「終戦記念日」

 「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び」。有名な「玉音放送」の一節である。「玉音放送」とは、1945年8月15日正午に放送された、昭和天皇が自ら「終戦の詔(みことのり)」を読み上げて、第二次世界大戦での日本の降伏を国民に伝えたラジオ放送のことをいう。それまでは、天皇は神聖なものであるからラジオに出ることはなかった。この年7月26日に日本の無条件降伏を要求するポツダム宣言が出されたが、日本政府はこれを拒否。8月6日に広島、9日には長崎に原爆が投下された。そして、14日の御前会議で天皇の決断によってポツダム宣言受諾が決定される。その席上、天皇は、国民に呼びかけるために自らマイクの前に立ってもよいと表明し、同日深夜宮中で、天皇がポツダム宣言受諾に関する詔書を読み上げて録音され、2組のレコード盤にとった。放送中止を謀って宮内省と放送会館を襲撃する事件もあったが、8月15日放送は無事行われ、ここに第二次世界大戦は終結した。内務省の発表によれば、第二次世界大戦の戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人であったそうだ。

 よくこのポツダム宣言の話では“日本がポツダム宣言を受け入れなかったから戦争を早期に終結させるために、やむを得ず原爆を落とした”と、あたかも原爆投下をしたアメリカが正義であるかのように言われてきた歴史がある。しかし、アメリカが日本に原爆を投下することを決定したのは、実はポツダム宣言発表の7月26日より前の7月24日であった。つまり、原爆の投下は予め決められていたもので、アメリカには“必ず原爆は落とす”という思惑が先にあったようだ。それには、ソ連に対してアメリカの軍事力の強大さを知らしめて牽制するため“原爆の力を見せつける”必要があったのだ。そのうってつけの場所が日本であったのだ。アメリカはポツダム宣言にもともと明記されていた「降伏後に天皇の地位の保持」をあえて明記しないことにした。国家国民の象徴たる天皇は日本人の心の拠り所であり、そして当時は政府の最高責任者でもあった。案の定、天皇の地位の保障がない降伏など日本は受け入れられるはずもなく、アメリカの思惑通りに事が進み、原爆投下へとつながっていく。時代と共に戦争の真実は明かされていくことだろう。

 そして今日、77回目の「終戦記念日」を迎えた。戦後1963年から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われ、正午から1分間、黙祷が捧げられるようになった。「終戦記念日」は1982年4月の閣議決定により「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」として制定された。「終戦記念日」とはあくまで俗称で正確な名称は“戦没者を追悼し平和を祈念する日”である。毎年この時期には、戦争の愚かさ次の世代に伝える番組や催しが多く開催されている。そして77年経っても起こっているロシアとウクライナの「侵略戦争」と「核兵器による第三次世界大戦」への危惧。20世紀は「戦争の世紀」、21世紀は「平和の世紀」であると多くの人が信じていたはずだ。ウクライナの「終戦記念日」はいったい何時訪れるのであろうか?

August 15th, 2022 Toyosaki’s blog


No.302 デジタルサイネージとワールドカップ2022

 昨日2022年11月23日、FIFAワールドカップ2022で歴史的な快挙が起きた。日本代表が、初戦である対ドイツ戦を2対1で勝利を収めたのだ。過去4回、世界の頂点に上り詰めたドイツに勝ったことは、日本のサッカー史上に永遠に刻まれることだろう。前半戦を1点リードされ迎えた後半戦。大きなシステムをチェンジして行った攻撃的なサッカーは、世界中が「ワールドカップの歴史に残る戦術」と絶賛し、日本中が興奮の渦に巻き込まれた夜となった。選手、監督、スタッフ、サポーターの応援など、チームニッポンの勝利だが、この大舞台にゴールを決めた、堂安選手、浅野選手の勇気あるプレイに感謝したい。

 前回の2018年ワールドカップ・ロシア大会の決勝トーナメントで、日本が味わった屈辱的な「ロストフの14秒」。日本は決勝トーナメント1回戦で強豪 ベルギーと対戦した。初のベスト8進出を誰もが疑わなかった後半戦の大逆転負け。同点のまま迎えた後半アディショナルタイムに、ベルギーの14秒のカウンター攻撃の前にベスト8の夢を打ち砕かれた。あの時の屈辱は今でも鮮明に残っている。

 「ドーハの悲劇」「ロストフの14秒」など、日本サッカー会に根強く残っていた「最後に起こる奇跡的な敗北」を乗り越えたこの勝利に、日本中が湧き上がったことだろう。コロナの第8波で、みんなで集まって、大きな声援が出来ない事や、未だに続くロシアのウクライナへの戦争、北朝鮮のミサイルの脅威、徐々に増えていると感じる地震、日本の政治の空白など、明るいニュースが少ない今の時代に、サッカー日本代表の「ドイツ戦の勝利」は喜びに溢れた出来事だ。

 まだ「夢のベスト8」への最初の一歩であるが、大きな大きな一歩を踏み出したワールドカップ日本代表。これからも熱い戦いを期待しているし、心から応援をしていきたい。デジタルサイネージでも日本を応援するコンテンツが増えることを期待している。「ブラボー・サムライブルー!」「ブラボー・ニッポン!」

November 24th, 2022 Toyosaki’s blog

No.302 デジタルサイネージとワールドカップ2022

No.303 Happy Digital Signage New Year 2023

No.303 Happy Digital Signage New Year 2023

 新年あけましておめでとうございます。
早いもので、2023年も12日も経ってしまいました。年末年始にロケがあり、今日試写が終わり、新年の挨拶ブログを書いています。鏡開きが終わってからの挨拶とはいかがなものかと思いますが、一応、自身のケジメとしてスタートを切りたいと思います。

 昨年は出口の見えないコロナのパンデミックに続き、2月24日に勃発した、ウクライナへのロシア軍の軍事攻撃が大きな衝撃と、その後の世界経済に大きな打撃を与えました。2023年になっても、どちらも収束は見えず、混迷のスタートとなってしまいました。さらに日本の防衛のあり方を大きく変える議論や、多くの増税論が展開され、平和で豊かな社会の到来が全く期待できないもどかしい年明けです。

 また、今世界の驚異となっているのが、「核爆弾」の使用です。これまで多くの歴史的な核兵器廃絶への努力が無駄にならないように、2月24日のウクライナ紛争1年までには、何かしら具体的な打開策が必要と言われています。ある記事で「核兵器の先制不使用の確立が急務」との提案がなされていました。NPT(核兵器不拡散条約)とTPNW(核兵器禁止条約)の連携が、核の全廃にむけての大きなステップとなるとのないようでした。対話で解決することは理想論ですが、このような具体的な対策を掲げての各国の対話が実れば大きな一歩となるのでしょう。ぜひ、年末には「良い一年であった。素晴らしい歴史が生まれた」と言って来年を迎えたいものです。

 デジタルサイネージの事業もコロナや参入会社が増えた影響で、難しい局面が続いていますが、時代に即したコンテンツ・時代を超えた価値の有るコンテンツ制作をしていけば、道が拓けると思っています。本年もピクトパスカルをよろしくお願い申し上げます。

January 12th, 2023 Toyosaki’s blog


No.307 デジタルサイネージとWBC

  WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で侍ジャパンが快進撃を続け準々決勝に駒を進めた。投打共に過去最強と言われる今回の侍ジャパンであるが、まさに世界最強と言っても過言では無いメンバーがラインナップしている。ファンの人気投票で大谷翔平選手を抜いて堂々の第一位に輝いたのが、ラーズ・ヌートバー選手であった。カージナルスに所属するラーズ・ヌートバー外野手は、日系外国人選手として、初の侍ジャパン入りとなる。ロサンゼルス生まれの日本語はほとんど話せない生粋のメジャーリーガーで、WBCが始まるまでは、その存在を知る野球ファンは少なかったのではないか。ところが、ヌートバー選手の日本名の「榎田達治」から、チームが専用の「たっちゃん」Tシャツを用意し、大谷翔平が「ペッパーグラインダー」のパフォーマンスでヌートバー選手を熱烈歓迎したことから知名度が急上昇。試合が始まると、誰よりも熱の籠ったプレーでファンを魅了した。ヌートバー選手の登場に「ヌ~~~~!」と響く、ブーイングならぬ“ヌーイング”が起こるほどの人気である。プレイも他の選手を応援する表情も魅力的な選手だ。

  強化試合から、本戦での4戦、多くの選手が魅力あふれるプレーを披露してくれた。素晴らしいプレイを挙げたらきりがないが、私の心に残った2つのプレーは、韓国戦5回表のヌートバー選手ダイビングキャッチである。「まさに日の丸を背負った侍」というべきファインプレイであった。そしてもう一つは、3月11日のチェコ戦に先発した佐々木朗希投手である。昨年4月10日に完全試合を成し遂げた21歳の怪物である。佐々木は66球を投球し、最速164キロの剛速球と鋭く落ちるフォークを武器に8奪三振の山を築いた。佐々木朗希は9歳の時に東日本大震災で父と祖父母を亡くしていた。これまで震災については多くは語らなかったが、この3月11日の登板に掛ける「故郷・陸前高田への熱い思い」が感じられる投球であったと思う。

  実は私も、2013年のWBCの開幕セレモニーの映像演出を担当したことがある。どちらも東京ドームでの開催であった。予選ラウンドは対戦相手が決まっているので、予め各国の選手映像を編集して準備できるのだが、決勝ラウンドになると、その日の試合の結果を受けてからの編集が始まる。夜テレビ局に映像素材を取りに行き、東京ドームシティーホテルに戻って編集、翌日の試合にオーロラビジョン(球場のデジタルサイネージ)に映すという、ハードな日々が続いたが、もう10年前なので当時の記憶すら曖昧になっている。東京ドームのオーロラビジョンも昨年改装され、綺麗なLEDビジョンになった。W125.6×H7.5mで12,560×750ピクセルの12Kサイズである。当時はHDだったけど、それでも大変な作業であった。今、12Kでコンテンツ制作している人たちは本当に大変だと思いながら、今年はのんびりとテレビ観戦で応援をしていきたい。かんばれ!侍ジャパン!

March 16th, 2023 Toyosaki’s blog

No.307 デジタルサイネージとWBC