デジタルサイネージの制作エピソード

今まで携わったデジタルサイネージ制作の思い出や
面白かったエピソードを綴ります

デジタルサイネージのコンテンツは映像ビジュアルである。動画であれ静止画であれ、
ディスプレイを通して視聴者に届けるのは、文字や音声情報も含めた「映像データ」である。
デザイナーにはデザイナーのこだわりと産みの苦しみが。カメラマンにも、編集マンなどの
技術スタッフにも、こだわりと産みの苦しみがあるには当然のことであろう。
このページではピクトパスカルのコンテンツ・デザイン制作の裏側や
企画をした意図、思いつきなど、気ままに綴っていきます。

ピクトパスカルの導入事例は「コンテンツ・レビュー」を参考にしてほしい。


ブログ#001 はじめて手がけたデジタルサイネージのコンテンツ

 私がはじめてデジタルサイネージの制作したのは2001年の海外のトップファッションブランド「CHANEL」だったと記憶している。大手の百貨店やショッピングセンターの1階といえば化粧品メーカーがひしめき合い、女性客を集客する戦略が展開されていた。それまでは行灯パネル(ライトボックス仕様の写真広告)が一般的だったが、液晶ディスプレイの登場で化粧品売り場の広告のあり方は一変した。当然「CHANEL」もいち早く液晶ディスプレイを導入して新製品が出る度にコンテンツを更新していった。しかしさすがにトップブランド、一切の妥協は許さなかった。デザインは当然ながらブランディングのこだわりは半端がなかった。大手広告代理店が音を上げて私の所に話が来のことを知ったのはずいぶん後のことだった。こうしてこんな私にトップブランドの話が舞い込んできたのだった。それから10年近く仕事は続き、デザイン&ブランディング。カラートーン&バランス。フィックス&モーション等々のOKがでるまでわたしは鍛えられてきたのだ。「クライアントが伝えたいことを一番に考えて制作しろ」と先輩に言われ続けたが、「それが一番難しいんですよ」と心の中でつぶやき続けていた私である。

October the 5th, 2019 Toyosaki’s blog


ブログ#002 はじめての街頭ビジョン

 私が初めて手がけた街頭ビジョンのコンテンツは、2002年にNHKから依頼された「OC・表参道コレクション15秒CM」であった。「OC」とは表参道を拠点とするヘアサロンのTOP20サロンで行うヘアーショーである。この年がスタートだったのでもう18年にもなる。初回ということもありイベント告知で街頭ビジョンを使用したのだ。記憶では、渋谷109、原宿駅前、ラフォーレと、もうひとつあったかな?当時としては4カ所同時に告知することは珍しく、さすがNHKの力はすごいと思ったものだ。署名デザイナーにロゴを制作してもらい、スタイリストの撮影やナレーションと、そこそこの予算で行った。当時はまだデジタルサイネージという言葉もなく「街頭ビジョン」とか「ビデオサイン」と呼ばれていた。自分が制作した映像コンテンツが渋谷や原宿で一般の人に見られることに歓びを感じたものであった。

 しかし大変だったのはその後の仕事。実はイベントそのものをNHKが行っていたのでヘアーショーの映像も制作しなければならない。しかもこちらはサロンの予算なのでお友達価格。ホームビデオで撮影したり、編集、音楽制作、ナレーション収録などなど、ほぼひとりの作業で毎日徹夜が続いていた。今ではPC1台で何でも出来る時代になったが、当時はアナログからデジタルへの転換期でもあり、PCの性能もかなり低かった。10秒の簡単なタイトルCGのレンダリングに3日もかかったと記憶している。音楽編集もオープンリールで録音したテープをカミソリでカットしてスプラッシングテープで貼り付ける方法。失敗したら録音からやり直しでゴミ箱は6mmテープの残骸であふれていた。まあ、そういう修行を重ねたことによってデジタルになった時代は無駄な作業は少なくて済んでいることは確か。その後10年間「OC」の仕事も続いたが、今は優秀な後輩に任せている。

October the 18th, 2019 Toyosaki’s blog


ブログ#018 デジタルサイネージと「ひな祭り」

 日本には「節句」という暦が存在する。古代中国の陰陽五行説を由来として日本に定着した暦であるらしい。伝統的な年中行事を行う季節の節目(ふしめ)となる日で、厄除けなど子どもの成長を願う事や季節感もあり、伝えていきたい日本の文化だと思う。1月7日は七草の節句。3月3日が「桃の節句」でひな祭り。5月5日が「菖蒲の節句」。7月7日が七夕で9月9日が「菊の節句」です。「菊の節句」って知らなかったな。

 ピクトパスカルではこのうち、まずは「ひな祭りコレクション」と題し「ひな祭りフェア」を追加します。日本の大切な文化をデジタルサイネージで継承する事も大事であるはずだ。私は息子二人なので、雛人形も無いし雛あられも食べない。孫に女の子が生まれたら、たぶん雛人形とか買っちゃうんだろうな。それまでは生きていようと決意のできる「桃の節句」になればよいが。

February 21th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#022 デジタルサイネージと「小さな春」

 桜の開花が春を告げる季節になってきた。デジタルサイネージのコンテンツでも季節の美しさをテーマにしたデザインが増えてきて欲しいものだ。桜と言えば日本では「春の象徴」だ。私も桜の生き方は大好きだ。我が家のベランダの横にも桜の木があるので、その生長はよく観察している。年を超えた時期から開花の準備を始め蕾に栄養を溜め込んでいいき、そして開花が始まると一気に満開。そして一気に桜吹雪となり散っていく潔さ。我が人生もそうでありたいと願いながら、桜の美しさに魅了されている。100年以上前に友情・友好の証として日本から送られた「桜の苗木」がアメリカ・ワシントンのポトマック公園で毎年開花しているのは素晴らし事だ。興味のある方は是非検索してほしい。

 これまで幾度と桜の撮影をしてきたが、「桜」って意外に撮影するのが難しいと毎回思う。地球温暖化の影響か年々「桜」がしろくなっていき、花びらひとつひとつが薄くなってように感じる。撮影の時は、ほのかなピンクの桜を探すのが大変だ。撮影の依頼を受ければ、一輪でも綺麗な桜を見つけて撮るのがお仕事だが、実は私は桜の影で目立たない「小さな春」の方に興味を持って生きてきた。「たんぽぽ」「すずらん」「みもざ」「つくし」などなど、春の訪れを告げる「小さな春」は実に美しく健気である。小さい故、その美の魅力を引き出す為にはマクロ撮影などちょっとだけ苦労は掛かるが、ひとつひとつの花の命を繊細に切り取ってデジタルサイネージのコンテンツとしても増やしていきたいと思っている。植物のマクロの世界に触れる度「蕾」から「地球」と同じ位の生命力を感じるし、おそらく同じだけのエネルギーをもっていることだろう。いま人間に足りないのはこのエネルギーかもしれない。毎年毎年当たり前のように反復を繰り返しながら、十数年を掛けて大樹に育つ「忍耐」。四季を通して自然から教わる事は多いが、特にこの春の季節「小さな春」から教えて頂くことに感謝できる自分であり続けたい。

March 21th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#039 デジタルサイネージとお香

 ちょっと前の話になるが、お線香で有名な日本香堂さまから、香りを楽しむブランド「香十」の新規店舗を銀座本店にオープンする際にデジタルサイネージのオリジナル・コンテンツの制作を受けた。オープン1ヶ月前の発注であったので慌ただしかった記憶がある。日本香堂は440年の歴史を持った日本でも最もシェアがあるお線香のブランドだ。「星雲」のCMが有名(一昔)であるが、私も依頼を受けて奥の深さに驚いた。仏事を中心とした「祈り」の分野から、リラクゼーションやヒーリングに応える「癒し」の分野、さらに香りの機能面を応用した「健康」分野まで展開し、「香り」を新たな文化として育て上げてきている。「香十」もお線香と言うよりは「お香」である。

 香十初代は、清和源氏安田義定の十二代の末商で安田又右衛門源光弘といい、その頃より御所御用を務めていた。香十第二代政清は太閤豊臣秀吉公に、第四代政長は徳川家康公に召されたと伝えられている。まさに440年の長きにわたり守り伝えらてら「香り」現代に再現する貴重な文化だ。そしてわたし感心したのは単に440年の製法や技法を再現するではなく、毎年新たな香りをブレンドして発売している。これぞ「伝統」と「革新」!私の好きな世界観である。お線香の元になる「香木」も初めて目をする事になった。お香の原材料となるのが「香木」沈香と白檀が有名である。採れる場所や樹齢など様々な香木があるが、高い香木でグラム数万円になる。ベトナムのある村のある場所でしか採れない香木は、秘密の場所として先祖代々に語り継がれる村の宝なのである。

 話はデジタルサイネージのコンテンツ制作に戻るが、この歴史ある「香十」のブランディングイメージを制作して欲しいとの依頼であった。当初は日本香堂の社長さまは四季折々の水墨画をデジタルサイネージに出来ないかとのイメージがあったようだ。私も応えて幾つかコンテを提出したが、ブレストを重ねる中でひとつの方向性の転換を提案した。それはお線香の煙そのものを撮影してコンテンツにするアイデアであった。映像には香りがない。でも映像から香りを想像できる。そんなコンテンツがイメージにあった。アイデアは受け入れられ、撮影したお線香の煙の映像を反転して、さらに色を重ねて仕上げをした。440年の伝統と格式に耐えられるコンテンツになったかはわからないが、日本香堂の関係者の多くが喜んでくださり、無事に予定のオープンを向かえた。開店レセプションにも招かれたがデジタルサイネージは好評のようであった。1ヶ月という短い期間でよくここまで持って来られたと思う。ひらめきは一瞬である。いつ何処でひらめくかはわからない。ひらめくまで考えて、掘り下げて、苦しんで、もがいた人にしか下りてこないのかも知れない。たいして苦しんでいない私はラッキーだった。

June 27th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#077 サイトのリニューアル

 今日、デジタルサイネージのコンテンツ・サイト「ピクトパスカル」をメジャー・アップデートさせた。今回のサイトのリニューアルは大掛かりなものになってしまった。つくづく最初の緻密なサイト構成やSEO対策であるキーワード選択等、初めてのECサイトを立ち上げるのには、やはり力不足であったことは否めない。今回はダークモードに対応して、デレクトリー階層の見直しや、ユーザー目線のページなどを追加してのメジャー・アップデートとなった。Webの世界で生きてこなかった私にとって大変に勉強になったアップデートである。大胆なアップデートとなったのでGoogleくんも驚くことであろうし、暫くは無視をされるかも知れない。それでも将来的な事を考えての決断なので、暫くは辛抱して様子を伺うしかない。

 しかし、これで本業である「撮影やコンテンツ制作」に少し集中できるはずである。ブログや新規ページの文章など、本当にこんな内容を公にしてよいのかと思うほど、幼稚な内容が世の中にさらされる恐怖を感じながら、私は酒に逃げる毎日である。まあ、SNSとかも同じレベルであろうと思って、気にしない習慣も身についてきている。こんな時代である。太く、逞しくなければ、直ぐに滅入ってしまう。明日からは気持ちを新たにして前に進んでいこう。デジタルサイネージのコンテンツ・サイト「ピクトパスカル」を、これからもよろしくお願いいたします。

December 28th, 2020 Toyosaki’s blog


ブログ#087 デジタルサイネージとUFOキャッチャー(クレーンゲーム)

 UFOキャッチャーといえば、誰でも一度はやったことのあるゲームであろう。昔はクレーンゲームと読んでいた(今も正式にはクレーンゲームとの見解もあり)。クレーンゲームが日本で始まったのは1965年であるから、私が二歳の時だと考えると歴史が深い。手動でハンドルを回すタイプのクレーンゲームは1930年代にはすでに登場していたようだ。はじめは飴やラムネなどのお菓子だったが、1980年代後半から「ぬいぐるみ」が景品となり、1990年には有名キャラクターを用いた景品で大きく発展してきた。UFOキャッチャーでしか入手できない貴重なアイテムとして人気が上がり、ゲームセンターの経営を支えてきたのがUFOキャッチャーだと言っても過言では無い。私も某有名ゲームメーカーからの依頼で、プライズ(UFOキャッチャーの景品)の展示会用デジタルサイネージのコンテンツ制作を数年任されている。普段は接しないアニメなどに触れることも勉強になる。今、大人気の「鬼滅の刃」の存在を知ったのも、UFOキャッチャーのデジタルサイネージ制作であった。

 多くの制作は展示会の各キャラクターのコーナー映像だが、一昨年にはWEB用のPV撮影なども行ってきた。予算がついたので、映画やドラマ撮影を行っている撮影プロダクションを率いてのロケになった。お台場にあるアミューズメントのUFOキャッチャー・コーナーの一部を貸し切り撮影したものと、古民家や公園を使った撮影で楽しかった思い出がある。昨年はコロナの影響で展示会も中止になってしまったが、これからはオンラインでの商談だとか、オンラインでのプライズ発表などが増えるはずだ。待っているのではなく、こちらから色々なコンテンツのアイデアをアピールしていこうと考えている。余談にはなるが、15年ぐらい前に千葉の外房へ行った時に海鮮市場に立ち寄った。そこには一回500円の珍しいUFOキャッチャーが置かれていた。景品は「生きた伊勢海老」。面白半分でやってみたが、絶対に釣れるわけがないほどの伊勢海老の激しい動き。それでも、ついついやってしまうのが「UFOキャッチャー」の魅了なのであろう。

January 10th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#097 京都水族館のプロジェクション・マッピング

 数年前になるが、京都水族館のプロジェクション・マッピングをしたことがある。デジタルサイネージではないが、プロジェクション・マッピングの相談も多くある。「相談」と書いたのは「相談」だけで「実現」しないことの方が多いからだ。京都水族館でマッピングをしたのは、国の特別天然記念物であり、「生きた化石」とも「世界最大級の両生類」とも呼ばれるオオサンショウウオのエリアとクラゲの展示エリアであった。季節は春だったので、モチーフはどちらも「桜」であった。この「桜」が意外と厄介で今、まで何度も「桜」の映像演出をしてくると創作がパターン化されていく。そのたびに無い智慧を絞り出しコンテンツを生み出してきた。特に「クラゲ」のコーナーが頭を悩ませたのであるが、最終的には水族館からも良い評価が得られた。コンテンツのアイデアは、金屏風に描かれた桜の木が満開になり、花吹雪と散っていく。金屏風が開くと奥の空間がデジタルな世界に繋がって行く。

 好評だったので、夏、冬と長期のプロジェクトとしてスタートしたのであるが、すぐに権力の横やりが入りプロジェクトは頓挫した。年に何回も京都に通えるかと期待していたので残念である。一時期よりは重要は下がっているのであろうが、プロジェクション・マッピングも映像演出のひとつとして確立している。デジタルサイネージとの大きな違いは、自発光のディスプレイかプロジェクターによる投影であろうか。プロジェクション・マッピングはやはり「夜」の演出になる。イルミネーションも同じであろう。その点、昼間でも配信できるデジタルサイネージを使った演出へとシフトしてきているように思う。プロジェクション・マッピングでもデジタルサイネージでも良いので、早く色々な場所へ行って良い仕事がしたい。

January 30th, 2021 Toyosaki’s blog


ブログ#133 インデアンの教え

 随分前の話ではあるが、 NHK-BS で「インディアン」のドキュメンタリー番組を企画したことがあった。当時はBS放送が始まったばかりで番組が不足していたのである。予算は低かったが面白い企画も多く、ドキュメンタリー作家や映像作家などが活躍できる場となっていた。私がお世話になっていた会社もNHKとはつながっていたので何本かの企画を考えた。その内の1本が「インディアンの教え」であった。

 インでディアンの教えに関する書籍は多く存在している。当時10冊ぐらいの本を読んだし、インディアンからは多くのことを学んだ。多くの民族学者がインディアンのことを勉強し、接しようとも試みている。しかしインディアンはそんなに簡単には受け入れてくれない。長い歴史の壁がまだ根深く残っているのであろう。私もそう簡単には踏み込めないテーマだと分かり企画の提出は断念したのであった。

 しかし、せっかく時間をかけて勉強した足跡を残そうと、友人から借りた素敵なインディアンの写真集で1本のMOVを作った。何時作ったかも覚えていないインディアンの映像。おそらく2000年ぐらいであろう。シンプルなスライドショー的なMOVだが、お気に入りの1作である。色々な学者が、インディアン達を、American Indian、Aborigines、First Nation、Original people、Native Americaと呼んでいた。しかし彼らに聞いたら、全て違う。俺たちは「INDIANだ」と帰ってきた。そんなMOV「I am an INDIAN」です。よろしければ。そして、インディアンを題材にしたデジタルサイネージのコンテンツ制作も私の夢のひとつである。

June 19th, 2021 Toyosaki’s blog