デジタルサイネージの価値と可能性
デジタルサイネージとはどう使われるべきか? その価値と可能性を考えてみる 言うまでもなく、デジタルサイネージは大きな価値と可能性を秘めている 新聞やテレビ、ラジオに変わる情報発信媒体として、看板やポスターに変わる広告媒体として、 インタラクティブやAI機能を身につけたコミュニケーション・ツールとして、その可能性は無限だ。 しかし良いことばかりでは無いはずで、デメリットも持ち合わせているはずだ。 デジタルサイネージがもたらす「害」や「悪」も少なからずあるだろう。 日々、そしてこれからもデジタル・テクノロジーの中で生きる私たちにとって、 デジタルサイネージの存在が新たな価値を創造できる事を望んでいる。
デジタルサイネージの可能性は無限大 デジタルサイネージは広告、ニュース、サービス情報を動画や静止画像として表示・配信することが可能で、 販促プロモーションや集客はもちろん、災害、緊急時の避難速報など、様々なニーズで効果を発揮する。 デジタルサイネージは多機能なディスプレイも多く、システムの組み方次第で可能性は無限大に広がるだろう。
No.006 デジタルサイネージ vs アナログサイネージ
わたしはアナログ時代とデジタル時代の両方を経験した世代である。しかし物作りの基礎を学んだのはアナログ時代であった。アナログとデジタルの違いを簡単に説明すると、連続的なデータ量を扱う情報処理方式がアナログで、段階的なデータを扱うのがデジタルである。そして圧倒的に情報量が多いのはアナログだ。デジタルサイネージに対してアナログサイネージとは、まさに「看板」である。看板の他にも「ポスター」や「のぼり」などの印刷物もふくまれるであろう。しかし現在の制作行程はほぼデジタル作業であるから、最終の広告媒体がディスプレイか、紙や布や板かの違いでしかない。そこに大きな違いがあるとすれば「動く」ことと「プログラム」できることであろう。この違いは広告媒体としては雲泥の差があるのだが、広告そのもののクオリティーや価値観から見ると両者にはさほど違いはないと思う。何十年も変わらないが魅力的な看板などはそれだけで大きな価値があるだろう。
デジタル時代に比べてアナログ時代の苦労話は尽きないが、それはほとんどが作業時間の問題であって創作そのものプロセスは大きく変わってはいない。音楽であれ、映像であれ、文学であれ、造形であれ「創造」する事の楽しさや苦しみにデジタルもアナログもない。ただ創造された作品の発信方法が違う。デジタル社会にしかできない情報発信によって、創造された作品そのものの価値さえ変わってしまうし、価値がある時間さえも一瞬でしかない場合も増えてくるだろう。良い作品が長く生き残れない時代を生きるしかない私がやりたいことは、息の長いアナログサイネージをデジタルサイネージで創造することかな?いつかできるといいな。
November the 15th, 2019 Toyosaki’s blog
No.007 ハードパワー vs ソフトパワー
ハードパワーとソフトパワーの概念が世界で注目を集めたのはかなり昔の話しであるが、2015年にジョセフ・ナイ元米国防次官補による、ハードパワーとソフトパワーとの概念の再定義 は、ハードパワーは、武力行使、経済制裁はじめ「押す力」であり、ソフトパワーは、望む結果を引き出すために、課題の設定をし、説得し、魅力を感じさせる「引き寄せる力」であるという。さらにこれからはハードパワーとソフトパワーの統合が必要で成功の秘密は、その二つをいかに統合するかを理解した「スマートパワー」を提唱している。
デジタルサイネージの世界にもこのハードパワーとソフトパワーが存在する。ハードパワーはディスプレイやシステムなどのハードウェアでソフトパワーはプログラミング能力やコンテンツそのものであろう。デジタルサイネージに限らず、世の中のほぼ全てに、このソフトパワーとハードパワーが存在している。そして日本はハードパワー先行の国と思ってしまうのはわたしだけではないであろう。もちろん技術革新は必要だし、世の中に生かされれば素晴らしいことである。しかし最後は「人」であることをハードパワーは忘れてはいけない。特に3.11以降、災害大国となってしまった日本でもソフトパワーに光をあててきている。ハードパワーとソフトパワーの統合が「スマートパワー」であるとしたら、日本はスマートパワー先進国になる使命と責任があるような気がしてならない。そしてデジタルサイネージにもその使命と責任があるであろう。
November the 22th, 2019 Toyosaki’s blog
No.011 デジタルサイネージ vs クリスマス・イルミネーション
この季節なになるとの日本いや全世界(発展途上国)の街がクリスマスのイルミネーションで飾られる。デジタルサイネージによるクリスマスのコンテンツも増えてきている。クリスマスのイルミネーションといえば綺麗なクリスマスツリーにあしらわれた煌めく電飾が定番だ。この電飾、昔は本当に小さな電球を使っていたが、近年では電飾に変わってLEDが使われているのはみなさまご存じのとおりである。消費電力も少なく球切れもないLEDは、まさにイルミネーションに適していて中国や韓国製の低価格なLEDの輸入量は増加し続けている。日本で有名なクリスマスのイルミネーションは表参道 から始まったと記憶している。表参道に連なるケヤキの木に電飾を付け、数百メートルの一本道を電飾でライトアップしたのだ。このイルミネーションは話題を呼びカップルが表参道に押し寄せた。マスコミや報道も便乗し、瞬く間に全国に広がり、今では日本全国でイルミネーション・バトルが繰り広げられようになった。ここは10万個、あそこは20万個、じゃぁうちは30万個と、エスカレートしてキャッチフレーズは「何万個のLEDイルミネーション」と数だけが先行した広告宣伝が目立ってきてしまった。
もちろんモノ作りの立場から言えば、イルミネーションもアートで、音と同期をさせる工夫とか、その場所ならではの演出をしているものも多くあり、創作課程の時点では様々な労があることだろう。でも私は美しいと思ったことや感動したことは少ない。これはデジタルサイネージにも言えることで単に無数のディスプレイを並べればよいと言うわけではない。その後表参道では、痛んだケヤキを守るためにイルミネーションを止めた時期があった。かわりにキャンドルのライトアップを始めた。表参道の美意識の高さと自然を守る気持ちに共感した。しかし近年、やはりクリスマス時期の集客状況を検討し再びケヤキのイルミネーションを再開した。そのことに対して私が言うことは何も無い。願うとしたら表参道や日本各地のイルミネーションを訪れるカップルやファミリーにも、できれば屋久島の満天の星や佐渡島の天の川、滋賀のホタルなど、日本で見られる自然のイルミネーションを見せてあげたい。海外でも絶景の夜空は沢山見てきた。だから私は日本のイルミネーションを美しいと感じないのであろうか?デジタルサイネージも同じなんだろうな。
ピクトパスカルの「XMAS COLLECTION」 はこちら。
December the 20th, 2019 Toyosaki’s blog
No.014 ユーザーの立場で考える価値観
2020年も早10日が過ぎ、一気に慌ただしくなってきた。毎年のことだが、年末に解決できなかった課題が一気に動き出す。日本の仕事の進め方もそろそろ変えていかないと海外のビジネスにはついて行けないと感じるこの頃である。デジタルサイネージのコンテンツ制作サイトも、更に発展させるためにユーザー目線で考え直す課題が山積している。使いやすく、必要な情報に辿り着くシンプルなサイト構成。多くのユーザーが使用できる価値あるコンテンツ。とにかく低価格で高品質、豊かなバリエーション。今までになかったコンテンツの見せ方、価値観。長期的な運用をサポートできる会員サービス。海外アーティストからの作品提供。未来を任せる優秀なクリエイターの育成。などなど。思い描く理想のデジタルサイネージ・サイトは見えているのだが、いかんせん戦力不足で追いついて行けていないのが現状である。オリンピック・パラリンピック、そしてIR招致など、激動の一年だからこそ、世の中の八風に犯されず、紛動されず、今は前三後一で進んで行くしかない。しかし私の決意はいつも三日坊主。ポリシーは「Take it Easy」です。
January 10th, 2020 Toyosaki’s blog
No.020 デジタルサイネージの価値
新型コロナウイルスの影響で私の業界は全ての動きが止まってしまった。未だ収束次期も見えず世界的な不況も覚悟しなければならない。でもピンチはチャンスである。こんな時だから今出来る事を考えていこう。問題は山積しているが、まずはデジタルサイネージの価値を考え直してみよう。富士経済グループのプレスリリースによるとデジタルサイネージの市場は2025年に2017年比2.2倍の3,186億円 になるそうだ。確かに街中でデジタルサイネージはよく見かけるようになった。広告の観点から見れば、デジタルサイネージ広告は大きく交通広告、ビルボード(屋外ビジョン)広告、インストアメディア広告に分かれる。これまで市場を牽引してきたのは交通広告でこれからも市場を牽引していくと予想差されている。
もちろんデジタルサイネージの使用用途は広告だけでは無い。ウェルカムボードやメニューボード、ニュースなどの情報提供、空間演出など、その使い道は無限にある。しかしデジタルサイネージが誕生する前は全てが他の媒体で済んでいたわけで、デジタルサイネージで無くてもよいモノも多くあるだろう。当然、利便性や多様性においての価値があるのだから普及しているのだが、デジタルサイネージにしか出来ない価値も見いだしていきたいと思っている。私が考えるデジタルサイネージの価値とは「ブランディング・ツール」と「コミュニケーション・ツール」だ。もちろんデジタルサイネージを導入してコンテンツを配信する人にはそれぞれの価値観があるので、それ以外の用途にもサービスは提供していかねばならない。「デジタルサイネージをデザインする」という基本コンセプトのもとで「ブランディング・ツール」「コミュニケーション・ツール」としてのデジタルサイネージの価値を創造していかないと生き残れないのであろう。
March 08th, 2020 Toyosaki’s blog
No.024 デジタルサイネージと進化論
進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの名言に、「生き残るのは、最も強い者でも極めて賢い者でもない。誰よりも変化に対応できた者だ」という言葉がある。変化に対応できた者だけが生き残れるのは、生物の世界だけではなくビジネスはもとよりどの世界も同じであろう。エネルギーでいえば石炭は石油に取って代わられ、電気やリサイクルエネルギーへ。映画はテレビの登場で興業は落ち込こみ、YouTubeやネット動画配信へ変わっていった。広告は看板やのぼりから、テレビ・ラジオCM、新聞や雑誌広告へ。更にはネット広告やデジタルサイネージ広告へ変化を遂げている。インターネットの普及でその存在価値を失った様々なサービス。企業だけでは無く、個人でもホームページやSNSを使って直接情報を発信できるようになった現代。ユーザーはGoogleやSNSを通して情報を集め、企業と直接やりとりしたりネットから直接物を買ったりすることが当たり前になった。
過去に衰退していった企業やサービスは、決して能力が無かった訳でも、発展に真面目に取り組まなかった訳でもない。頭の良い優秀な人材が揃っていても、財力があって販売戦略にお金を掛けられても、社会的に認められている有名な企業でも、そして、どんなに真面目に努力していたとしても、環境の変化に対応しきれなれば、やはり衰退からは免れない。そんな世界で生き残っていくために、私たちは先を見越して自ら変化し続けることが求められている。そしてデジタルサイネージも進化し続けることだろう。私に先を見通す力があるかは期待できないし、歳を取ってくると変化することが億劫になってくる。時代の変化には敏感で無くてはいけないと思っている反面、変わってはいけない大切なことを守る必要性も大きいと感じている。先日テレビで歌舞伎の「伝統」と「革新」に触れた番組を放送していたが、生き残った歴史の中には学ぶ事が多かった。特に今の様に明日が見えない毎日が続くような状態で「変わる力」と「守る力」のバランスが必要であろう。そして今最も必要な力は「耐える力」だと痛感している。
April 3rd, 2020 Toyosaki’s blog
No.090 デジタルサイネージの価値論
価値論には、ヴィンデルバントら新カント学派の唱える「真・善・美」の価値論が有名だ。「何とか論」という類は色々な分野に存在するが、机上の空論であったり、理想論であったりと、全てを鵜呑みにはできない。鵜呑みにすることで、とんでもない結果に繋がりかねないからだ。しかし過去の哲人が生み出した理論には、納得できるものも少なくはない。
では、デジタルサイネージに、この「価値論」が当てはまるであろうか?「善」は社会的な価値や、不正に対する追求なので、最も重要な価値であろう。「美」は人の心を豊かにする芸術や文化的な価値であることは、当てはまるであろう。しかし「真」はどうであろうか。この価値論の「真」は「真理」を指している。「真理」とは実在し認識できるものもあるが、我々人間は創造することはできない。
デジタルサイネージはコンテンツを制作する側も、コンテンツを配信する側も何かを創造することが目的だ。であるならば「真」では無く、「利」が当てはまるのではないか。「利」とは経済的・合理的・能率的な価値と言えよう。この「利・善・美」の価値論はすでに現代社会に広く定着している。デジタルサイネージの場合は必ずしも「利・善・美」の順でない場合もある。創造するコンテンツによって「美」が優先されたり、「善」が優先することもあるだろう。しかし、必ずこの3つの価値が入っていなければ良いコンテンツとは言えないと私は思っている。もっともこの価値論は、全てのことに当てはまるのであるから、それぞれの価値を上げていくが、デジタルサイネージの価値を上げていく唯一の方法である。
January 16th, 2021 Toyosaki’s blog
No.108 デジタルサイネージ・シンドローム
シンドロームの原義は「同時進行」である。シンドロームで思いつくのは、スペースデプリ(宇宙ゴミ)の危険性を端的に説明するシミュレーションモデルであるケスラーシンドローム。原子炉核燃料のメルトダウンの危険性を表したチャイナシンドローム。株式などの金融取引で、電子取引の注文の誤入力によって、多大な損害を被るファットフィンガーシンドローム。複数のコンピュータによって構築されたサーバが引き起こすシステム障害であるスプリットブレインシンドロームなどがあるが、どれも、危険な状態を表現している言葉である。
私の世代は、1979年に制作された映画「チャイナシンドローム」が一番印象に残っているのではないか。もしアメリカ合衆国の原子力発電所がメルトダウンを起こしたら、融けた原子力燃料が重力に引かれて地面を溶かしながら貫いていき、地球の中心を通り越して、反対側の中国まで熔けていってしまうのではないかという映画であった。実際にはそんなことは起こらないのだが、原子力燃料の危険性は十分に伝わってきた。そして東日本大震災から10年を迎えようとしている今、原子力の問題と真摯に向き合う時なのであろう。
そして、私がこれから起こり得ると思っているのが「デジタルサイネージ・シンドローム」である。デジタルサイネージが引き起こす危険な状態とはいったい何か?具体的な説明はできないが、デジタルサイネージが引き起こす「広告公害」「広告詐欺」「広告虐待」。そして「広告テロ」なども出てくるだろう。また、映像テクノロジーが引きおこす人体への影響も忘れてはいけない。特に子供に与える影響は大きいはずだ。「デジタルサイネージ・シンドローム」は引き起こしてはいけない。そのためには「デジタル・ダイエット」も勧めていく必要があるだろう。「デジタル・ダイエット」については、今後書いていこう。
March 4th, 2021 Toyosaki’s blog
No.121 デジタルサイネージと日本文化の可能性
デジタルサイネージのコンテンツ制作を始めてから感じていることであるが、デジタルサイネージは日本文化との相性が良いということである。これはデジタルサイネージの表示と関係している。デジタルサイネージが今までの映像広告と大きく違うのは縦型の表示ができる点だ。もちろん横型のデジタルサイネージも多く存在しているのであるが、やはりデジタルサイネージといえば、縦型の表示をイメージする人のほうが多いだろう。これはスマートフォンの普及で縦画像になれてきた私達にとって親しみやすい表示方法だと思う。
もともと日本文化は縦文化なのである。習字や掛け軸など、縦書きの文字が元になって発展した文化である。屏風や襖絵なども縦構図を横に展開していると解釈できる。映像文化は海外から入ってきているので横文化の時代が長かったが、スマートフォンの普及とデジタルサイネージの普及で、縦型の映像文化は急速に発展していくであろう。もちろん写真やデザインの世界は縦文化もあったので大きくは変化がないが動画の世界は新しい時代を迎える。
これからのデジタルサイネージの表現は日本文化を取り入れたジャニーズテイストが有効だ。特に外国人観光客に対しては効果バツグンであろう。本来なら多くの外国人観光客が本年の東京五輪で来日し、ジャパニーズテイストされたデジタルサイネージを見て「クールジャパン」を感じたはずであったが、コロナの影響でその望みは絶たれてしまった。
3回目の緊急事態宣言が発令された。5月11日までとしたGW対策の効果が期待できそうもない発令に国民の不安と不満は隠せない。日本はもっと文化レベルの高い国ではなかったのか?文化とは決して芸術のみではない。人の営みを「文化」というならば、人の「命」と「生活」を守るレベルを「文化レベル」と言いたい。世界に大きく遅れをとる「日本のコロナ対策」と「環境問題対策」。今、世界中が「日本の文化の力」に注目している。
緊急事態宣言が解除されたら、東京国立近代美術館 へ行ってこよう。東京国立近代美術館は、1952年に日本で最初の国立美術館として開館した。横山大観、菱田春草、岸田劉生らの重要文化財を含む13,000点を超える国内最大級のコレクションを所蔵しており、明治から現代までの幅広いジャンルにわたる近現代美術作品を展示している。今一度、日本の文化を見直すことが重要であろう。
April 26th, 2021 Toyosaki’s blog
No.126 デジタルサイネージとビジョン・ハッカー
今、Z世代と呼ばれる若い世代を中心に、今まで解決できなかった様々な諸問題に立ち向かっているビジョン・ハッカー が増えている。環境の問題、貧困の問題、パンデミックに立ち向かう労働の問題など、世界中に支援を呼びかけ資金や人材を確保し活動を広げている。こうしたビジョン・ハッカーはコロナになって増え続けている。良い意味でコロナが若い世代の価値観を変えていっているのだ。キャリアやお金儲けではなく、生き方やビジョンが思考や行動を変えていく時代に入ったのだ。
ビジョン・ハッカーは同じ問題に共感する世界中のビジョン・ハッカーとつながっている。ネット社会、SNS世代だからできるフットワークの軽さが武器となっている。もちろん私はZ世代ではなく、Z世代の子供を持つフットワークの思いおじいちゃんだ。しかし気持ちだけはZ世代でありたいし、自らをビジョン・ハッカーと思いたい。デジタルサイネージでもビジョン・ハッカーが目指す社会に貢献出来ると思っている。もともとお金儲けのために始めた事業ではない。今後も世界中のビジョン・ハッカーの活躍に期待したい。
May 21st, 2021 Toyosaki’s blog
No.162 デジタルサイネージ アワードとは
デジタルサイネージアワード は、デジタルサイネージ ジャパンの主催でもある、一般社団法人デジタルサイネージコンソーシアムが主催し、公募したデジタルサイネージ作品の中から優秀な作品を選出・表彰することでデジタルサイネージ市場をさらに活性化していくことを目指したアワードである。
作品募集は、2021年4月27日(火)~2021年6月11日(金)にデジタルサイネージコンソーシアムサイト上で行い、6月にWEB上で審査会を行い、グランプリと準グランプリ各1点、未来先取り部門賞2点、優秀賞8点を選出した。例年は、幕張メッセで開催されるデジタルサイネージジャパンにおいて授賞式を行ってきたが、今年は、7月3日に東京ポートシティ竹芝で開催された「ちょもろーin Takeshiba」会場での受賞作発表会(無観客ライブ配信)で発表した。私もいつか応募してみようかな。今年の作品はYouTubeの「デジタルサイネージアワード2021受賞作品 」でも見られるので、興味のある方はコンテンツ制作の参考にもなるので見てみる価値はあると思う。
デジタルサイネージ ジャパンの詳細は、制作ブログ「デジタルサイネージ ジャパンの歩み」 を御覧ください。
August 4th, 2021 Toyosaki’s blog
No.265 デジタルサイネージ白書
白書(white paper)とは、「日本の中央省庁の編集による刊行物のうち、政治社会経済の実態及び政府の施策の現状について国民に周知させることを主眼とするもの。」とされている。日本において初めて作成された白書は1947年(昭和22年)7月4日公表の経済実相報告書(経済白書)である。わたしは読んだことはないが、「原子力白書」「犯罪白書」「青少年白書」「気象白書」「警察白書」「障がい者白書」など、多くの白書が存在する。
余談であるが、未だに「障がい者白書」は「障害者白書」と「害」の字を使用している。この「害」の字を取り除けないうちは、何も変わらないと私は思っている。アメリカなどでは障がい者をChallenged(チャレンジド)と呼ぶ。「障がいを持つ人」を表す新しい米語「the challenged (挑戦という使命や課題、挑戦するチャンスや資格を与えられた人)」を語源とし、障がいをマイナスとのみ捉えるのでなく、障がいを持つゆえに体験する様々な事象を自分自身のため、あるいは社会のためポジティブに生かして行こう、という想いを込め、「社会福祉法人プロップ・ステーション」 が1995年から提唱している呼称だ。
話は「白書」に戻るが、民間団体でも「白書」の名称を使用した刊行物が多くある。私の分野でいえば「広告白書」「デジタルコンテンツ白書」「デザイナー白書」など、広告やデザインにかかわるものも多い。最近では「AI白書」や「DX白書」などがトレンドなのだろうか?そして当然「デジタルサイネージ白書」も存在している。デジタルサイネージコンソーシアムが2012年に刊行した「デジタルサイネージ白書2012」は私も目を通した記憶がある。何が書いてあったかはよく覚えていないが、とにかくこれからの世の中にデジタルサイネージが不可欠で急速に普及していく事を予測していたと思う。
そして今、コロナのパンデミックによって価値観が大きく変化し、殆どの白書がその内容を考え改めなくてははらないのではないか。SDGsやサスティナブル、貧困や教育、核廃絶など、様々な問題を「近視眼」でも「遠視顔」でも捉え切れない「正視眼」で捉える時に来ているのであろう。「デジタルサイネージ白書」も新たな方向性を示すべきであろう。偉そうなことを言っている私は、私にできることを進めていくのみである。「チョイ悪オヤジ白書」なら少しはネタがあるのだが。
February 6th, 2022 Toyosaki’s blog