デジタルサイネージのコンテンツ

デジタルサイネージのコンテンツにはどんな種類があるだろうか?
広告媒体、情報発信、コミュニケーション、空間演出、リラクゼーションなど、
それぞれの目的は違っていても、全てその場に存在する人間に何かしらの情報を配信する。
ショップだからといって特売品の広告やセースの告知だけでは物足りない。
コンテンツを配信する側が「価値」を考えるかで内容は一変してしまうであろう。
映像演出としてのテクノロジーは別として、様々なコンテンツを使い分ける事が
デジタルサイネージを効果的に運用するポイントである。


ブログ#030 デジタルサイネージのコンテンツとは

コンテンツつとはいったい何を指すのであろうか?デジタルサイネージで配信する情報も、ブログの記事も「コンテンツ」と呼ばれている。「CONTENTS」を直訳すれば「中身」や「内容」になる。しかし、最近のネット社会では単に中身ではなく「情報の中身・内容」をさし、そこに含まれる情報の質が重要視されている。元々「コンテンツ」という言葉は1990年代に、インターネットやスマートフォンなどのネットワークITやデジタル・テクノロジーが急速に普及したことによって一般化された言葉といわれている。コンテンツの考え方には諸説あるが、カナダの英文学者マーシャル・マクルーハンは、1964年に刊行された「メディア論・人間の拡張の諸相」の中で、「コンテンツはメディアにあたり、メディアとはメッセージである」と提唱している。つまり、私が1歳の時に「コンテンツ」とは、デジタルメディアそれ自体がメッセージを発信するものになると訴えていた。興味があれば一読を。しかし、情報のデジタル化が進んだことで、コンテンツもカテゴリー分けすることが求められるようになり、今では、さまざまな解釈がされているが、大きく3つに分類されると言われている。一つ目は「デジタルコンテンツ」で、映画や音楽、アニメ、ゲーム、キャラクターなどの芸術性や創造性に長けているコンテンツを「デジタルコンテンツ」と総称している。日本では2011年の地上デジタル放送への移行に伴い、テレビ番組もコンテンツと呼ばれるようになった。デジタル化によって、画質や音質を劣化させずに複製できるようになったため、コンテンツの著作権保護を目的として、コピーワンスやダビング10といった複製回数をコントロールする技術も導入された。アナログテープ時代はダビングする度に劣化し、ジャミジャミな映像素材の扱いに困ったものであった。二つ目が「Webコンテンツ」で、Web上で展開されるサイトやブログ、サービスなどを「Webコンテンツ」という。迅速な情報発信が価値を生むニュースコンテンツなど、SNSなどの集客力や話題性に特化したソーシャルメディアコンテンツ、ECサイトなどのセールスコンテンツなど、さまざまな用途に利用されているのがWebコンテンツだ。弊社「ピクトパスカル」もデジタルサイネージのコンテンツを販売するサイトなのでWebコンテンツにあたる。三つ目が今では身近なスマホやタブレット端末で利用できる「モバイルコンテンツ」だ。ゲームはもちろん、地図アプリ、グルメサイト、写真加工アプリなどもモバイルコンテンツに含まれ、無料のアプリから有料まで幅広く提供されて、世界中でこの「モバイルコンテンツ」の開発競争がエスカレートしている。私も昔に携わったことがあるがヒットしなかった。そしてユーザーは次から次に新しいアプリへ移行するので、長く使われるアプリは本当に少ないのが現状だ。能書きも含め「コンテンツ」の事を書いてきたが、マーシャル・マクルーハンの提言のように、今の私の立場では、デジタルサイネージのコンテンツとは「ビジュアル・メッセージ」であると思っている。ブランディングのための「ビジュアル・メッセージ」には良いデザインが必要なのだ。

May 29th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#036 ユーチューバー VS デジタルサイネージャー

デジタルサイネージは英語で「電子看板」となる。ではデジタルサイネージを看板として使うなら、「そば屋・そば庵」のように「○○」を商いにしている「○○です」との情報発信がもっともシンプルな形であろう。でぱ、デジタルサイネージを商品ポスターとして使うなら、「今、売れている商品はコレ ○○タブレット」となる。そして、デジタルサイネージで会社理念をアピールするブランディングに使用するなら「グローバル×デジタル ○○企画」となっていく。またその場にいる人に適した情報を発信するサービス・コンテンツもある。電車の車内サイネージなら、広告の間に発着情報を配信するし、商業施設なら施設情報や最新インフォメーションなど。時は災害情報や避難経路など、デジタルサイネージのコンテンツは目的に応じて様々な表現に変化する。この多種多様な情報を管理しネットワークする巨大な配信プログラムを構築する技術も日々、進歩している。またネットの世界ではYouTubeが登場し自分だけのテレビチャンネルの開局が全世界で可能になった。そこには広告が貼られ収益にもつながる。YouTubeでも、宣伝、商品プロモーション、企業アピールなど、様々な映像がアップされ続けている。では、デジタルサイネージとYouTubeの違いは何であろうが?それは自分でチャンネルを変えられるか、変えられないかの違いである。YouTubeやテレビは視聴者にチャンネルを変える権限がある。しかしデジタルサイネージにはその権限がない。配信される場所に居合わせた人は、配信されている内容に興味がなければサイネージから目をそらす以外に情報を食い止める術はない。これがデジタルサイネージの最大の弱点で、別のブログでも書いた「広告公害」にも繋がってしまう。広告配信にしろ、情報発信にしろ、高いモラルと配信責任が必要になってくる。ユーチューバーが多くいるのだから、今後はデジタルサイネージャーと呼ばれる職業も登場してくるであろう。そしてユーチューバーよりデジタルサイネージャーの方が高いモラルが求められる。もいずれにしても映像を使った情報発信の世界は終わることはなく、さらに世界に広がっていくに違いない。ユーチューバーもデジタルサイネージャーも、しっかりとしたモラルと高い技術、そして豊かな感性をもったクリエイターの登場を心から望んでいるのは私だけではないはずである。

June 19th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#040 デジタルシフト

数年前から耳にしてきた言葉「デジタルシフト」。ウィズコロナで更にこのデジタルシフトが加速されていくことは間違いないであろう。デジタルシフトの情報を発信しているデジタルシフトタイムズによるデジタルシフトの定義とは、「デジタル化が進むグローバル社会においてあらゆる企業活動(経営、マーケティング、人材採用・教育、生産活動、財務活動など。およびビジネスモデルそのもの)において本質的なデジタル対応をすること」である。一般的に「デジタルシフト」というと、モノの購入にサイトを利用するなど、消費者から見た端末やデジタル回線などの通信技術の変化が注目されやすい。しかし、企業側もいかにデジタル化を推進できるかが事業の成功の鍵を握る。販売だけではない。メディアであれ生産現場であれ、医療の分野であれデジタルシフトがされていない分野を探す方が難しい。もちろん看板もデジタルシフトしてデジタルサイネージになってきている。人間が発想しデジタルが処理をする。デジタルは人間が生み出した大きな遺産であることは間違いない。問題は何処までデジタルシフトするかである。先日テレビでAIによる競馬予想とベテラン競馬予想士が競馬の勝敗を競っていた。この時の勝者はAIであった。しかしAIの問題は「なぜAIがその答えを導き出したのかが解らない」ことである。AIが出した手術の方法を信じて手術されたら叶わないし、AIが書いた脚本で映画を撮る事はない!と信じる。わたしもアナログからデジタルに移行した時代を生きたのでデジタルのありがたさは身に染みている。しかしこれから起こる大きな自然災害や、新しいウイルスとの戦い、サイバーテロリストの攻撃など、デジタルが立ちゆかなくなった世界で生き残れるのは自給自足している人たちだけかも知れない。デジタルとグローバルがこれからのキーワードであることは間違いないが、アナログとローカルを決して軽んじてはならないし、むしろそこにしか大切なものはないと思って生きてきた。人類が正しいデジタルシフトへ舵を取ることを願うと共に、私はアナログシフトをしていこうと思う。私の扱うデジタルサイネージにおいてもハードや制作過程でのデジタル化は避けられないが、コンテンツを創る作り手としては何処までもアナログ思考である。最後に私の尊敬する未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン女史の言葉で締めたいと思う。「Think Globally, Act Locally」「地球的に考え、地域的に行動する」。

June 29th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#050 デジタルサイネージでサステナブル

私が最近注目しているキーワードのひとつが「サステナブル」である。「サステナビリティー」とも表現されるが、「サステナブル(Sustainable)」とは、「Sustain(継続する)」と「Able(~できる))から出来た言葉で、「継続可能な」とか「ずっと続けていける」という意味を持っている。つまり、サステナブルな世界や、サステナブルな社会を目指すということは、地球にある資源を使いすぎずに、大切にして、より良い状態で未来へつなぐことを意味している。簡単に言うと、今ある限られた地球環境を遠い先の未来に暮らす子孫にまで大切に残していこう!という活動全体を指している。この「人間・社会・地球環境の持続可能な発展」は今後の世界で最も大きなテーマとなっていくに違いない。例えば、エネルギーであれば、太陽光や風力の自然エネルギー。ゴミであればリサイクル資源に。ファッション業界では、サステナブルファッションという言葉もある程、早くからこの活動が注目されて来て、トップブランドでも売れ残った服をリサイクル素材として使用している。大きな社会問題となっている「フードロス」。24時間、食べたいものを自由に購入できる反面、ついつい買いすぎる事もある。賞味期限がきれた食品は廃棄されるまさに飽食の時代。家庭でも「食べ残さない」食材にしても「使い切る」事を意識した取り組みなど、身近な所から、無理をせずに取り組んでいくしかない。地産地消という言葉があるが、住んでいる地域で作られている食材を積極的に購入することも、すぐに始められる行動の一つだ。地域で購入できる旬の食材を楽しめば、輸送代も減りCo2の削減にも繋がり一石二鳥だ。サステナブルを考えるときに、エシカルethicalという考え方も大切である。エシカルとは「倫理的・良識的」と言う意味で、明確に定められた法律やルールではなく、個々が良識的に考えて、人や社会、地球にとって良いことを実践していく考え方だ。「模範」などという大げさな話ではなく、ちょっとした意識から出来る小さな「気配り」みたいなことでも、長く続ければ世の中は大きく変わっていくだろう。デジタルサイネージのディスプレイでもサステナブルな開発や研究は進められてきたし、これからもよりエコな製品が登場するだろう。コンテンツとしてもサステナブルの推進を促せる広告や、各店舗のサステナブルへの取り組みを紹介するコンテンツがあってもイイと思う。近い将来ピクトパスカルとしてもサステナブルへの取り組みとして無料のコンテンツを作っていきたいと思う。青い空、白い雲、澄み切った海、真っ赤な夕日、満天の星空。いつまでも当たり目の様に見られると思っては大間違いで、いつかは失ってしまう光景かも知れない。世界中の美しい自然を、未来の子供たちにも見せられるよう、今の大人達が小さな一歩を踏み出す時が来たような気がしてならない。

July 23th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#053 環境芸術としてのデジタルサイネージ

環境芸術とは、芸術の作品そのもの、もしくは芸術の発表行為を、環境との関係の中で捉えようとする表現形態である。20世紀以前は、絵画や彫刻などは独立した芸術として、置かれる場所とは無関係に扱われてきた。しかし,絵画から額縁を、彫刻から台座を取り除き、都市空間や建築空間の中に位置づける表現が生まれてきた。環境芸術は大きく3つに分類されているらしい。一つ目は、公共環境における造形芸術で、美術館をはじめ、公共の建築物を装飾する試みだ。こうした公共環境造形は、単に造形物を建築に付加するのではなく、社会・文化政策の一環であり、環境の計画全体の合意のうえで進められるものである。二つ目は、自然環境にかかわる造形芸術で、公害問題で環境への関心が高まった1960年代末から増えてきた、自然環境とのかかわりをテーマにした造形活動である。自然環境を制作素材とする作品はアースワークとも呼ばれ、自然そのものを芸術と捉えた試みは賛否両論がある。芸術そのものへの評価や、展開される地域の活性化がなされる反面、環境保護の問題もある。アートを設置することで人や車の交通量が増える、動植物の生息地が荒らされる、ゴミが投棄されるなどいった環境破壊だ。また、「エコ・アート」展のように、自然環境保護を訴える動きもある。今後はこの「自然環境保護」が環境芸術のテーマになっていくであろう。そして、三つ目は、総合芸術としての環境芸術である。光、音、色彩、映像、演舞、香りなど、あらゆる素材からなる空間全体を満たす芸術を環境芸術とする考えである。デジタルサイネージが環境芸術として活かされるのは、この総合芸術が一番近いし、これまでも映像芸術として、公共環境における造形芸術も行ってきた。私としては自然環境にかかわる造形芸術の方に興味がある。自然の生態を壊さずに、その自然の美しさを更に引き上げ、自然環境保護を訴えるコンテンツ。そんな事を考えながら、一年後に本当にオリンピックが開催できるのかも心配だ。オリンピックこそ、世界でもっと大きな総合芸術としての環境芸術であるのだから。

July 30th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#057 デジタルサイネージのHDRコンテンツ

最近定着してきた映像技術に「HDR」がある。HDRとは、High Dynamic Range(ハイ・ダイナミック・レンジ)の略称で、従来のSDR(スタンダード・ダイナミック・レンジ)に比べて、明るさの幅(ダイナミックレンジ)をより広く表現できる映像技術だ。簡単に説明すると、日陰が「黒つぶれ」したり、日向が「白飛び」せずに、暗い部分から明るい部分までの階調を、より自然でリアルな再現が可能になってくる。今ではスマホのカメラでもHDR撮影を選択出来るほど普及してきたし、テレビやPCディスプレイ、そしてデジタルサイネージもHDR対応の製品が続々と登場している。今後、映像の新たな基準として注目されているため、我々、映像制作サイドも当然このHDRの技術を探求していかなくてはならない。HDRの高画質をささえる要素は大きく5つで、「解像度=映像のきめ細やかさ」「ビット深度=色やグラデーションのきめ細やかさ」「フレームレート=動きの滑らかさ」「色域=色彩の鮮やかさ」「輝度=映像の明るさ」である。最後の「輝度」以外は4Kや8Kなどの放送規格である「BT.2020」ですでに標準化されているが、「輝度」は明確な基準が無く、長い間100cd/m2が業界基準として使われてきた。このため、これまでの映像制作では、高輝度部分はモニター・ディスプレイの特性に合わせて圧縮する必要があり、現実の幅の広いダイナミックスの表現は厳しかったのである。5つの要素のそれそれの解説はたまの機会にして、今回は「輝度」に焦点をあててみたい。「輝度」とは映像が表現できる明るさの範囲である。人間の目が知覚できる明るさの範囲は、夜空の10の-6乗から太陽光まで10の6乗までの10の12乗と言われている。従来のディスプレイ・モニターは10の3乗位までしか表示が出来なかったが、HDRはダイナミックスレンジを広げることで10の5乗までの表示がかのうとなる。10の2乗の差なので、100倍の陰影を映し出せることになる。素晴らしい技術なのだが、HDR撮影できちんと100倍の陰影を撮影し、陰影100倍のHDRコンテンツを完成させて、はじめてHDRモニターで再現されるのであるから、制作サイドは大変である。HDR撮影の技術は、まだまだ確立されていないし、HDRの編集作業をサポートできるモニターも高価で数少ない。しかしHDRや8Kの登場で、動画映像が、ますます紙焼き写真や絵画に近づくに違いない。展覧会の絵が動き出す日も、そう遠くはないかもしれない。

August 11th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#060 猛暑に効く冷感クーリング・コンテンツ

異常な猛暑となっている今年の夏。今日17日は静岡県浜松で歴代最高に並ぶ41.1度を観測した。コロナの感染も恐ろしいが、熱中症の危険も心配な夏である。ひとりひとりが熱中症対策の知恵を持たなければなるまい。水分を小まめにとる。塩分をほどよく取る。睡眠環境を快適に保つ。室内を涼しくする。衣服に工夫をする。日ざしを避ける。冷却グッズを身につける。休憩を小まめにとる。などなど、熱中症の予防と対策は色々とある。ふとデジタルサイネージのコンテンツでも「猛暑に効く冷感コンテンツ」が出来ないかと考えてみた。かき氷やスイカなどの夏の風物詩や海や川などの水辺の映像。南極やアラスカなどの氷の世界。実際に体温が下がるかはわかないが、人間は感性の生き物である。「涼しく感じる冷感コンテンツ」を作ることは簡単だ。実際に、ひかりTVの調査で、ホラー映画ファンの約4割が「ホラー映画を見ると涼しくなる」と感じていることが分かったらしい。科学的には実証されていないものの、調査した38%の人が、怖いものを見ると「背筋が凍る」様な感覚があり「涼しくなるような気がする」と感じると答えたのである。でも、怖いとドキドキして心拍数が上がるのだから、実際には体温は上がっているのかも知れない。ちなみに私はホラー映画を見ません。怖くて見られません。私が考える「冷感コンテンツ」とは「かき氷」でも「ホラー」でもなくて、音楽を基調にした「クーリング・コンテンツ」である。京都府立大学 生命環境科学研究科・松原斎樹(まつばら・なおき)教授の研究で、「人間は温熱環境・視覚環境・聴覚環境などを総合的に評価しているので、暑い(寒い)時にでも心地よい音楽を聴いたり、美しいものを見ることで、総合的な快適さを向上させることができると言われています。少なくとも、その人が心地よいと感じる曲を聴くことによって、聴覚への注意配分が増大して、多少の暑さによる不快さが気にならなくなることは十分にありえます。」とあった。「涼しく感じる音楽や響き」と「涼しく感じるグラフィックや風景」などで「クーリング・コンテンツ」ができたら、熱中症対策にも使えそうな気がする。滝の映像と音だけでも、かなり効果があるであろうし、実際に滝のコンテンツは世界でも多く見かける。猛暑になってから猛暑用のコンテンツを考えても遅い。来年の夏に向けしっかりと計画を立てなければ、また来年の猛暑に、こんなブログを書くはめになる。さあ、熱中症対策でビールでも飲んでクールダウンしよう。みなさん、飲み過ぎは熱中症になりやすくなりますので注意して下さい。

August 17th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#062 デジタルサイネージも8Kコンテンツへ向かうのか

早いもので9月に入り、今年も残り4ヶ月となった。未だにコロナは収束せず、総理は職を辞し、キャベツは高い。本来、今年の東京オリンピックで注目を集めるはずであった8K放送も先延ばしになってしまった。デジタルサイネージのディスプレイは、まだHD(1920×1080ピクセル)が主流であろう。価格が安いのでデジタルサイネージを導入しやすいし、HDコンテンツも比較的出回っている。HDの次は4K(3840×2160ピクセル)になるのだが、同時に8K(7680×4320ピクセル)の技術も急速に発達している。地上デジタル配信も、2018年12月1日から、BS/110度CSを使った衛星放送で4K8K放送がスタートしている。たが、肝心の地デジの4K放送は変更なく現状のままで、今までどおりのハイビジョン(HD)放送が継続される。地デジ放送は、テレビ放送が中心となるので、高額な費用をかけずに誰でも視聴できるものでなければならない。ニュースはもちろん、天気予報、地震や津波といった災害情報などを多くの人に届ける公共の責任がある仮に、地デジ放送が4K放送に変わってしまうと、2011年のアナログ地上波放送の終了のときのように、すべての家庭でテレビを4Kに買い替える必要があり、大きな混乱が生じてしまうであろう。日本の映像メディアはその時のテレビ放送を中心に考えてきた経緯がある。地上波をHD放送に切り替えると言えば、HDディスプレイの開発と販売が加速する。4K放送も始めますと言えば、4Kディスプレイの開発と販売が加速する。現在、大画面のテレビは4Kが主流だが、地デジなどはテレビ側でHDを4倍にアップコンバートして表示しているだけで、4Kの性能は生かされていないのが現状だ。市販の映像コンテンツも、テープからDVDへ進化し、ブルーレイの誕生でHDもの収録も可能になった。2015年には4Kを収録できるディスク「4K Ultra HD ブルーレイ」も登場した。本来であれば今年開催される予定であった東京オリンピックで、4Kテレビの普及は加速したはずであった。東京オリンピックはすでに8Kでの収録も準備されていたのだ。オリンピックの臨場感や映画などは4Kで視聴したいと思うし、8Kなら更にリアルな映像となるであろう。しかしバラエティー番組やワイドショーなどはHDでも十分だと思ってします。これは単に好みでは無く、映像を制作する作業が格段に違うからである。収録データ量にしても、編集のレンダリングにしても、単純に4KならHDの4倍。8KならHDの16倍になる。ピクトパスカルのデジタルサイネージ用コンテンツも、サイトオープン当時から4Kを見据えての制作をしてきた。近い将来4Kが主流になるのは明らかであったので、全てのコンテンツ4Kで制作し、HDはダウンコンバートしている。4Kでの制作に踏み切ったのは、カメラの4K撮影やPCでの4K編集が可能になってきたからであった。それでも、まだまだストレスのないスピードには達していない。テレビの8K放送はさておき、デジタルサイネージの世界では8Kコンテンツは非常に有効だと思っている。HDRの技術なども加えたら今まで表現できなかった世界が可能になるであろう。唯一デメリットもある。コンテンツの細部までのディテールも表現されてしまう事だ。ドラマで言えば、大道具や小道具、衣装やメイクなども鮮明に写ってしまう。SDからHDに移行したときも、女優さんのシミ・シワがはっきりと映り、修正専門のスタッフが必要になった。これが8Kになったらと思うとぞっとしてしまう。技術の発展は素晴らしいことだが、技術者の探究心はたまに暴走する時がある。技術的に可能だからといって、「16Kテレビへ移行します」などとは、私が現役でいる間は耳にしたくない。

September 3rd, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#064 コンテンツ制作会社のコストダウン

最近はデジタルサイネージに限らず、低価格での映像制作をうたっている会社が増えて来た。ネット広告自時代に入って、ひと昔のようにテレビCM1本が1000万などという価格にはならない。1000万どころか、ネットCMが1万〜などという広告すら目にする。そこからフリーのクリエイターや弱小映像制作会社に回るのだから考えものだ。実際に弊社にもネット広告の依頼が来る。月に10本で1本5000円だという。話を聞くと月に50本以上は依頼が来るらしく、一人でネット営業すれば食べていけるらしい。若いクリエイターには大きな仕事は入りづらいので、知恵をしぼりながら仕事は作っていく努力は素晴らしいと思うのだが、一度コストダウンしてしまった価格はもう元には戻らない。よっぽど良い作品を多く作り大きい仕事につなげるか、1本1万の仕事をやり続けるしかなくなるであろう。それはそれで別に良いのだけれど、せっかくクリエイティブな世界で生きているなら少しでも上を望んでいきたい。そういう私も昔のような大きな案件はイベントぐらいで、少なくなってきている。単価も周りが安くすれば当然下がっていく。映像業界全体が底値になってしまったのではないか。私がデジタルサイネージのコンテンツ制作サイトを立ち上げたのも、安定的な仕事の基盤を作り、安くても価値のある作品を手掛けたいからである。それとオリジナルのコンテンツ制作ではどうしても価格が上がってしまうので、デジタルサイネージを導入した小規模店舗にとっては、運用が難しくなりデジタルサイネージの性能を発揮できないかたである。そして若いクリエイター達にも、良い作品の制作に関わってもらいたいと思ったからだ。私はこの先もう長くはないが、これからコンテンツ制作を志していく人にとって、環境がよいコンテンツ制作会社は少なくなっていくであろう。当然「あなたも○日で、映像クリエイターに!」などといった広告のような甘い世界ではない。それでもデザイナーやクリエイター、俳優や監督に憧れるのが若さの特権であるのだから、大人たちがもう少し良い環境を作ってあげることも大切な責任であると私は思う。私も日々、理想と現実、コストダウンの中で、もがき苦しみ耐えながら進んでいるが、大きな仕事にはそれなりに時間も掛かる。クリエイターに必要なのは創造力よりも忍耐力かもしれないと、つくづく感じている。残された時間もそう長くはない。心して進もう。

September 7th, 2020 Toyosaki’s blog